第十八章 『見えない敵』だったもの 其の三
まだ動きの鈍い魔物に手を伸ばす。おそるおそる、ではなくできるだけ親しみを込めて。そばにジュートが並んでいるのに気がついた。
「君と同じと思えばいいのかな。最初、君は僕にとって怖ろしい存在だった。でも僕はあの時、死にかけてぼうっとしてて怖ろしいと思うより先にあきらめたんだよ。……そうか! 魔物の方も人間なんてよくわからないから怖いとか不気味だとか思ってるのかな」
そう考えるとまた楽しくなってきた。
ラジュエルが魔物に触れている片手に、ジュートがそっと鼻面を押しつけてくる。
「君の力も貸して。獣が一緒の方がきっとこいつも安心するよ」
了解した、というようにジュートも前足を魔物の尻尾に乗せてくる。
「魔物に適した方法か……。もっと竜のことを勉強しておけばよかった。でも、禁書以外にはあんまり本には書いてなかったんだよな」
――フリーナの竜を。
頭の中に声が響く。
「そうか。本物の竜に乗ったときのことを思い出せばいいんだね。あれは矮小種だって言ってたけど、あれで小さいなら標準種はどんなに大きいんだろう。この魔物も大きいしね。でも、同じ竜ならやっぱり基本的な性質は似てるのかな」
信頼と愛情、そしてご褒美。金銀財宝はやることはできないが、輝くイメージを送り込んで喜ばせることはできるかもしれない。
「まず第一は信頼だよね、ジュート」
狼に向かって微笑む。狼もしっかりした目で見つめ返してくる。
安心感。自分は敵ではなく味方だという確信。気持ちを込めて、魔物に当てた掌から信頼感を注ぎ込んでみる。
その途端、予想外のことが起こった。
ずずずと落ち葉を引きずる音とともに魔物が起き上がってきたのだ。慌てて魔物の尻尾の棘にしがみつく。
後ろ足で立ち上がった魔物はグオオと吠え声をあげて尻尾をすこし持ち上げた。
まずい。尻尾に乗っているのに気づかれたのだろうか。
「ラジュエル。上に移動できるか。背中の方が振り回されない分、もう少し安全だろう」
すぐ横から声がしたと思ったら、宙に浮いたダッジオ師がとなりにいる。
「登ればいいんですね!」
幸か不幸か魔物の表面は硬い鱗に覆われゴツゴツしている。その棘につかまりながら登れないことはない。そこまでは故郷で遊んだ岩登りと同じなのだが、普通の岩は動かない。今にも歩き出しそうな魔物の背中を登るのは至難の業だ。
「浮遊の術を使え」
師匠のアドバイスが飛ぶ。
「あ、そうですね」
いろいろ魔法を覚えたのはいいが、適切に使うことがなかなかできない。師匠がいてよかったと思いながら呪文を唱える。
「アデューヴォ・ペナンタ・マジョリス!」
成功だ。ふわりと身体が軽くなる。それでいて魔物にしっかりと触ったままでいられる。すいすいと魔物の身体を昇っていける。
「できました! 師匠!」
見ると狼が軽々と後ろを駆け上ってくる。さすがに『力あるもの』だ。すぐにラジュエルも魔物肩の辺りまで登り、落ちつけるところを見つけた。
「うわあ……」
高いところから同じ視線でものを見ている。魔物の気持ちさえわかるような気がする。
どすんどすんと森を踏み分けて歩く、目線の高さは一番高い樹よりも高い。来るときに空を飛んできたときのように、木々の梢を見下ろしている。
おいしそうなものがある、と魔物が感じたのがわかる。魔物はいったい何を食べるのだろうか。
急にぐいと魔物は頭を低くした。枝に引っかかれるのも構わず木々の間に大きな頭を突っこんでがぶりと食べたのは、若木だった。バリバリと音を立てて若木を根っこから抜いて口にくわえ、飲み込みやすいように上を向いてがぶがぶと咀嚼しながら食べていく。
「こんなに大きいのに草食なのか」
しかし油断してはいけない。クマのように獣も食べれば木の実も食べる雑食の生き物もいる。
食べおわった魔物はまたズドンズドンと音をたてて歩く。足の周り小動物が逃げまどうがまったく気にしていない。そんな感情も言葉ではなく伝わってくる。
「そうか。人間のこともこんな風に見てるんだね。人間だから襲うとか怖がるとかじゃなくて、ただ歩いてるところに人間が出くわしてしまったら踏んづける。道ばたの石ころぐらいの感じなんだな」
となりの狼に話しかけると思慮深い金色の目で見つめ返してくる。
狼はただいてくれるんじゃない、一緒に魔物の精神に入り込む手助けをしてくれているのだと感じる。
魔物はどう見ても気まぐれにあちらへふらふら、こちらへふらふらと歩いている。エサを見つけるとは首を森の中に突っこんで食べているが、急に何を考えたのか東の方へ顔を向けて歩き出した。
肩に乗って見ているラジュエルには、魔物とほぼ同じ視点で景色が見える。山に向かって緩やかにつづく起伏を、東へ向かって下るとヴァリーニャ河周辺の平地に出る。そして平地には村があり人間が住んでいる。
「まずいな」
思惑とうらはらに魔物はズシンズシンと足音を響かせて東へ向かってゆく。
耳にコーンと聞きおぼえのある音が遠くに聞こえた。木こりがいる。どこかこの森の中に。魔物がそちらへ向かわなければいいが。
魔物はわざわざ人間を襲いにはいかないだろうが、進路にいれば躊躇なく踏みつけるだろう。そしてその人間が怖がって大声を出したり攻撃したりすれば、魔物を刺激することになり、かえって攻撃を招いてしまうだろう。
どうする。先回りして木こりに危険を知らせるか。それとも獣使いならではのもっといい方法が何かあるのか?
