第十八章 『見えない敵』だったもの 其の二
「この森にあんな魔物が……。やっぱり魔力の強いとこにはまだまだ危険な魔物がいるんですね」
「そうではない、いや、そう……とも言えるか。ラジュエル、おまえのせいなんだ。おまえが生身の身体に『風』を持っているから」
「えっ? 僕が悪いんですか? あんな魔物をおびき寄せてしまったのはぼくのせいだっていうんですか?」
ダッジオ師は厳しい顔で目を伏せた。
「おびき寄せたんじゃなく魔物は以前からいた。だがみんな知らなかったんだ。やつらは『見えなく』なっていたからな。それがおまえが『風』を持っているせいで、ある種の魔法が解けて昔ながらの魔物の姿が見えるようになった。別に魔物が新しく現れたわけじゃない。人の目から隠されていただけだ」
「あんな巨大な化け物が……。昔、僕が地方の街で戦った魔物も『見えない敵』だと言われました。あんなに怖ろしい魔物と戦ってたんでしょうか。僕が……というより、あのときはジュートが戦ってくれたんですけど」
「魔物もいろんな奴がいる。だが、『見えなく』なっている奴ほど性質が悪い。結局のところ簡単にやっつけることもできなくて生き残ってた魔物を、マルリオスやらが練り上げた物理魔法で人の目から隠してただけなんだから」
言われてなんだか暗い気持ちが沸き起こってきた。
「さっきトゥーリオ師が、都には来ないでくれって言ってました。こういうことなんですか? 僕がいることで、こんな怖ろしいものたちを現してしまって、かえって悪い世界にしてしまうってことなんでしょうか」
「悪いと言えば悪い、いいと言えばいい。連中は見えなければいいということで、今まで放置してきた。どっちがいいかは考え方次第だ。見えなければ知ることはできない。だが人々は知らない方がいいのかもしれない。見えれば怖れる。怖れが悪いものを呼び起こすこともある」
はじめてラジュエルは、ここにやってきたことを後悔した。
こんな怖ろしい魔物を見えるようにしてしまったのが、ほかならぬ自分だと、師匠は言う。おそらくその通りなのだろう。
今までいろんな人に励まされて、『谷間の風のはじまるところ』にやってきさえすれば、困っている人たちを助けることができてみんなを喜ばせることができるのだと考えていた。こんな状況ではかえって迷惑をかけてしまうのではないか。
「僕、やっぱり都に帰らない方がいいんですね……。こんな化け物を都に連れてってしまったら、パニックが起きちゃいますよ。みんな僕に都に来てほしくないですよね……」
――しかし、これが真実なのじゃよ。
エスケレス師の声が、すぐそばでする。
「真実……。僕がするべき『導き』というのは、その真実をもたらすことだったんですか?」
こんなのは嫌だと思う気持ちと同時に、これでよかったのだという心の声もする。エスケレス師がゆっくりとうなずくのが、姿が見えなくても感じられる。
「見えなくても存在するのは真実、でも見えた方がずっといい……」
『全きもの』の人々も、今まではときどきちらりと見えていただけだったが、こうして一緒にいることが今は信じられる。信じられてはいるが、それでもダッジオ師が現れてくれたように、見えているのが一番いい。
「僕、あの魔物を倒した方がいいですよね?」
なんだと、とダッジオ師が眉をひそめた。
「あれは竜の仲間みたいなやつだ。翼がないし飛ばないからトカゲみたいに見える。翼のある竜は、なんちゅうか、かっこいいからな。翼のある竜で人間に従う奴は残してある、つまり目に見える。だが翼もなく人間に従順でないやつは存在価値がない。といって倒すのは大変な労力だ。化け物を倒すより人心を操作して見えなくする方が今の魔法使いたちにとって簡単だった。そういうことだろう」
「倒すのは大変ですか……」
「大変だから、今まで何人もの『竜退治』の英雄が伝説に残ってるんだろう。まあ、そういうのは英雄として名前を残したい奴に任せるのがいいかもしれんな」
