第十四章 本物の竜に乗る 其の五
「おっと」
チェルザードはするりと横に身体をよける。身体は大きいが身が軽い。もう一度構え直して打ち込んでみるが、まったく当たらない。
夕方まで訓練はつづいた。チェルザードは自分からは仕掛けてこないのだが、いくら渾身の力を込めて打ち込んでもまったく歯が立たない。
ただ疲れ切ってその日は終わった。
黙って集落の方へ帰るチェルザードにつづきながら、ため息をつく。
いったいいつまでこんなことを続けるのだろう。ちょっとやそっと訓練をしたからといって彼にかなうようになるとは、とうてい思えない。こんなことで、本当に彼らと離れて一人で西に向かうことができるのだろうか。
「どうした? どこか痛いのか」
遅れてしまったラジュエルにチェルザードがふりむいて尋ねる。
「いえ……。考えてたんです。これは本当に僕がやらなきゃいけないことなのか。狼をあなたに返して、あなたがした方がいいんじゃないかって」
チェルザードは足を止め鋭い眼光で射ぬくように見すえ、吐き捨てた。
「なんだと? そんなに簡単にあきらめるのか。おまえの覚悟というのは、その程度のものだったのか。そもそも狼はおまえの所有物か!」
集落まであとすこしというところだったが、彼はそのまま大股で集落に戻り、誰かに命じて一本の剣を持ってこさせた。その剣を、ぽんとラジュエルの方へ投げる。投げられたので必然的に受け止める。
「どうやら、バオス歴以前の方法で決着をつけないといけないようだな。俺は『学びの塔』を出て、『荒野』でそれを知った。つまり『正しいものが勝つのではない、勝ったものが正しいのだ』と」
すらりとチェルザードは長剣を抜く。
「どちらが正しいのか決めようじゃないか。おまえが死ねば、返すの返さないのと悩まずとも狼は俺のところに戻ってくる」
勝てるわけがない、こんなこと言わなければよかったと思ったが、集落の人々がなにごとかと集まってきている。
「僕は……あなたと戦いたいわけではありません」
「剣を抜け!」
「売られた決闘は受けねばならん!」
囲む男たちが口々に叫びだした。最初にラジュエルを殺せと詰め寄ったあの背の曲がった男がにやにやしながら後ろに回った。
「剣を抜けや。ここで断れば俺たちに殺されるだけだ。どうせ戦うなら首領と戦って死んだ方が名誉になるってもんさ」
「そんな……」
誰か味方をしてくれるものはいないかと見回すが、物騒な男たち以外の人々は気の毒そうに遠巻きに見ているだけだ。これが『荒野』のやり方か。
仕方なく剣を抜く。どうすればいいんだ。
身体はさっきの訓練で疲れ切っているが、そんなことは言っていられない。
びゅっと音を立ててチェルザードの剣がうなる。生半可な覚悟なら殺すつもりだったと、言われたばかりだ。もうだめだ、自分は一体何をしていたのだ。
咄嗟に渡された剣を横に構え、かろうじて剣戟を防ぐ。
強い。さっきの訓練は本当に彼にとっては遊びだったとしか思えないぐらい手応えがちがう。
にやりとチェルザードが口元に笑いをたたえた。しかし、これは本気なのだ。戦わなければ殺される。手を抜けば、後ろに控えている彼の仲間たちに襲われる。
ぶん、とラジュエルも剣をふるって攻撃を開始した。さきほどの訓練で、こんなものでは当たらないとわかっていたが、何もしなければ戦意がないとみなされる。その方が危険だった。
ガキンガキンと剣と剣がぶつかりあうが、実力の差は圧倒的だ。たちまちラジュエルは森の木々の手前まで追い詰められた。
ちくしょう、死にたくない、こんなところで死ぬのは嫌だと初めて強く願った。誰かが助けてくれるかもしれないと、実は密かに期待していた。けれども、助けは来そうにない。それならば――。
「大いなる方の御心のままに!」
唱えて打ち込む。ガキンとチェルザードが防ぐ剣の刀身から光がほとばしる。いつのまにかラジュエルの剣にかがやく光が宿っていた。
ほう、と取り巻く人々から声が漏れる。
一瞬、優勢になったように感じた。チェルザードが一歩引く。そこをもう一歩踏み込んで打ち込む。
ガシンと力強い音でチェルザードは剣をなぎ払った。足がよろめいてバランスが崩れる。チェルザードが剣を振り上げる。
だめか、もうだめなのかと思わず目を閉じた。
突然。
ぱあっと目の前に光がひろがる。
死んだのかと思った。それにしては痛くない。おそるおそる目を開けると、目前に大きな黒灰色の塊があった。
「デュカス! 来てくれたんだね!」
狼はラジュエルをかばうように向こう向きで立ち、うなり声こそ出してはいないがきっぱりとチェルザードに敵対していた。
「そこをどけ、ジュート。俺とこいつとが勝負している」
狼はどかない。威圧感と威圧感がぶつかりあう。
唐突に頭の中に声が響いた。
――誰かがまた古い魔法を呼び覚まさなくてはいけない。その誰かが志の良いものであることを願う。
アルダムド師だ。
――いいか。自分を信じるんだよ。おまえに与えられる導きの声は本当に小さいかもしれない。人がなんと言おうと、おまえがそれを導きだと信じられるんだったら頑なに信じるんだ。
婆様の声も浮かんでくる。
