第十三章 彼らは仲間になるのか 其の三
草原に立つ彼らから少し距離を取って、羽をたたんで降り立った。そこにいたのは10人ほどで、みな服はみすぼらしく貧しい感じだった。
「竜は?」
少年が進み出てたずねた。歩くときに左足を動かしていない。怪我か病気で不自由になったのだろうか。ラジュエルより少し年下のようだが、12歳にはなっているだろう。
「『学びの塔』の竜のこと?」
「そう」
「竜に乗ったままじゃ逃げ切れなくなりそうで、飛んで逃げろと教えられて飛び降りた」
「残念だなあ! せっかく連中の乗魔を手に入れられると思ったのによう!」
すぐ後ろにいた背中がひどく曲がった男がだみ声を上げた。
「逃げろと言ったのは首領か?」
また少年が言う。
「首領?」
「そうだ。我々の首領だ。見なかったか。黒竜に乗っておられる」
背の曲がった男が続ける。
「ああ、チェルザードのこと?」
「チェルザード?」
少年が首をかしげる。話が通じない。
そうか。チェルザードという名前はもはや力を持たな いと彼自身が言っていたが、もうその名前を使ってはいないのかもしれない。そういえば『学びの塔』でも誰かが、彼は名前を変えたかもしれないと言っていた気がする。
「彼は、僕を助けてくれたんだと思う。今はなんという名前なの?」
「……初めはヴァガスと名乗っていた。今はみんな、首領と呼んでる。僕らの中の一番の力の使い手だから」
ヴァガス。放浪者という意味だと言葉学で学んだ。神官の家に生まれて、村を離れて『学びの塔』で学び、結局は『学びの塔』の師匠とも別れた彼らしい名前だ。
「マルリオス師と対決できるぐらいなんだから、相当な魔法使いなんだろうな」
言うと少年は嬉しそうにうなずいた。
「そう。王室魔法団と直接やり合えるほどの実力の持ち主はあの人しかいないよ。あの人が来てからみんな魔法の腕がすごく上がったんだ。すごい人なんだよ」
「彼はいい人? その……みんなには優しいの?」
うん、と少年は勢い込んでうなずく。
「いっぱい魔法を教えてもらった。ほら」
少年は後ろの森の方をぱっと振り向いてさっと手を振る。するとたちまち森のはずれにあったりんごの樹にむくむくと実がなり、すぐに大きな赤いりんごになった。
少年は不自由な足で走って行くと、器用にするすると木に登って、
「ほら」
とりんごを一つ投げてよこした。受けとって食べると、果汁がたっぷり満ちた食べ頃のおいしいりんごだった。
「ほんとだ。すごいや」
「へへ」
少年は樹の上で誇らしげに笑うとまたおりてきた。
「首領が、金髪の男が来るから迎えてやれって」
「おい、待て。まだ迎え入れると決まったわけじゃないぞ。おまえ、敵方の回しもんじゃないだろうな」
背の曲がった男が鋭い目で睨む。
「いや、むしろ追われてると思います。もっと穏便に出てくるつもりだったんだけど……」
言うと男は声を立てて笑った。
「演技がうまいのか? 竜はわざと置いてきたんじゃないだろうな」
「いや。苦労しました。ここまで竜に乗ってこられたらよかったんですけど」
「ふん。まあいい。長老ならわかることだ。来い」
男は森に向かって歩き出す。
その場にいた他のものたちも一緒について行くので、仕方なくついて行った。
森の中に何軒もの小屋がある。小さな村といってもいいほどだ。
この森には何度も来ているが、こんな北の方に来たのは、そういえば初めてだった。ダッジオ師の家は東のはずれにあるし、アンジェニカ師の育てている薬草も東の方にある。 同じ森に『荒野』がこんなに住んでいたとは知らなかった。
何軒かの家には煙が上がっていて煮炊きしている匂いがする。女も子供たちもいる。
背の曲がった男と少年は、ラジュエルを村の奥の方の小屋に連れて行った。
窓は小さく小屋の中は暗い。
奥に座っていた老人は、ラジュエルが扉をくぐると、急に立ち上がって手をパチパチと叩いた。
「やあ。来たな来たな」
声の響きは嬉しそうだった。
「本当によかったんですかい? 長老」
「よしよし。導きの通りだ。座りなさい、ラジュエル」
「僕のことを知ってるんですか?」
驚いて尋ねると、老人はこくこくとうなずいた。
「知っておったよ。おぬしが狼と出会った頃から」
「そんなに前から?」
言われて、部屋にあった木の椅子に腰掛ける。背の曲がった男はもう一つの椅子に座り、椅子はもうなかったので、少年は入口のそばに立った。
目が慣れてくると老人の顔が見えてきた。
