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10 何万人ものフルタがいる

10 何万人ものフルタがいる


 フルタはアパートでクララと一緒にネットのサッカー中継を見ていた。

「また、タローが出ているよ」

「今度はサッカー選手にでもなったのですか」

「驚くんじゃないよ。サッカー場全体がタローなんだ。サッカー選手だけでなく観客全員がタローなんだ」

「これは壮観ですね。観客全員が紙でできたお面を被っているみたいですね」

「7万人の観客がみんなタローだよ。選手は同じ人間に見つめられていて、気持ち悪くならないのかな?」

「選手は大丈夫でしょう。リアルなサッカー場の観客の顔は、一人ひとり違うんだから。こうして画面を通して見てるから、みんな同じになるのですよ」

「ああ、そうか。まあ、てんでばらばらに応援しているし、表情も違うからいいけどね。これで表情や身振りまで統一されていたら、全部がロボットみたいだね」

「たしかに違った表情をし、違った身振りをしているけれど、もとはみんなフルタさんですよ」

「かれらをフルタって言ってくれるのは、もう日本中でクララさんだけかもしれないですね。みんなはタローって言ってんだから。ぼくもタローって呼ぶようになっちゃった」

「もしみんなからフルタって呼ばれたら、気がおかしくなっちゃうんじゃないですか。タローでいいんじゃないんですか。こんなことで我を張る必要はないですよ」

「我を張るつもりはありませんが」

「それにしても、なんかおかしな国になってきましたね。面白さも度を越しています。ご近所の国よりもよっぽど全体主義的なんじゃないですか。ご近所の国もさすがに全員の顔を同じにはしないはずですよ。政府がやっているのか個人がやっているのかわかりませんけど。それにしても、これはもはや遊びの域を越えていますね」

「だれか文句を言わないのかな」

「サッカー選手は抗議するんじゃないですかね。プロですから。自分の顔は商品ですよ。でも、観客はどうでしょう。サッカーの試合で観客を見ている人はいないでしょうから、別にどんな背景になっても困る人はいないかもしれませんね。そうそう、観客なんて試合の背景に過ぎないんですよ。時々、自分の顔が写っていないって文句をいうお客さんがいるかもしれないですけど、本人以外誰も当人を見ていないですよ。米粒よりも小さいんですから、おおかたは識別不能です」

「サッカーの試合の主役はあくまでサッカー選手だよね。しかも、サッカーだと選手の表情というよりも、動作を見ているよね。それともボールの行方かな。スポーツ選手は動きが激しいからカメラで表情を追うのは難しいんだろうね」

「だけど、7万人のフルタさんをじっくりと見ていると、小さいながらもそれなりに多様な表情があることがわかりますね。まるで北斎漫画を見るようです。フルタさん、こんなに表情が豊かでしたっけ」

「それは嫌味ですか。ぼくがこんなに表情が豊かなわけないじゃない。これはディープフェイクで作られたタローの表情だよ。ぼくとは違うよ。だけど、一斉に表情の違いを見ると面白いもんだね。ぼくも表情が豊かになるようにトレーニングをしてみるかな。営業に役立つかもしれないし」

「フルタさんはいまのままでいいと思いますけどね」

「かれなんか大きな口を開けて、唾を飛ばして熱狂的に応援しているよ」

「かれは早く帰りたそうにしていますね。そう言えば、かれは子供じゃないですか。みんなフルタさんと同じ年齢だと思い込んでいましたけど、このスタジアムには子供から老人まで世代の異なった人がたくさんいるはずですよね。それが全員フルタさんと同じ年齢に見えてしまう。どうしたことでしょう。かなり精巧にディープフェイクされているのですね。当然この中には女性も大勢いるはずですよ。よく見ると女性だとわかるじゃないですか。これフルタさんじゃないですか。フルタさんが女性の仕草をしています。フルタさん、女になったんですよ。なにか不気味ですね」

「髪型を変えていたり、服装が違うから、かなり個性的に見えるね。こうなれば顔なんてどうでもよくて、個性は髪型や服装、それに身振り手振りで持っているようなものだね。全員がタローの顔になっても、それなりに識別できるじゃないか。タローの顔で統一されても問題はないかもしれないな」

「タローの顔ってフルタさんあなたですよ。フルタさんでいいんですか」

「それどういう意味? ぼくの顔じゃ不満っていうこと。ぼくだってタローが違う顔になれるんだったら、ぼく以外のもう少しましな顔の方がいいと思うよ。そういう意味ではみんなに申し訳ないとは思うけど、それもぼくがやったことじゃないし」

「ごめんなさい。決してフルタさんの顔が悪いと言っているわけではありません。全員が同じ顔でいいのかと思っただけです。だけど、一人ひとりの顔の違いも、たかだかなのかも知れませんね。みんな二つの目があり、その上に眉毛があって、中心に鼻があって、口がある。個性なんてこのパーツのわずかな違いにしか過ぎないんですからね」

「たしかにそうだけど、そのわずかな違いが重要なんじゃない?」

「あなたはカブトムシの顔を見分けることができますか」

「唐突になんですか。カブトムシの顔なんかそうまじまじと見たことはないですよ」

「じゃあ、ナマコの顔はどうです」

「ナマコって、あのぐにゃぐにゃした海の生き物の。ナマコに顔はあるの?」

「動物だから顔くらいあるでしょう。言われれば、ナマコの顔は思い浮かびませんね」

「突拍子もないことを言い出さないでよ。ぼくの顔とナマコの顔のどこが関係があるんですか」

「そうではなくて、顔のパーツの小さな違いなんて些細なことであって、そこに物の本質はないんじゃないかってことです」

「いや、本質はこの些細な違いにあるんじゃないの。クララさんの顔が愛おしいんだもの。人間の記憶はこの些細なことの積み重ねじゃないのかな」


                                  つづく

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