第十八章 『見えない敵』だったもの 其の五
群衆の中からやや年取った男が静かにたずねた。
「あんた。西ってことは森にいたんだろう。木を切っていた男を見なかったかね。二日前から帰ってない。もっと早く帰ってくるはずだったんだが」
まさか、と、どきりとした。
「あの……姿は見ませんでしたけど、木を切る音は聞きました。僕はそのとき、大きな魔物を人里に来ないように調教しようとしていて、その人の方に近づかないようにしてたんです。もしかして、あなたがたの探してる人だったんでしょうか」
「さあ、音だけじゃわからんな。しかし、あんた。魔物を調教って、いったい……」
「山にものすごく大きな、翼のない竜みたいな魔物がいたんです。僕は獣使いの師匠と一緒にそいつを人里から引き離す仕事をしてて」
「あんた、獣使いか」
人々がざわめき、互いに話しだす。獣使いのことを、この土地の人は知っていてくれるのか。
「そうです」
「獣使いってのは獣を連れてるもんじゃないのかね」
「ええ。連れてましたけど、村に連れてくるのは皆さんが嫌がるかと思って。村の外で待たせてあります。夜には彼らのところに戻ります」
ほう、と人々は声をあげ、獣使いって何だというものから、したり顔に魔法使いについて知っている話を披露するものまでいる。そのうちに村の方からもっと人が集まってきた。「ザマッドの行方はわかったのか」
「この魔法使いの若いのが、木を切る音を聞いたってよ」
「あの、ちょっと言いにくいんですが……。僕、昨日の夜、もっと村に近いところで鬼のような魔物に出会ったんです。その鬼が食べていたものが……もしかして人間だったのかもって……」
「なんだと!」
人々は騒然となり、女の一人が悲鳴を上げた。
「そんで、どうしたんだ、あんたは。自分ひとり逃げ帰ったのか?」
つかみかかりそうな村人に、慌てて顔と腕の傷を見せた。
「僕が目覚めたときには、もう鬼は獲物を殺して食べていたところだったんです。僕も見つかって襲われました」
「……よく無事だったな……」
「狼とヒグマが一緒にいて戦ってくれたのと、その、鬼は僕が魔法で石にして……」
また人々は大騒ぎを始めた。人々の気持ちが敵意なのか尊敬なのかつかみきれず、ただ黙って立っていたが、さっきの初老の男がみなを鎮めてあらためて尋ねた。
「魔物を石にしたと。ほんとかね」
「ええ、多分。暗がりだったのではっきりは見えなかったんですが、触っても冷たくて動かなかったのでそうだと思います」
また人々は顔を見あわせ何ごとか話しあっていたが、やがて、
「だったらその場所に連れてってもらおうじゃないか」
と言い出した。
急いで逃げたのではっきりとした場所はよくわからないが、狼なら覚えているかもしれない。そう告げると何人かは怖がったが、屈強な男二、三人と老人が一緒に来ることになった。
村を出て狼とヒグマを呼ぶ。クマの方は見るからに大喜びで走ってきて、今にも飛びつきそうだったので慌てて抑えた。いくら懐いていてもこの体重で飛びつかれては大怪我してしまう。
「本当に猛獣を従えるんだな、獣使いってのは」
「怒らせるとあとが怖いぞ。気をつけろ」
村人たちがおっかなびっくり小声で話し合っているのが聞こえて、ちょっと楽しい気分になる。
鬼と遭遇した場所は、森に入ってしばらく歩いたところだった。ラジュエル自身はまったく道がわからなかったが、狼は迷わず歩き、植物が妙に道を開けてくれる。ここでもモルジェニカが見えない援助をしてくれているようだ。
「おい、なんかいつもの森とちがうみたいだな」
「これも魔法なのか」
村人たちが怖そうに話しているが、あえて詳しく話す必要もないので、ただ道をいそぐ。やがて草が踏み潰されたところに着いた。
鬼がまだいるのか不安だったが、石の形になったまま、元の場所に転がっていた。そして周囲には血の跡があり骨が散乱していた。
ラジュエルが見ても胸が悪くなる光景だったが、男たちの一人が耐えられなくて吐き気を催していた。
老人は丁寧に破れて散らばった服を調べていたが、
「ザマッドで間違いないだろうな」
と悲痛な声でつぶやいた。
「荷物がないが」
「ここでやられたんじゃないかもしれないぞ。あんた、木を切る音を聞いたのはどの辺だった」
「よくわかりませんが、もう少し北の方だったんじゃないかと」
答えると男たちは顔をしかめ、黙って額に冥福を祈るため祝福の星印を描いた。ラジュエルも倣って額に祝福の印を描く。