竜退治の物語はいくつも聞いたことがある。聖ブラーノ、聖アルダロス、聖ジョヴァン……子供のときに旅の吟遊詩人から教えてもらったり、村の長老たちが部分的に物語ったり、つまり体系的にではなくなんとなく知っているおとぎ話として。
そう言っている間にも、どおん、どおん……と巨大な足音が谷間に響く。
このあたりは人はほとんど住んでいなさそうだから被害は小さいだろうが、あれが東に向かって人間の村や町に現れたら大変なことになる。
「でも、今の時代、竜退治の英雄なんてほんとにいるんでしょうか」
「まあ、最近の竜は魔法使いの派手な乗り物だからな」
「魔法使い……」
たしかにそうだ。最初は何の疑問も持たず、ただ魔法使いというのはすごい力を持つからあんなこともできるのだなと驚いた。
「師匠、じゃあ、最初に竜を乗り物にした魔法使いは、竜を手なずけたか捕まえたかしたってことですよね。チェルザードやフリーナたちなんかは本物の竜と仲良くしてるじゃないですか。あの魔物だって竜の仲間だったら魔法でなんとかできるんじゃないですか?」
「甘いな、ラジュエル。なんとかできない魔物だから、姿を見えなくして『いない』ことにしてあったんだ。おまえ『禁書』を見たんじゃなかったか?」
図書館でマルリオス師に焼かれたあの文書のことか。
「いいえ。ほとんど見ないうちに、本からマルリオス師が出てきて焼かれてしまいました。その禁書になんか書いてあったんですか?」
「そうか。実は俺もあそこに書いてあることは詳しくは知らん。ただ見当はつく。見えなくされた竜や、竜を従わせた魔法に関する記述だろう。おまえが『学びの塔』の地下に何かいると気がついた」
どくんと心臓が鳴る。
『学びの塔』に閉じ込められているあの鼓動。魂を抜かれたような魔法使いたちの乗りものとして使役されている竜。
「師匠、僕は竜を使うのは獣使いの仕事かと思っていました。師匠は以前、魔法使いは演出のために竜に乗っているっておっしゃってましたよね。でも、あの乗り物の竜はなんだか変です。まるで生きてないみたいだと、僕はチェルザードの乗る竜と比べて思いました」
「生きてない……そうか!」
いきなりダッジオ師は声をあげた。
「ラジュエル、手を貸せ。あいつをなんとかする方法を思いついた。だが『全きもの』の俺ではできん。あいつは生きている魔物だ。生きている魔物には生きているおまえにしかできないことがある」
「はい!」
やっぱり師匠は頼りになる。自分一人でどうしたらいいのか途方に暮れるところだった。 言われるとおり師匠についてすこしずつ魔物に近づく。
巨大な魔物はとくに目標があるのではなく、まるでエサを探して歩き回るようにぶらぶらと歩いているように見えた。
「いいか。殺気を出すな。獣でも虫でもそうだが、野生の生き物ってのはこっちの殺気を敏感に感じ取る。飼い猫にでも近づくような気持ちで距離を詰めるんだ。
「はあ……」
いったいあんな化け物のことを、どうやって飼い猫だと思えるのだろう。だが殺気自体は消せるかもしれない。そもそも自分があんな奴を殺せるとはとても思えない。
どきどきしながら見つめていると、急に魔物が向きを変えた。
「師匠、こっち来ます!」
焦ってダッジオ師の方を見る。
「まずいな……。できれば後ろから近づきたい。なんとか気づかれずにあいつの身体に触れることはできんか」
「もう気がついちゃってませんか?」
どおんと足音が近くに響く。その巨体を支える二本の足の一本が森を踏み木々を倒し地をめり込ませる。
「あれに踏まれたらあっというまに僕も『全きもの』になっちゃいますよね」
「冗談言ってる場合か」
「ぜんぜん冗談じゃありませんよ。一旦逃げましょう……あっ!」
すっとダッジオ師が消えた。
「師匠、ずるいです!」
