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谷間の風のはじまるところ  作者: 猫洞 文月
イラスト大全集
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80/166

第十五章 森の西、そしてさらに谷の奥へゆく 其の五(イラストあり)

挿絵(By みてみん)

(前回、剣術指導いただいた荒木隆在さまからイラストいただきました。ありがとうございます)


 魔物かと一瞬思った。

 だが続く咆哮(ほうこう)を聞いてはっとした。

「ヒグマだ! ジュート、ダッジオ師のヒグマだよ!」

 あの熊には見覚えがある。森の中だが、何度も世話をしてきた熊だ、忘れたとは思えない。

 その熊が誰かに襲いかかっていた。ラジュエルより年上の男だ。チェルザードよりも年上かもしれない。

 男が熊に向かって手に持った杖をあげた。

「危ない!」

 とっさに魔力で男の杖をたたき落とした。

「こんちくしょう、へぼ獣使いめ!」

 自分のことを獣使いだと知っている。やはり『学びの塔』の魔法使いか。都の人々のほかに獣使いと知っているのは『荒野』の人々だけだし、彼らが今更襲ってくるとは思えない。

 その男が再び杖を拾おうとする前に狼が動いた。ラジュエルも走る。しかし狼はやはり速い。

 ラジュエルが男の杖を拾い上げたときには狼は倒れた男の上に乗ってうなり声を上げていた。ヒグマものっそりと男の顔をのぞきこんでいる。

 狼がラジュエルに顔を向けた。とどめを刺していいか、と問うように。

「だめだよ、ジュート」

 ゆっくりと首を振った。

「殺してはいけない。それは道に外れることだと思う。僕はこの男に再び襲われないようにしたいけど、命を奪うことまでは望まないし、するべきじゃないと思う」

 今にも喉首に噛みつこうとしていた狼はしぶしぶ顔を離した。

 しかしどうしたらいいのか。一人で自分を追ってくるほどだから、ある程度力のある魔法使いなのだろう。そんな魔法使いの魔法を封じるほどこちらに力があるわけではない。

 といってここで助けてやったからといって恩義を感じて自分を狙うのをやめるとも思えなかった。 

 チェルザードの言っていた、半端に情けをかけるなという言葉が思い出される。こういう場合こそ徹底的に相手をやっつけておくべきなんだろうか。

「いや、でもやっぱり僕にはこの人を殺すことはできない。個人的な恨みじゃないんだろう? マルリオス師に言われたんだな?」

「そんなことはおまえの知ることではない」

 きれいな標準語だ。やはり都の魔法使いなのだろう。

「とりあえずこの杖はもらっておく」

 杖がすべてだというわけではない。じっさいラジュエルも杖がなくても魔法は使える。しかし杖は魔力の増幅に役に立つ。

 ところがラジュエルが杖を取り上げた途端、杖はぱっと炎を上げ激しく燃え始めた。そのまま持っていたら火傷しそうで手を離すと、みるみる炎は強くなり杖全体が燃え上がっている。

「何をする!」

 魔法使いが悲痛な声を上げたところをみると、自分で杖を燃やしたわけではなさそうだ。

「僕じゃない。僕には魔力のある杖をこんな風に燃やすことはできないと思う」

「じゃあいったい……」

 木々がざわめく。風もないのに。

「この森には何かがいると思わないか。それが何か知ってるか?」

 魔法使いは答えない。顔が青ざめているのは狼に踏まれているためだけではなさそうだ。

「化け物……」

「化け物?」

「この森には化け物がいる。俺が殺さなくてもおまえはその化け物に殺される、きっとそうだ」

「ジュート、放してやってくれ」

 狼は一度ためらって、それからようやく男の上から降りた。杖はまだ燃えているが男は後も見ず一目散に逃げ出していった。

 追っ手が彼一人だとは思えない。このまま仲間のところに戻って大勢で戻ってくるかもしれない。あるいは別の誰かが襲ってくるかもしれない。

 チェルザードの言ったことが正しかったのだろうか、下手に情けをかけたばっかりにまた『力あるもの』たちに苦労をかけることになってしまうのだろうかと悩みながら山の中を進んだ。あのヒグマもあとからついてくる。

「僕と一緒に来てくれるの? 嬉しいけど、前に獣舎にいた獣たちは大丈夫なのかな。みんな森にいるんだろう?」

 返事はない。あまりに狼と一緒にいすぎて、獣は会話ができないということを忘れてしまうことがある。あきらめて前を見て、また歩き続けた。

 これまではただ『谷間の風のはじまるところ』にたどり着くことだけ考えていた。しかし今は気が重く歩みものろのろして進まない。

 いったいそこには何があるというのだろう。ラジュエルにそこに行かせたくないなら、もっと正面から止めればいいではないか。夜中につけ狙ったり後ろから矢を射かけてくるなど、こっそり口封じをしようとするのが気にくわない。

 『化け物』のことも気になる。魔物ではなく『化け物』とあの男は呼んだ。

 得体の知れないものはみんな魔物なのだと思っていた。しかし、魔物とは獣のようにはっきりと形を持つ存在で、獣とちがって魔力を持っていたり、獣にはできないことができるものだと『学びの塔』にいるうちにわかってきた。

 だが、あの男の言った『化け物』とは、得体の知れない力を、姿も見せずに発揮する相手のようだ。

「精霊とはちがうのかな」

 杖が燃え上がったとき、木々がざわめいた。木のざわめきは昨夜眠るときにも聞いた。あれは木の精霊だと思ったのだが。

 ちらと狼がラジュエルを見上げる。狼は知っているのだろうか。会話ができないのがもどかしい。だが狼の足取りはしっかりしている。本当に危険なものなら狼がこちらに連れてくるわけはないだろう。