「疑って悪かった。あんた、いい方の魔法使いなんだな」
「そう思ってます」
「名前は」
「ラジュエルです」
「名字はないのか」
「ないです。僕は田舎の羊飼い出身ですから」
ほう、と目を丸くした男の顔から、ようやく警戒心が消えた。
「羊飼いなんかでも、こんな立派な魔法使いになるんだなあ。あんた、すごいじゃないか」
「いえ、僕なんかまだまだ。でも、この魔物は本当に危険だ。早く都に知らせます」
「おう。そうしてくれ。しかし、こんな危ない奴は以前にはいなかったのになあ」
聞いてどきりとする。自分が『見えない魔物』を見えるようにしてしまったとはとても言えなかった。だが、老人が首をふって、
「いや。そうとも限らん。今までも森で行方不明になって骨が残ってたことはあっただろう。姿を見たものがいないだけで、いなかったわけじゃない。今回はたまたまこの魔法使いが石にしてくれたからわかったが、本当はいたのかもしれんぞ」
と指摘してくれた。
「そう言われています。魔物は姿が見えなかっただけで本当はいなくなっていないのだと、古い魔法を司る人たちが言っていました。僕はそのことで早く都に戻らないといけません」
「そうか、そうか。あんたも大変なんだな。たいしたもてなしはできないが、腹ごしらえでもしてってくれ」
男の一人が促し、人々は遺品と骨を拾って村に戻った。
村では木こりの家族が集まって、骨や服を見るとわっと泣き出したが、一緒に行った男たちが事情を話すと、一族の老人がラジュエルに向かって丁寧に礼を言った。
「……こんな姿になっちまって言葉もない。しかし、あんたは仇討ちをしてくれたんだな。もう少し早ければと思わんでもないが、しょうがない。俺たちからの心からの願いを聞いてくれんか。こんなことが、もう二度と起きないように、こんな魔物のいない国を造りあげほしい。もしあんたがほんとに心根のいい魔法使いなら」
「……はい」
本当にそう思う。
魔物のまったくいない状態にはできないのかもしれないが、危険なものが残っているのに、いないと人々をあざむいて、ただ都の魔法使いの権威だけを高めるような、今の体制はなんとかしなければいけない。
村長の家で食事をごちそうになっていると、村人が次々に訪れて、
「病気を治してほしい」
「なくし物がどこだか教えてほしい」
などと頼みに来たが、
「すみません、そういう魔法はまだ未熟で」
と断るのに忙しかった。
都では魔法があたりまえで、掃除にすら魔法を使っているのに、田舎ではまだ魔法そのものがめずらしくてしょうがないのだ。
「みんながもっと気楽に魔法を使えるような世の中だといいですね」
というと、ラジュエルの父親よりすこし年上だという村長は、顔をしかめた。
「あんまり魔法ばっかりに頼ってると、若いもんが働かなくなっちまう。魔法は特別なもの、俺はそのままでいいと思うね」
そうか、魔法にはいい面と悪い面とあるんだな、と胸の内で思い、
「もう行きます。ありがとうございました」
と立ち去ろうとすると、一晩泊まってから出発することを勧められたが、狼とヒグマを待たせている。感謝して祝福を送り、村を出ることにした。森の奥には行かないようにと人々に警告をして。
もっともモルジェニカの結界が効いていれば、魔物の棲む領域に行こうとすると、気がつかないうちに足がまた森の外に向かうようになっているはずだが。
ラジュエルが村を出てくるのを待ちきれないとでもいうようにヒグマが突進してくる。見送りに来てくれた木こりの家族が慌てて逃げ出した。
ひとしきりクマの背中を撫でて、狼に村のことを語りながらまた旅路につく。
「あんな魔物がまだ国のあちこちにいるんだったら、本当に早く対策を立てないと。でも、問題は都で僕がどんな扱いを受けるか、だよなあ。せめて誰か一人でも師匠が僕の話を聞いてくれるといいんだけど」
狼相手に愚痴をこぼしてもしょうがない。
できるだけ急いで都に向かう。旅の食料も持たせてもらったので民家をたどって行かなくてもいい。通れる道はできるだけ最短の道を選んで進んだ。
クマが大食漢なので食べ物を探すのに時間がかかったが、急ぎたかったので、魔法で森の木の実などを取り寄せて食事にしてもらった。さすがにジュートはどんなところでも食べ物を見つけるのに余計な時間を使ったりしない。
ヴァリーニャ河のほとりまで来て、しまった、と思った。もっと上流で河を南に渡っておけばよかった。このあたりまで来ると川幅も広くなり、通常なら船で渡る距離になる。