「だめだ、そっちに行っちゃ。……どうしたらわかってくれるんだ」
獣使いだからこそできること。獣使いにしかできないこと。いったい何だ。
「師匠、教えてください」
すぐとなりに宙に浮かんだダッジオ師が現れる。
「落ち着け、ラジュエル。おまえにはわかるはずだ。羊たちを導くときはどうする。牧羊犬の信頼をつかむためにはどうする。人間以外の生き物たちとの信頼関係は種類によってちがう。頭のいい生き物ほどうまくすれば簡単にできるが、こいつはどうもそうじゃないな」
「犬は簡単ですよ。もともと群れの生き物だから。僕らが彼らのリーダーだとわからせればいい。羊は臆病だからその性質を利用するんです。そうか。生き物の性質をよくわかってないといけないんですね。竜はなんだろう」
粗暴で凶暴というイメージがある。しかし人間を助けたこともあるとの記述もあった。この魔物は基本的に草食のようだ。草食の動物にはだいたい敵がいて、敵から身を護るために群れで行動する。草食でありながら敵がいないほど巨大な身体のもの……。
「バイソンみたいなものか」
それよりはずっと大きいが。
「おい、そっちじゃないぞ」
魔法を使ってぴしりと鞭で打つような刺激を与えてみる。魔物の背中がぴくりと動く。刺激は感じたようだ。
「おまえのエサ場は西の方だ。こっちの方が森が深くておいしいものがたくさんある。そっちに行っても木は少ないし敵もいる。戻れ」
わかったのか、東に向かう度に痛みを感じるためか、魔物は大きく首をふって向きを変えた。首をふるときにずり落ちそうになったが、そこは浮遊魔法のおかげで振り落とされずにすんだ。
ようやく魔物がまた森の奥へ向かう。ほっと息をついてとなりに浮かぶ師匠にたずねた。「もう僕も降りてもいいでしょうか」
「ああ」
今度は羽を広げて飛び地面に着地する。狼も肩からほとんど飛ぶように駆け下りてくる。グオ、と小さな声をあげて魔物が見下すが、その目に敵意はなかった。むしろ近くに自分がいることを不思議そうに見ているようだ。
「わかるかい? 君の生きる場所はここなんだ。そっちに行っちゃだめだ」
話しかけると巨大な首を下げて頭をすぐ近くに持ってくる。
「僕は味方だよ。君のために言ってる。これからも向こうには行っちゃいけないよ」
顔に手をあてて話しかけると納得したように頭をうごかす。
懐いていると言えるのかどうかまだわからないが、少なくとも攻撃対象にはなっていないのがわかる。これが時間をかけて培われた本物の信頼関係なのかどうか判別はつかないが、ともかく従えることができた。
「とりあえず今回はなんとかなったみたいですけど、魔物がこれからも人里に下りてこないとは限りませんよね。僕は都に帰らないといけないし、どうしたらいいんでしょう」
「ううん。そうだな……」
師匠もいい考えがないのか腕を組んで難しい顔をしている。
「境界を設ければいいのではありませんか?」
ふいに声がしたと思うとモルジェニカがすぐそばに来ていた。
「境界? 人間の住むところと魔物の場所と?」
「そうです。昔はよく境界を設けていたと聞いています。そして人々は境界を守り手入れをし、魔物の領域には近づかないようにしたものです」
「そうすると人間が木を切りに行ったり狩りに行ったりする土地は狭くなってしまうかもしれませんね」
「そこは仕方のないことでしょう。お互い様です。それで魔物と人間とが諍いなく暮らし続けることができるなら」
「そうですね……」
せっかく魔物と信頼関係を持つことができた。チェルザードの竜のようにこのまま魔物の背中に都まで乗って帰ったら、みんなをびっくりさせることができるのになあなどと夢を持っていたが、たしかに都に行く前に魔物を見た村人たちは驚いてしまうだろう。
「おいおい。子供みたいなこと考えてるんじゃねえぞ」
ダッジオ師が笑って肩をぽんとたたく。どうやら見透かされていたらしい。
「わかりました。境界の張り方を教えてください」
「今は私が力を貸しましょう。でも、こういうことは、これから次々と起こってきます。いつも私たちに頼っていてはいけないでしょうね」
「はい。それは……そう思います。できるだけ頑張ります」
「ラジュエル。おまえは確かに『風』の力を手に入れて強い魔法を使えるようになった。でも、国は広いし魔物はおそらく無数にいる。そのすべてをおまえが引き受けるというのは現実的じゃないぞ」
「ええ。でも、どうしたら。『学びの塔』のみんなに僕みたいに『谷間の風のはじまるところ』に行って『風』の力を手に入れてもらうんですか?」
「それも現実的じゃない。だいたい『学びの塔』にいるような貴族のぼんぼんが苦労して魔物だらけの森を抜けてここまで来ると思うか? おまえみたいに純粋に魔法を極めようとしてる学生ばっかりじゃない。大多数は魔法学士の称号を肩書きにして地元でそこそこの魔法を使って領主や神官や博士に収まろうとしてるんだろう」
「みんな、そんな目的だったんですか」
言われてみればミリュウのような学生は真剣に魔法を学ぶだろうが、スティーノやカディオルはもともとは貴族で、親の後を継ぐ教養のひとつとして魔法を学ぼうとしているのかもしれない。
「じゃあ、そういう数少ない学生を集めて『風』を手に入れてもらう?」
「必ずしも『風』を手に入れなくてもいいかもしれませんよ。そのためにはあなたがまず都に帰り、新しい思想をもたらす必要があります」
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