第十八章 『見えない敵』だったもの 其の三
今度はすこし遠い。移動するとき、植物に邪魔されないのはこんな深い森の中では本当にありがたいことだ。
「モルジェニカ、ありがとう。助かります」
くすくすという風のような笑い声が近くに聞こえる。
――大丈夫ですよ、ラジュエル。こちらのことは任せて。
心強い返事が返ってくる。
「ついでにもうちょっと助けてやってくれんか。あの化けもんをちょっとでいいから足止めしたい」
――そうですか……。
ダッジオ師の依頼に今度は戸惑うような声が返る。さすがに大きな木々をあっという間に踏み散らかしてしまう魔物を植物魔法で止めるのは厳しいだろう。
「いや、僕、自分の力でやります。道を走りやすいようにしてくれれば十分です。これが平地だったら思う存分走れるし」
――私にできないとお思いですか?
むっとしたような声が聞こえたと思った刹那、ものすごい音がした。
ビュウビュウと風が鳴る。あたりの景色がみるみる変わっていく。
目の前が緑で覆い尽くされた。木々がシュウシュウと音を立てて巨大化していく。信じられない速さで伸びる枝と枝が絡み合い、魔物の周りを檻のように取り囲む。
自由を奪われた魔物は怒って、ギャアギャア叫びながら尻尾を振り回して暴れる。が、その尻尾も木々に阻まれて大きくは動けない。
「これほどの植物魔法が……。すごいです」
ふふっと勝ち誇ったような笑い声がする。
「ラジュエル、今だ!」
「はい!」
声より先に走り出していた。
魔物に触る。それからどうする。もっと聞いておけばよかったと思ったときには巨大な尻尾にしがみついていた。今まで乗ったどんな竜より硬くトゲトゲした鱗に覆われている。「師匠!」
「おう!」
尻尾のすぐとなりに師匠の姿が急に現れる。
「魔力を!」
思い切り魔物に向かって注ぎ込む。どうやって、とか何をとか考えるヒマはなかった。ただ師匠が自分の力をコントロールしてくれることを信じる。
ぱあっと光が目の前にひろがる。ざらついた魔物の感触がふわりとゆるむ。
『風』の力だ。自分の中にたまっている『風』が魔物に流れ込んでいるのが感じられる。 広がった光が今度はシュウッとしずかに一点に収束していく。視野の中心に光が残り、周辺から徐々に現実の景色が現れてきた。
その中心に師匠の姿が見えた。『器』にする、という意味が自分にはよくわかっていなかったが、師匠は正しくその役割を果たしてくれたのだろう。
思った途端、自分の意識も遠く飛んだ。どこか遠くで、ずどおん……と何か重いものが倒れたような音が聞こえた。
気づいてみると魔物の動きが止まっている。どのぐらい時間が経ったのだろうか?
