第十九章 都に戻ってくるな 其の四
しかし悪い気配ではない。森で見た花々の野性的な香りがただよっている。
「静かに! ……すまんすまん。脅かすつもりじゃなかった」
声とともにまずエスケレス師が、つづいてアルダムド師、ダッジオ師、モルジェニカと、森で出会った『全きもの』の魔法使いたちが次々と小さいトランクから溢れるように出てくる。
紫の煙は部屋の隅々にまで広がり、部屋全体を覆うようにびっしり埋め尽くしたと思うと、今度は部屋の中心部はだんだんと透き通ってきた。
「やれやれ、これでよし、と。『学びの塔』も窮屈な場所になったもんじゃ。保護膜を張らないとおちおち話しもできんようではな」
ふぉふぉとエスケレス師は楽しそうに笑って、空気の上に、まるで椅子に座っているように腰掛けた。アルダムド師、モルジェニカも同じように座ったが、ダッジオ師だけは疑わしそうに空気を見て、まず手で探ってそこに座って本当に大丈夫か確かめてからおそるおそるというように腰をかけた。
「……びっくりしました」
師匠たちが座っているので、ラジュエルも向きあってベッドに腰をかける。
「この中では自由にものを言ってよいぞ。あの子の苦手な術をわんさかかけとる」
「あの子?」
「マルリオスのことじゃ。エスケレス師はマルリオスが子供のときから見守っておられる」
となりからアルダムド師が補足する。
「かわいい子じゃったの」
エスケレス師は杖に両手をかけて、昔を懐かしむように長いため息をついた。しかしすぐ、ぽんと手をたたいて、
「そうそう、いつまでものんびりしとるわけにはいかん。大事なことから話そう。まずミリュウのことじゃ。連中、彼女に何かおかしな術をかけよった。あれじゃの、あれ、あの……」
「『魂を安置する術』を応用したものではないかと」
アルダムド師がしずかに言う。
「なんですか? それは」
ダッジオ師も初めて聞いたというように身を乗り出す。
「ほれ、ラジュエルも疑ったことがあるじゃろう。『学びの塔』の地下に竜の魂が眠らされているんじゃないかと。それが、もとの『魂の安置』に近い術なんじゃが、ミリュウにかけられているのは、ちとちがう。わしも知らん魔法のようでな」
「マルリオスが自身で応用開発したんでしょうな。古代魔法をもとにして新しく工夫改良を加えていく。若い頃は素晴らしいと思ったものですが、今となっては……」
苦々しげに首をふりながらアルダムド師がつぶやく。
「ミリュウは……ミリュウは大丈夫なんですか? あの作り物みたいな竜のように、彼女も自分の意志を失って操り人形みたいにされてるってことですか?」
心配で思わず立ち上がって叫んでいた。
「今のところは勝手に身体を操られたりはしておらん。寝とるだけのようじゃの」
「でも、魂を抜き取られたってことは、死んでるのと一緒ってことですか?」
「まあ、落ち着け」」
ダッジオ師がラジュエルのとなりにきてベッドに腰掛け、ぽんと肩を叩く。
「落ち着けません!」
ふうーっとエスケレス師はもう一度、長いため息をついた。
「死んでるのと一緒ではない。身体と結びついた魂を眠らせ、別の場所から支配する、そんな感じかの。昔の術の応用だとすれば、『学びの塔』の地下かどこかにミリュウの身体からとった何かがあるはずじゃ。髪の毛とか爪とか、そんな些細なものが」
「じゃあ、僕、取り戻します! それが戻れば」
「落ち着けっちっとるだろ、馬鹿もん」
ダッジオ師に頭をはたかれ、アルダムド師がゆっくりとラジュエルの目を見て言った。
「よく聞きなさい。おそらくとても小さなものじゃ。そして術がどんなものだかわからなければ、解く方法もわからない。闇雲に地下を探しても無駄足に終わるじゃろう。それどころか、下手に動くと連中を警戒させる」
「じゃあ、僕はどうすれば。そのあいだにミリュウが……」
「術をかけられて何十年も経つと元の身体そのものに変化が起きることもあるが、まだ何ヶ月も経っとらん。今はまず我慢して情報を集めることじゃな。トゥーリオの言ったようにマルリオスと話をするのがよいじゃろう」
「はい……」
冷静なアルダムド師に諭されると、ようやくそれ以外、方法はないのだと実感がわいてきて、力が抜けてすとんとベッドに腰をかけた。
エスケレス師が窓の外を見てわずかに眉をひそめた。
「マルリオスは武装を強化しているようじゃ。もちろん、魔物を倒すのだという触れ込みだが、真実のところは古代魔法を排除するのが目的じゃろう。『荒野』のあの……なんだったかの、あの坊やが」
「チェルザードです」
物忘れしてしまうエスケレス師にアルダムド師が補う。
「そうそう、チェルザードがいずれ仕掛けてくるじゃろうが、それも見据えてのことじゃろうな。おぬしはなにか聞いておるか、ラ……」
「ラジュエルです」
またアルダムド師が助け船を出す。
「チェルザードからですか? いいえ、なにも。ミリュウの様子を見てほしいと言われただけで」
「そうか。では、ミリュウの無事を確認するまでおそらくあの坊やは動かんじゃろう。となると、まずはミリュウじゃな……」
ミリュウをどうすれば助けられるのか、その方法を知りたいと思わず身を乗り出したとき。
突然、なんの前触れもなく雷のような轟音がひびきわたったと思うと、部屋が真っ二つに裂けた、ように思えた。