 

 その日も河に出て魚を狙った。今日はヒグマがいるのでヒグマが魚を捕ってくれた。もちろんヒグマ自身と狼の分も。

 バシッと水の中から前足を使って魚を跳ね上げるのが見事なので、ラジュエルも歓声を上げながら見物していた。

 ヒグマはさすがに狩りが上手で、今日は昨日よりたくさんの魚が食べられた。

「こんなにもらっちゃっていいの? 君の分は足りる?」

 ヒグマが気にしないので遠慮なくもらった。持たせてもらったエールはそろそろなくなりそうだ。新鮮な魚はおいしく、パンと河の水と途中見つけた果物で豪勢な食事をとった。

 ヒグマのおかげだろうか。まるでダッジオ師がそばにいてくれるような不思議な安心感がある。

「『谷間の風のはじまるところ』に近づくにつれ危険になると思ってたけど、君たちがいるからなんだか楽しい旅してるみたいだよ。来てくれてありがとう」

 河の水をエールの入っていた木筒に入れてまた森の中を歩く。

 ヒグマは頼りになる仲間だった。大きな木を揺すって実を落としてくれたり、一度はハチミツをとってきてくれたりした。ただ、ハチミツには大量のミツバチがくっついてきて追い払うのに一苦労だったのだが。

 前人未踏の山の中かと思っていたが、ところどころ人か獣が通った後のような道がある。そのたびに周りの木に注意を払い、おかしな模様が刻みつけられていないか確かめた。少なくともあの日見たような模様はなさそうだった。

 夜寝る前には必ずあたりをしっかり見回り、獣たちに人間の匂いを嗅いでみてもらう。木々の精霊と会話ができるわけではないが、樹木に手を当ててできるかぎりあたりの気配を感じ取ろうとしてみる。

 数日は何ごともなく、ただ森の中を進んだ。

 秋が近づくと夕方に雨が降ることが多くなる。昼間はいいが寝るときに雨が当たるのは嫌なので、河と山あいの近くに見つけた岩のくぼみや洞窟に入って眠ることもあった。ときには道をもどって安全なねぐらを確保したりもした。

 確実に山の高い方へ向かっているのだが、足どりはななかな進まない。

  『化け物』とあの魔法使いは言ったが、たしかにこの森には何かがいる。木々の間からじっと見つめられている気配がするが、振り向くと何もいない。

 ふと、『見えない敵』のことを思い出した。本当に質(たち)の悪い魔物は姿が見えない。ボルードのいたあの街で戦った魔物は、姿は見えなかったが、明らかに暴れているのがわかった。この森では暴力も見せず、ただその息づかいだけが聞こえてくる。

 

 急に前を行く狼が鼻をひくつかせた。後ろについていたヒグマがとなりに並ぶ。何かを嗅ぎつけたのか。 

 ひゅっと横の茂みから兎が跳びだしてきた。

「夕食だ!」

 嬉しくなって後を追おうとすると、ぐい、とヒグマが後ろから服の裾を噛んで引き戻す。

「どうしたの……」

 次の瞬間、あまりの驚きに息を呑んだ。

 目の前に巨大な塊があった。見るとそれは巨大な蜘蛛で、不気味な複数の目をぎらつかせ、その八本の足に兎をしっかりと捕らえていた。顎から左右に鋭く大きな牙がのぞいている。出てきたときと同じように、あっというまに蜘蛛は後方の地面の穴に捕らえた兎ごと素早く潜ってしまう。

 狼はすんでのところで脇によけて助かったようだ。もしヒグマが止めてくれなかったら、自分がその大蜘蛛のエサになっていたかもしれない。

「逃げよう」

 ヒグマと狼をうながし、もと来た道を帰ろうとする。狼が穴の方を睨んでうなり声を上げた。目の前の穴から微かな音がする。

――もう一度来る!

 とっさに杖をかまえた。

 ギャンと声がした瞬間には、再び現れた大蜘蛛が狼を捕らえていた。

「ジュート!」

 ほとんど意識もしないうちに、杖から光がほとばしる。そのまま杖で、狼を捕らえている蜘蛛を打ちすえた。

 蜘蛛の身体に稲妻のような光がひろがる。一度すべての足を痙攣のようにひくつかせた蜘蛛の隙をついて狼は無事逃げ出した。

 しかし次の瞬間にはまた蜘蛛がうごめき始めた。

――来る。 

 急に世界のときがすぎるのがゆっくりになったように見えた。目にもとまらぬ速さの蜘蛛の動きがはっきりと見える。

 そうか、こういうときに剣術が役に立つのか。

 杖をはらう。風を切る。

 打ち込む打撃に渾身の魔法をこめる。

「消えよ!」

 杖を打ち込む。光のひろがる杖に打たれた蜘蛛は、打たれた部分から崩れて形を失っていき、ぱあっと黒い霧のように空気中に散っていった。

「倒したんだろうか?」

 狼とヒグマをかわるがわる見たが、二匹とも今は敵に対する表情をしていないので、きっと倒したのだろう。

――よくやった、ラジュエル。

 またダッジオ師の声だ。

「師匠、怖かったですよ。ジュートまでやられそうになるなんて」

 気のせいだろうか、師匠のわっはっはという笑い声まで聞こえるような気がする。しかし姿は見えない。ただの幻覚か、自分の空想か。

「あれはなんなんです? 魔物ですか? それとも僕のしらない生き物?」

「魔物だよ」

 いきなり声が聞こえて、びっくりして飛び上がりそうになった。


――――――――――――――――――――――――――――

今週も読んでいただきありがとうございます<m(__)m>

来週もよろしくお願いいたします(^^♪

今回、アップの時刻少し遅れて申し訳ありませんでした。







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