「僕は……これが僕の導きならば、僕はやっぱり行かないといけません。だから僕はここで戦わなくてはいけない」
チェルザードの目が驚いたように見ひらかれ、ゆっくりと剣が下ろされた。
「おまえが選ぶのか。おまえが……。俺ではなくこいつを」
その言葉はラジュエルに、というより狼に向けられたもののようだった。
ぷいと急にチェルザードはラジュエルと仲間に背を向けて森に向かっていく。
「首領!」
「誰もついて来るな!」
言い捨ててそのまま、チェルザードは森の奥へ消えてしまった。
ざわめきがラジュエルと狼を遠巻きに包んでいる。やがて集団の中からひょっこり長老が出てきてラジュエルの肩をぽんと叩いた。
「さ、飯にしよっかの」
「あの、チェル……あなたたちの首領はどこへ」
「一人にしてほしいときもあるさな。大丈夫だ」
釈然としない気持ちが残ったが、誘われるままにみんなと火のそばに向かった。狼もとなりを、大人しくついてくる。何ごともなかったかのように。
「デュカス」
みんなに聞こえないぐらい小さな声で狼にそっと言った。
「来てくれてありがとう。でも、彼のためには、ほんとにそれでよかったの?」
気にするな、とでもいうように狼は金色の目を向けた。
なんとなく狼の言いたいことがわかる気がする。
彼には彼の道があり、自分には自分の道がある。狼が戻ってきてくれたのは、ラジュエルを助けるためでもあるが、そのことを思い出させてくれるためのような気がした。
長老はとなりにすわって、女たちのよそってくれるシチューをすすり始めている。ラジュエルも黙って食事にすることにした。
「僕が悪かったんでしょうか」
そっと長老につぶやくと、彼は首をふった。
「いや、首領は戻ってくるよ。悪いだのいいだの、そういうことじゃない。導きというのはひどく個人的なものじゃからの。おまえさんの運命は首領の運命ではない」
ずずずと音を立ててシチューをすすると長老は髭についた汁を手でぬぐった。
「ずっと考えとった。おまえさんにできて首領にできないことはなんじゃろうと。それはな、手放すことかもしれん」
「手放す?」
「首領はなんでもできる。頭もいいし魔力も強く、弓や剣もできる。魔物も獣も従える。普通に考えれば勝てんじゃろが。ん?」
「ええ」
「それなのにアルダムド師っちゅうお方はおまえさんに狼をたくした。首領にその話を聞いてからずっと考えとった。でも今のを見てわかった気がするよ。首領は強い。でもおまえさんは、なんちゅうか、すべてを平気で任せようとする。自分より首領の方がふさわしいと思えば、手に持っている宝に執着せず、よりふさわしいものに渡そうとする。それは世界の理を知るということなんじゃないかと思う。これが、できそうで、なかなかできることではない」
「でも、僕、さっきは死にたくないと思いましたよ」
「あったりまえじゃ」
ふぉふぉと長老は面白そうに笑った。
最初に狼に出会ったとき、狼に喰われると思った。もうこれで死ぬのだと覚悟を決めた。自分の肉体を食べて狼が生き延びればいいと本気で思った。それがアルダムド師に評価された。でも、だから?
「よくわからないんですが」
「うーん。おまえさんは、なんちゅうかな、世界のありのままを体現してるんじゃないかと思う。おまえさんにはごたいそうな力はない。力がないところがええ。首領は何でもできるから人の助けを受け入れない。おまえさんにあって首領にない力、それは周りに助けられることじゃないかと思う。素直に人に向きあい、人の助け、『力あるもの』の助けを受け入れる。それがおまえさんの最大の力じゃよ」
そう言われてもあまり嬉しくないような気がした。確かにチェルザードに比べれば圧倒的に力が足りない。でも、それがいいことだなんて。
結局その晩、チェルザードは帰らなかったようだ。借りている小屋に狼と一緒に入り毛布をかぶってとなりに横たわる狼の毛皮を撫でた。
「デュカス、また君に助けられたね。ごめん」
デュカスが大きな顔を近づけてくる。何を謝るのだとでも言うように。
「『谷間の風のはじまるところ』に行くのは僕に与えられた導きだったのに、僕はちょっとチェルザードに負けたぐらいで投げだそうとした。彼の方が強いしなんでもできるし、ああいう人の方がふさわしいと勝手に考えちゃったんだ。でもそれは、君とアルダムド師が僕を信頼して与えてくれた導きを軽んじることだった。反省してる。もうこんなことはしないよ。僕は彼みたいに強くはないけど、君と大いなる方の導きを信じてがんばるよ」
狼は責めない。優しく顔を近づけてぺろりと舐めてくれた。
故郷の山小屋で、初めて狼と過ごした晩のことを思い出す。ずいぶんいろんな経験をした。けれど、本当の道はこれからなのだ。
厳しいのはわかる。それでも狼と一緒なら頑張れると思う。温かい野生の香りに包まれていつのまにか快い眠りに陥っていった。
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今週も読んでいただきありがとうございます。<m(__)m>
少し少ないので次章の最初を続いて投稿いたします(^^♪