「師匠、大丈夫ですか」
魔物の尻尾にまたがっているダッジオ師に声をかけると、
「おまえの方が大丈夫じゃなさそうだぞ」
と言ってダッジオ師は魔物の背から降りて、まだぐったりしてるラジュエルを助け起こした。
「大丈夫です。ちょっとクラクラするけど」
「おまえの中の『風』を流し込んだからだろう」
起き上がると少し頭痛がする。ほっとすると同時に、すこし悲しくなった。
「僕、せっかく手に入れた『風』を全部このことに使っちゃったんでしょうか」
ここまでこんなに頑張ってきたのに。都に持ち帰らないと行けない『風』を魔物一頭倒すのに全部使ってしまったのだろうか。
ダッジオ師は軽く笑った。
「心配するな。おまえが行ったのは『風のはじまるところ』だ。始まりというからには、その根元のところを手に入れているはずだ。一時的に力が枯渇してもまた満たされる。そういうものだ」
言われてすこし安心する。
「それで、この魔物、死んじゃったんでしょうか?」
「いや、死んでない。命が感じられるだろう」
「命が?」
言われて静止している魔物の身体に耳を当ててみた。
どっくんと鼓動が聞こえる。ひどく遅い。
「なんか鼓動が遅いですね。弱ってるのかな?」
「当たり前だ。これだけガタイがでかいからな。小さい生き物ほど心臓の鼓動が早いのは知っとるだろう」
「ああ、そういえば」
経験で知っている。狼の鼓動は子猫よりも遅かった。こんな大きな魔物にも、獣たちと同じような心臓があるのか。
「それで、この魔物はこのままずっとここで寝ててくれるんですか?」
「いや、そうじゃない。死んだのでなければずっと眠り続けるということはありえない。考えてみろ。このまま目を覚まさずなにも飲まず食わずじゃ、いずれ死ぬ。それは殺すのと同じことだ」
「殺すわけじゃないんですか?」
「おまえが国中の魔物を全部、退治して回るのか? これから一生をかけて?」
「……そうか。魔物はこいつだけじゃないってことですよね」
「人の心を操作して、魔物たちを『見えなく』する前の時代には、こんな魔物たちが国中のいたるところにいたんだ。俺も生まれる前だけどな」
「その時代の人たちは、こんな魔物たちにしょっちゅう襲われてたんでしょうか。どうやって生活してたんでしょうね」
「そうだな。よく知らんが、その時代も人間もちゃんと生き残っていたんだ。魔物と人間となんらかの形で共存していたんだろう。そもそも魔物の主食が人間ってわけじゃないからな。たまたま出くわしちまえば人間を襲っただろうが、人間を食おうと思って人里を襲う奴はそう多くないはずだ」
「そうか。野生のクマや狼だってそんなに人里にしょっちゅう出てくるわけじゃないですもんね。棲み分けみたいなのができてたのかもしれませんね」
「ああ。だいたい、この魔物は今いきなり出てきたんじゃなく、そもそもここに元からいたんだ。『見える』ようになっただけで。だから、魔物の行動そのものが変わる訳じゃないと思うぞ。むしろ、『見える』ようになった人間の側が慌てるだろう。そっちの方が問題だ」
そうか。前途に希望が見えた気がしてラジュエルは立ち上がった。
「じゃあ、魔物が見えるけど心配しなくていいって地元の人たちに教えてあげたらいいですね」
おまえは阿呆か、と師匠は呆れたようにぽん、と手をたたいて埃を払った。
「どこまでめでたい奴なんだ。いきなり見ず知らずの奴がやってきて、魔物がいるけど心配ないなんて言ってみろ。頭がおかしいか怪しい詐欺だと思われるのがオチだ。運がよけりゃ無視されるだけだが、あんまりしつこく主張するとたたき出されるぞ」
「そうですか……」
「っんとに世間知らずだな、おまえは」
わっはっはと大声で笑い、師匠はわしわしとラジュエルの頭をひっかきまわした。
「俺たちは獣使いだ。獣使いにできることをするしかない」
「っていうと?」
狼とヒグマがやってきて魔物の臭いを嗅いだり、あたりを歩き回ったりしている。
そういえば狼もヒグマも、最初から『力あるもの』としてラジュエルの前に現れたのだった。狼はアルダムド師が、ヒグマはダッジオ師が訓練をつけてくれた。ラジュエル自身は何もやっていないことに気がついた。
「魔物に教え込む。人間は襲うものではない。人間に関わるな。その方がおまえたちの為になるのだってな」
「獣たちを訓練するみたいにですか」
「そうだ」
魔物のゴツゴツした鱗を、手でそっと撫でてみた。