裂け目はラジュエルの腰掛けているベッドと『全きもの』たちが座っていた空気の間を引き裂くように走った。と思うと、次の瞬間、『全きもの』もダッジオ師も消え失せ、夕闇に暗くなった部屋の目の前にマルリオス師の白い姿があった。部屋に満ちていた紫の煙も、もともとなかったかのように消え失せていた。
「久しぶりじゃの、ラジュエル。よう帰ってきた」
「あっ、はい」
こんなとき、正しい挨拶はどういうんだっただろうと考える間もなく、慌てて立ち上がり師に向かって深く頭を下げる。
頭を下げているので師の足下しか見えないが、半分透けているように見えるから、これもまた実体ではないのだろう。
「トゥーリオから話は聞いた。ミリュウに会いたいのじゃな」
親しげに、優しい口調で師は語りかける。彼の真意は読めないが、だからといって気のきいたことが言えるわけでもない。
「はい」
と正直に答えるしかない。
「それについては追って沙汰があろう。まずはおぬしの『持ち帰ったもの』の話じゃが……」
何を言われるのだろうとちらりと師の顔を見上げる。
こんなに優しい人だっただろうか、と思えるほど悪意のない笑みをうかべてラジュエルを見下ろしていた。
「あの、トゥーリオ師にもお話ししましたが、何も持ち帰ってはいないのです」
「そうは言っても、なにか経験したのじゃろう。どういったことじゃった」
おそらく小手先で誤魔化そうとしても太刀打ちできる相手ではない。トゥーリオ師に話したように、ありのまま、起きたこと、見たものをとつとつと話していく。
ただ『全きもの』の存在については名前などをぼかしておいた。彼らの助けなしに一人でなにもかもできたわけではないので、全く隠しておくのは不自然かと思えたが、名前を出していいのかどうかわからない。
マルリオス師は感情のない目でうなずきながら聞いていたが、ときおり考えをめぐらすように長い睫毛の目を伏せたりした。
話し終えてもマルリオス師はしばらく黙って目をつぶり動かずに考え込んでいた。
ミリュウのことを言い出してもいいのかなと、ラジュエルが口を開きかけたとき、
「さっきまでここに誰がいた」
鋭い、冷たい問いがかけられた。
「ええ……その、お名前はよくわかりません。間違ったことをお話ししてもいけませんので」
「誰かわからぬものと話していたと申すのじゃな? わかっておるか。それはひどく危険なことじゃぞ。人ならぬものは様々な種がおる。おぬしが相手をしておったのは悪霊かもしれぬではないか」
「あ、はあ」
ここに彼らがいたことはわかっても、誰がいたのかまではわからないのか、と考える。
「今後はよく気をつけるように。もし、そのようなことがあれば、トゥーリオによく相談して正しい対応をせねばならん。よいか」
「あの、『学びの塔』にも悪霊のような悪いものが入り込むことがあるんですか? その場合、マルリオス師には何が入り込んだのかおわかりにならないこともあるんですか?」
ぴくりとマルリオス師の眉が機嫌を損ねたようにつりあがる。
「入りこんでいるものはわかる。が、今入ろうとしているものまでいちいち予言することはしておらぬ。やりだせばきりがないからの。覚えておくように。『学びの塔』は魔法使いの最高学府であり、それだけに悪いものに狙われる機会は多い。心しておかねばならぬぞ」
最後の言葉とともに、師の姿はすうっと霧が薄れるように消えていった。
しばらく、暗い部屋の中、ぼうっと立っていたのに気がついたのは、部屋がまたうすぼんやりと明るくなって、ぽんとダッジオ師に肩を叩かれたときだった。
「師匠、大丈夫ですか、姿、現しちゃって」
ふぉふぉと目の前の空気に腰掛けたエスケレス師が楽しそうに笑う。
「やはり、わしらのことは見えんようじゃな。まだ修行が足りん」
「正直、焦りました」
ダッジオ師がやれやれというように答え、ラジュエルのベッドに座ったので自分も座る。
「でも師匠たちがここにいたことは感づいたんですよね」
「わしもまだまだ修行が足りんのう」
「さっきの話の続きじゃが、ラジュエルはこれでやるべきことが見えたの」
アルダムド師が思慮深い目でこちらを見る。
「マルリオス師がどんな術でミリュウを捕らえているのか探るってことですか?」
「そうじゃ。そして『荒野』でチェルザードが待っておるじゃろう。彼も焦りすぎないように忠告しておかねばならん」
「どうやってチェルザードに伝えたらいいでしょう」
「それは俺が言っといてやる。あいつには俺が見えることがわかったからな」
ちょっと誇らしい様子でダッジオ師が言う。
「『全きもの』は人によって見えたり見えなかったりするんですね」
「そうだ。村の人たちには見えんかったろう。死んだ奴が現れたら混乱を招く場合もあるからな。魔法使いの世界では当たり前のことなんだが」
「そういえば師匠はご家族に会いにいったんですか」
「その話はまた今度だ!」
ラジュエルもほほえんだが、エスケレス師とアルダムド師もすこし笑う。二人の大師匠は年をとってから『全きもの』になったが、ダッジオ師は若かったから家族への思いもまたちがうのだろう。
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