第十九章 都に戻ってくるな 其の一
第十九章 都に戻ってくるな
「チェルザード!」
かつては宿敵と思っていたその姿だったが、今は旧知の友のように嬉しい。思わず駆けよってすこし背の高い彼の片目を見上げた。
「僕に竜を派遣してくれたんでしょう? とても助かりました。ありがとう」
それを聞いてわずかに唇の端をあげたチェルザードは、ちらとダッジオ師の方を見る。
「長老がおまえは『全きもの』になったんじゃないかと言っていた。この若さでもなる奴はなるんだな」
「まあな。俺の人徳だ」
照れ屋のはずの師匠がチェルザードの前では胸を張る。ふふんと軽く鼻で嗤ったチェルザードは、
「死んだ奴と言い合いしてもしょうがない。それよりラジュエル。手に入れたのだな。『風』の力を」
「ええ、たぶん」
自信のない言い方が気に入らないのかチェルザードは不機嫌な顔で両手を前に出す。両手で囲むように円を描くとその中にぼうっと光の玉のようなものが現れた。
「ほら!」
言ってこちらに投げつけてくる。はっとして受け止めようとした。しかしラジュエルが手を出すか出さないかのうちに、光は形を失いぱあっと目の前で発散して広がり、やがて大気に混じって見えなくなっていく。
「ほう……」
「ラジュエルはな、自らが『器』になって『風』を身に帯びてきたんだ。まさかそんな形で『風』を持ち帰ることになるとは俺にも予想できなかった」
驚いた様子のチェルザードに、ダッジオ師が自慢げに語っている。
「『器』に? どういうことだ。力を運ぶのには介在する物質が必要なんじゃないのか」
「ああ。そう言われてきたな。ラジュエルのぼんくらは、そういう予備知識もないままに『谷間の風のはじまるところ』に入りやがった。もうちょっとアルダムド師が教えられるかと思ったが、いきなり入ったんだ。その結果がこうだ。まったく、世の中にはまだまだ驚くことがあるもんだなあ」
「おまえが『全きもの』になったのも驚いたぞ」
「正直なところ、俺自身も驚いた。もっと年くって経験も積んだ魔法使いがなるもんだと思ってた。まあ、よかったがな。この身体も悪くない」
「ふうん……」
森の方へ歩きながら、チェルザードは厳しいような複雑な顔でダッジオ師を見ている。同じ年代の彼が『全きもの』になったのを見て、自分自身もまた『全きもの』になれるのかどうか思案しているように見える。ファードル師は『全きもの』になれなかったのだ。
「ところでラジュエル。俺がわざわざやってきたのは、おまえの出迎えのつもりじゃない。実は、ミリュウの気配をこのところ感じられないのだ。おまえのところに、何か知らせは来ていないか」
「知らせ? いいえ」
気配を感じられない? どういうことだろう。にわかに鼓動が早くなる。ミリュウの身に何かよくないことでも起きたのだろうか。
「そうか。便りを出すならおまえのところなら、と思ったんだがな」
「俺が最後に会ったときはまだミリュウは、伝達の魔法は学んでなかったぞ」
「そうだな。単純にできていないだけかもしれないんだが……」
伝達魔法というのは、名前だけ知っていた。遠く離れた相手にでも、言葉や手紙を使わないで直接語りかけることができる。師匠や『全きもの』など、高度な魔法を使う人々はわりとよく使う手段だが、学生たちにはまだ講義はなかった。
「気配ってどういうことですか? まさか、ミリュウに……」
「連中、ミリュウに何かしやがったか。もし、そうだとしたら……」
言いかけてはっとして、ダッジオ師はラジュエルの方を見た。
ミリュウはいわば優等生で、罰を受けるなど考えられない。となれば、理由はラジュエルの恋人だから、だとしか考えられない。自分のせいでミリュウに害が及んだと聞けば、誰よりも耐えられないのはラジュエルだ。ダッジオ師はそれを察したのだ。
「ミリュウは……。どういうことでしょう。まだ都にいるんでしょうか。それともどこかへ……」
最悪の事態が頭をよぎる。都を出て、故郷とかどこかに帰ってくれているならいい、そうであってくれと祈りながら、おそるおそるチェルザードに問いただす。
「わからん。ただ俺に、都の外からは彼女の気配を感じられないというだけだ。気配を伝えない方法は『学びの塔』ならいくらでもある。おまえも一時期、変な抑制をかけられていただろう」
「あの、防御服とか、『学びの塔』の地下とかのことですか?」
あんな窮屈な思いを、ミリュウもさせられているのかと思うと、それだけで気が重い。
「連中にとってはミリュウ自体が危険ではないはずだ。俺がマルリオスだったら、ミリュウに害はなさない。そんなことをしてもおまえを怒らせるだけで得することはないからな。マルリオスなら利用できるものは利用する。この場合、あいつがほしいのはおそらくおまえの力だ」
「ほう、さすがに第二のマルリオスと呼ばれただけのことはあるな……いや、すまん。皮肉のつもりじゃない」
一瞬嫌な顔をしたチェルザードは、すぐに平静な様子に戻った。
「そんな風に言われたこともあったな。若造の頃は喜んですらいたものだ。都を出た頃は反吐が出るほど嫌だったが、今はまあ、そう言われるのもわかる。たしかに俺とマルリオスは似ているところがある」
「そんなことないです! あなたの方がずっといい人です」
思わず叫んでしまったが、チェルザードは軽く微笑んだだけだった。
「いいというのはおまえの主観だろう。あんな奴でも必要とするものは多い。味方の数で言えば俺の方が少ないだろう。権力と兵力と境遇。いいか、ラジュエル。おまえが相手にしようとしているのは、俺と同等の能力で、さらにそういう自分以外の力をたっぷり持っている奴だ」