「懐いてくれるのかなあ、あのチェルザードの竜みたいに。こんな魔物、連れて歩いたら楽しいかもしれませんね」
「ほんとに馬鹿だな。なんてこと考えるんだ」
ダッジオ師は笑ったが、怒っているようには見えなかった。やがて師はぽつりとつぶやいた。
「そういう奴だったんだろうな、最初に竜に乗ってやろうと思ったのは。おまえみたいな奴がいたから、竜は魔法使いたちの乗り物になることになったんだ」
「『学びの塔』に来てファードル師が竜に乗るのを見たときには驚きましたよ。それで感激したんでした。ファードル師のことは苦手でしたけど、あの事故は本当に気の毒でした……」
「ああ。だがおまえが気に病むことじゃない。あれほどの魔法使いだったのに、用心を怠った。おまえは同情するより、教訓にするべきだ。いくら力があり安全だと思える場所にいたとしても常に敵には備えておくべきだと」
思い出したのかダッジオ師も額に祝福の星印を描いて一度黙祷する。
「モルジェニカが、魔法使いと人間との境界はあいまいと言ってましたけどファードル師は『全きもの』にならなかったんですか?」
「おまえに彼は見えないだろう。それが答えだ」
よくわからない。少なくともダッジオ師のようにもう一度彼に会いたいと思うわけではない。会いたくないから会えないのか、『全きもの』になっていないのか。それならばファードル師に会いたい人たちも彼には会えないのか。
「よくわからないことが、まだまだたくさんあります」
「当たり前だ、馬鹿もん。なにもかもわかってる奴なんているか。エスケレス師だって、世の中の魔法についてすべてご存じなわけじゃないんだ。だから学び続けるんだろうが」
そう言われてちょっと安心する。
ぐおおといびきのような咆吼が聞こえた。尻尾が大きくばたんと動く。魔物が目を覚まそうとしているのか。
「動き出しそうですね」
「そうだな。また暴れると厄介だ。今のうちに術を施しておこう。行くぞ」
「行くぞって、師匠、どうするんですか」
阿呆か、と言いかけてダッジオ師は気がついたようだ。
「そうか。おまえは野生の獣を最初から調教したことがなかったな。野生の獣と俺たちが飼っていた獣は信頼関係がちがう。飼っている奴はどんなに強くても人間を信頼している。毎日エサをくれるのは人間だからな。野生のものはそもそも人間のことを知らないか知っていても敵だと思っている」
「うーん。どうしたらいいんですかね。毎日エサをやる?」
ぷっと師匠は吹き出す。
「悪い手じゃないが、それじゃ何日もかかる。こんな魔物はこれからも何頭も出くわすだろう。なんか方法を見つけた方がいい。そこの、信頼関係の部分だな」
「そんな便利な魔法があるんですか?」
ワクワクしてたずねた。それができるなら、どんな獣や魔物とも仲良くなれる。
「わからん。ただ、生前に考えていたことがある。人間の心理魔法を勉強してたときだな。心理魔法はケーファ師のお得意だ。だがあれはケーファ師だからできたのかもしれんが」
「そうですね。ケーファ師はみんなに信頼されてました。お人柄だと思いますが。で、それを獣に?」
「ああ。やってみなきゃわからんが、そんなことができるとしたら俺かおまえしかいない」
「チェルザードの乗ってる竜は?」
「あれは矮小種だ。もともとが大人しい。こいつは『見えなく』させられたぐらいだから、性質が獰猛だと思う。犬だって猟犬になる種から愛玩用のまでおるだろう」
「そうか。でも猟犬だってしつけることは可能なんですよね」
「その獣の持っている性質にもっとも効果のある方法を探す」
「はい。それで、どうやるんでしょう」
言っているそばからまた魔物がごろりと動く。目を覚ましそうだ。
同時に不思議な感覚がわき起こっているのにも気がついた。
自分の中に、うきうきした楽しさがある。これからジュートと遊ぼうと思うときのような、怖さのない純粋な喜びの感情が。
ふとこちらを見た師匠の顔に笑みが浮かぶ。
「『風』がよみがえってきたな。今度は魔物を抑え込むんじゃない。今までおまえが信頼関係を築いてきた人たちや獣たちのことを思い出すんだ。愛情……ってのか、その関係性を凝集してこいつに注ぎ込む。できそうか」
「やってみます!」
―――――――――――――――――――
今週も読んでいただきありがとうございます<m(__)m>
来週もよろしくお願いいたします(^^♪