『全きもの』は走って逃げなくてもいい。一瞬にして同時に、どこにでもいることができる。だから『全きもの』は『いたるところにいる方』とも言われるのだ。
先に逃げてしまったのかと絶望して一生懸命森の中を走る。
幸いなことにまだ植物魔法が効いているのか、木々に邪魔されることはなく全力で走れる。
必死で逃げながら考える。
「まあいいか、どうせ僕が死んでも師匠、死なないし。いや、とっくに死んでるし」
突然、魔物の巨大な足がすぐ近くに着地し、踏み倒された木がバキバキと音を立てて倒れてきた。
「うわ……」
思った途端、後ろからどんと大きな物に衝突された。
突き飛ばされたおかげで木の直撃を避けることができたが、森の中で大きくごろごろ転がってしまった。
「いてて……」
すぐそばにヒグマの大きな顔がのぞきこんでいる。
「君だったのか。助けてくれたんだね、ありがとう」
目を見ると、こっちだというようにうながされる。
その方向に逃げながら魔物を見上げると、どうもこちらを見てはいないようだ。気がつかれたと思ったのは気のせいだったか。どすんどすんと森を破壊しながらそのまま歩き続けている。
「これからどうするんだ。師匠は気がつかれないように魔物に触るとか言ってたよね。あの魔物はなんだか鈍そうだから触ることはできるかもしれないけど、触った途端吹っ飛ばされそうだ」
合流した狼に向かってつぶやく。魔物にとっては自分が触るぐらい、足に虫がとまったほどのものだろう。
「触った途端、吹っ飛ばされるより先におまえの力を直接作用させるんだ」
いきなりダッジオ師の声がすぐそばで聞こえた。
「師匠! あれ? いつのまに……じゃなくて『全きもの』でしたね」
「阿呆。ずっといたぞ。おまえに見えなくなってただけだ」
「すみません、師匠、逃げちゃったかと」
「馬鹿もん!」
ひさびさに怒鳴られてなんだか嬉しくなる。
「もしかして見えなくなったのは僕の方に心のゆとりがなくなってたんでしょうか」
「それもあるかもしれんが、どうも同時に複数の場所にいようとするとそれぞれの存在感が薄まるみたいだ。エスケレス師みたいにベテランになるとそうでもないらしいが」
「そんなものなんですか」
「ああ。俺はまだこの身体になって日が浅いから、あんまり生きてる人間と接触してないんだ。本当は家族にも会いに行きたいが、家族だからこそ、いきなり出たり消えたりすると悲しませるかもしれんと思ってな」
「僕だって悲しいですよ、師匠」
「すまんすまん。だがおまえの方が慣れてるからな、『全きもの』に」
それはそうだ。『学びの塔』でエスケレス師やアルダムド師を見るうちにだんだんと『全きもの』にも慣れてきたと言える。ダッジオ師の奥さんは普通の人だ。戻ってきたと思った夫がまたいつのまにか消えてしまったら、それは悲しいだろうと思う。
「それで、魔物のことですけど、力を作用させるって、どういう風に」
「獣を使うときのことを思い出せ。まずは信頼関係だろうが。だが見ず知らずの魔物といきなり信頼関係を築くのは至難の業だ。だから直接接触する。距離の近さ、接触の頻度、接触の親密さ。獣と一緒だ」
「だけど失敗したら……」
「そこは魔力の集中だ。マルリオスがおまえを空中に飛ばして『器』にしたときのことを覚えているか? あんな風に持てるすべての魔力を一点に集中して方向を定めて放つことで一瞬にして強力な力を作用させることができる」
「でも、僕、そんな練習したことがありませんよ。ぶっつけ本番ってことですよね」
「俺が手伝ってやる。俺のことを『器』にしろ。俺の中でおまえの力を一点に集中し方向を定める」
「でも、あれは結構辛かったです」
「大丈夫だ。もう死んでる身体だ」
「師匠……」
どすん、とまた魔物の足が近づいてきた。
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