「相手をする……。僕はマルリオス師と戦わないといけないんですか?」
「そのための『風』なんだろう?」
当たり前のことだというようにチェルザードは眉を上げた。
そんなことは考えてもいなかった。チェルザードにすら剣術や経験、魔力においても歯が立たなかった。ましてや『学びの塔』の師匠たちや魔法騎士団を率いたマルリオス師に勝てるとはとうてい思えない。
「もし僕が負けたら、この『風』の力も取り上げられてしまうんでしょうか」
思わず自分の両手を見つめる。せっかく都を強制的に逃げ出し、『荒野』の人々に助けられて持ち帰ったこの力を、マルリオス師にあっさり取られておしまいになるのだろうか。そして、その役割を終えた自分はどうなるのだろう。
「そんなこと、させるか。そのために俺がついてきたんだ」
ダッジオ師の姿が大きくなったような気がする。『全きもの』はもともと物質で構成されているわけではないのだから、大きさが変わってもおかしくないのかもしれない。
「いや、マルリオスにはおまえの力は奪えないだろう。もともと『古代魔法』が制御不能だからこそ、あいつは生涯かけて『理論魔法』を組み上げてきた。いくら『風』であっても制御不能なのは同じだ。むしろ、力が強ければ強いほど制御できない力はやっかいなものになる」
「制御不能なんですか?」
「今までなに見とったんだ、馬鹿もん。『風』がおまえの思うとおりに作用したことが一度でもあったか?」
「そういえば」
羽のない巨大な竜に力を注ぎこんだとき、人食いの魔物を石にしたとき。どちらも、このようにしてやろうと思ってそうなったわけではない。力を使うことは使ったが、結果を制御しようとしてできたわけではなかった。何が起きるかわからない大きな力だったのだ。
「じゃあ、マルリオス師は僕が行ってもこの力は奪えない。僕は力を持ったままでいられるってことですね?」
「そうなんだろうな。普通に考えられてたように物質を媒介にして持ってきた力は、その物質を奪えば手に入れられる。だがおまえは、自分の身体と精神に力を宿してきた。そういう場合はどうなるんだろうなあ」
「俺にもわからん。もしかしたら古の『聖人』のように、存在そのものが力の源になってるのかもしれん。ラジュエル、実験する場所があるぞ」
前を大股で歩いてきたチェルザードが言ってふりむいた。
木々の茂る森を抜けてきたが、立ち止まった場所は木々が開けて温かい日差しが差し込んでいる。
「気持ちのいい場所ですね」
「ここは薬草園なんだが」
言われてみれば足下に耕した形跡があり、アンジェニカ師が育てていたような薬草が植わっている。
「今から俺が理論魔法でこの一本を成長させてみよう。そこにおまえが近づくとどうなるのか見てみたい」
「近づくだけでいいんですか」
「そうだ」
言ってチェルザードは、一本の草に手をかざす。みるみるうちに草の背丈は伸び、美しい青い花を咲かせる。
行ってもいいのかなとチェルザードの方を見ながら、止められないので静かに歩いて近づく。すると不思議なことが起きた。
草の一本一本の姿が変わっていく。茎は太く硬そうに、花はより小さく数が少なくなる。
「……なんか、あんまり綺麗じゃなくなっちゃいましたね」
「思った通りだ」
「何がですか? これって退化じゃないですか?」
「そう、退化、かもしれん。古代魔法はものごとをあるがままに戻していく。連中、おまえに都に来るなと言ったんだろう。そういうことだ」
「都のいろんなものが、退化しちゃうってことですか?」
「あるものは退化かもしれん。しかし、退化が必ずしも悪いとは限らない。魔法で無理をさせてかろうじて形を保っている物が、あるがままに戻る。そういう事実の確認が必要なこともあるんだ」
「そういえば、それに近いことがあったな。おまえが防御服を着せられたとき、『学びの塔』が意外とぼろっちいと感じただろう。本当はいくつものほころびが出ている。それを魔法で美しく見せている」
となりで見ていたダッジオ師も言う。
「宿舎の階段も壊れてたけど、誰もそれに気づいてませんでした」
「おまえが都に行くと、そういうことがたくさん起きるんだろうな。だから連中が困る。魔法で美しく完璧に見せていた都市が、本当はありきたりのもので、すべては幻だと民衆にばれちまう」
「すべては幻……」
「一番困るのはマルリオスだ。マルリオスが頂点に立ってから都では魔法がうまく機能したと信じられてきた。それがもろくも崩れ去るってわけだ。ああ、俺も見てみたい。あの威張りくさった魔法総長どのが、どんな慌てぶりを見せるのか」
ふふんとチェルザードは楽しそうに笑うが、ラジュエルはなんだか悲しい気持ちになった。
「僕が行くことで、都に混乱をもたらしてしまうかもしれないんですね……」
ダッジオ師がぽん、と肩を叩いた。
「そうなるだろう。だが、それでもおまえは戻るべきだと俺は思う。きっとエスケレス師やアルダムド師もそうおっしゃる。おまえがやらなきゃいけないことがあるんだ。何が起きるか俺にもわからんけどな」
「それにミリュウのことも探ってきてもらいたい。ミリュウに害をなさないだろうというのは俺の推測で、実際にはどうなっているのか確実にわかってるわけじゃない」
眉間に皺を寄せるチェルザードは、やはり姪御のことを心配しているのだ。
「わかりました。戻ります」
トゥーリオ師に来るなと言われた以上、自分も都にすんなり受け入れてもらえるとは思えない。しかし、ミリュウのことはいてもたってもいられないぐらい気がかりだ。どうしても都に行かなくてはならない。
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