近づいて水に触ってみると、もう秋も終わりに近い河の水は冷たかった。
「どうしよう。僕は泳げないから人目を避けて飛んでいくかなあ。君たちはどうなんだろう。飛べるの?」
森でチェルザードの竜の背中からは二頭とも森まで空を駆け下ってきた。だが、こんな平地から飛んだのは見たことがない。
狼がぶるぶるっと身体を震わせたと思うと、ざぶんと水に飛び込んでいく。岸辺でためらっていたヒグマも狼の後に続いて泳ぎだす。野生の狼やヒグマは泳げるものなのか。
「ウォルフェス・ペナンタ・マジョリス」
ラジュエルは魔道具の羽をだして唱えた。
少し飛んでみて、あたりに見ている人がいないか確認する。ここはまだ人家はほとんどないところなので、牧草地にいる家畜は遠くに見えるが、見ている人はなさそうだ。
河のすこし上空を、泳いでいる狼とヒグマを見おろしながらゆっくりと飛ぶ。狼は見た目より長く生きており、『力あるもの』としての能力も高いから大丈夫だ。問題は都の獣舎育ちのヒグマだったが、狼の後をついてすいすいとうまく泳いでいる。獣というものは、教えられなくても泳ぐことができるのか、はたまた子グマの頃に母グマに教わっていたのか、『力あるもの』としての能力のためなのか。
「いいなあ。僕も泳げたら気持ちいいんだろうな」
飛びながらつぶやくと、となりでわっはっはと豪快な笑い声がした。すぐ横にダッジオ師が羽もつかわず浮かんでいる。
「師匠。いつのまに」
「ずっといたぞ。馬鹿。おまえが村でたらふく食べとったときもな」
「えっ、そうなんですか? すみません、師匠のこと、みんなに紹介しないで」
「いや、それはいい。むしろ、関係のないところで俺が出て行かない方がいいんじゃないか。『全きもの』について一から説明せんといかんくなる」
「『全きもの』について、あんまり一般の人に話さない方がいいんですか?」
「おまえも知らんかっただろう、アルダムド師に会う前は。魔法使いの世界は長いこと秘密のものとされてたんだ。いいか。魔法ってのは強力な力だ。いい人間が使えばいいことを行うし、悪い人間が使えば……何が起こるかわかるな。『学びの塔』に『喜びの門』があるのはそのためだ」
「志の悪いものは『喜びの門』を入れないから魔法を学べないってことですよね」
「ああ。一応そうなっている。だが、実際には『荒野』で魔法を学ぶ者もいるし、『学びの塔』で学んだからといって、その後悪くならないわけでもない。だが野放しよりはましだろう」
「そうですね……」
その後、悪くなったもの。マルリオス師は悪いのか、悪くないのか? ラジュエル自身は好きではないが、好きでないからといって本当に悪いのかどうかわからない。
その日のうちには見慣れた景色のところに着いた。もう少し南に行けば『荒野』たちの集落があり、さらに東南に行くとダッジオ師の家やアンジェニカ師の薬草園のある森の入り口に近づく。そして村を越えればいよいよ都だ。
もう日暮れ近い。だいぶ都に近いとはいえ、狼やクマを連れていて民家に宿を借りるのは難しいだろう。宿屋に泊まる金もないし、来るときに使った魔法使い歓迎の宿には、もしかしたらマルリオス師の手配書が出回っているかもしれない。
「野宿ならむしろ森の近くの方がいいかもね」
二頭に話しながら森に向かう。
「師匠の家はこの近くですよね。ご家族にはもう会われたんですか」
「いや、まあ、その。そろそろ会おうかと思ってるんだがな、うん」
「なんでためらうんですか。僕には平気なのに」
「おまえはいいんだ。ええと、うちかみさんや子供らにとっては感動の出会いになるかもしれんじゃないか」
「そりゃ感動ですよ」
「そういうのが苦手なんだよ」
ぶっきらぼうに言う。こんな師匠の姿は初めて見た。
「へええ、師匠。意外と照れ屋なんですか」
「何を言うか、馬鹿もん!」
「奥さんも子供さんたちも早く会いたいと思いますよ」
「わかっとる、このボケたん!」
いい大人が感動の出会いを怖がってるのも不思議だが、本人がためらうものはしょうがない。会いたい気持ちは人一倍強いのだろうから、ここは見守ってあげようと、ちょっと離れてにこにこしていると、急に聞き覚えのある強い声がかかった。
「帰ってきたか! ラジュエル」
――――――――――――――――――――
今週も読んでいただきありがとうございます<m(__)m>
来週もよろしくお願いいたします(^^♪