薄暗くてはっきりわからないが、もしかしたら目が見えていないのかもしれない。
目の瞳に当たる部分は白っぽく、その部分もきょろきょろと焦点が定まっていないように動く。初めて出会った人にそんなことを尋ねるのは失礼なので黙っていると、老人の方から言い出した。
「見ての通り、わしは目が見えない。その代わり導きを感じる。おぬしのデュカスやダッジオのヒグマの思いも遠く離れて感じ取ることができる」
「本当ですか? デュカスは今どこに? 僕は逃げるとき、ずっとデュカスに導きを願っていたんです。僕の思いは彼に、あ、狼に届いていたんでしょうか」
「届いたとも。できることならデュカス自身が駆けつけたかったと思うぞ。だが、狼は空は飛べない。竜には竜で対抗するのがよかろうと首領が出陣したというわけだ」
こんなところで、獣学に近いことができる人に会うとは思ってもみなかった。
彼が信頼できる人かどうかまだわからないが、ダッジオ師のことも知っていると聞いて嬉しくなった。
「ダッジオ師をご存じなんですか? 彼は今、生きているんでしょうか?」
「わからん。少なくとも気配は感じない。いや、たまにそれらしいものがふっと流れてくることがあるがはっきりしない」
「そうですか……」
これほど物知りな人なのにダッジオ師の気配を感じない。やはり師匠はもうこの世の人ではないのだろうか。
黙っていると老人の方から、
「おぬしは感じるのか」
と尋ねられた。
「感じているのか……たまに師匠の声が聞こえるような気がするんです。何をぼうっとしとる、とか叱られたり」
「かわいがられとったからな」
「ダッジオ師に会ったことがあるんですか?」
なぜいろいろ知っているのだろう。
「あいつのことは子供んときから知っとるぞ。むしろ『学びの塔』に入ってからはあんまり会っとらん。俺の方からはわかるが、向こうが俺を覚えとるかどうかはわからん」
「子供のときから?」
「俺は森の民だからな。あいつの親がヒグマにやられたことも、アルダムドが連れて行ったこともよう覚えとる」
森の民――。
会ったことはないが、その名は耳にしたことがある。
ラジュエルの故郷のもう少し南にも森の民はいると言われていた。
遊牧や狩猟で生計を立て、ときには焼いた炭、乳製品や毛皮を村人たちと取引して森の生活では手に入らない鍋や包丁を手に入れる。人によっては略奪や強盗のようなこともすると聞いた。
「その、あなたはいろいろ知ってらっしゃるけど、どうやって知るんですか? 誰からそういうこと聞くんですか?」
ラジュエルの質問に背の曲がった男がおかしそうに嗤う。
「おまえは『学びの塔』にいて何を教わってたんだ」
「しょうがない。今の『学びの塔』ではそれだけのことしか教えとらんのだろう。ラジュエル、では訊くが、おぬしは人から聞いたこと以外はわからんか? 獣たちや大地、大空からの声は聞こえないか」
「あっ、はい……」
それは『学びの塔』に来る以前、『喜びの門』をくぐる直前に感じたことだった。
大地が、空が、自然そのものがすべて語りかけてくるようなあの感じ。それは羊飼いとして草原で寝泊まりしていた頃には当然のように感じていたことだった。
『学びの塔』に入った直後は、そういう感じがないことに違和感を覚えた。町の中で過ごすうちにいつのまにか、ないのが当然だと思うようになってきていたのだ。
「そうだろう、そうだろう。おぬしにはもともと力があったんだ。だから『学びの塔』に行くのは無駄だと首領が誘いに行ったのに」
「僕が『学びの塔』に行く途中に?」
チェルザードと初めて出会ったときのことは忘れられない。
そして『学びの塔』にいたときも、何度も彼のことが頭をかすめた。自分は悪い魔法使いに誘惑されるような悪い心根をもっているのかと悩みもした。
たくさんの信頼できる人たちが、『荒野』は悪いと言った。ラジュエルを殺し狼を奪うだろうと。
「……『荒野』は悪いとあちこちで聞きました」
「長老、こいつ、本当に生かしといていいんですか?」
背の曲がった男が口をはさむ。老人はまあまあと男をなだめ、口元に笑いをうかべた。
「悪いとは誰にとって悪いということか。体制にとって都合が悪いということじゃないのか。たしかに『荒野』と一口に言っても悪い奴らもいる。魔法を悪用して己の欲望のためだけにあくどいことをする奴らもいるのは知っている。『荒野』は一つの集団の呼び名ではないんだ。王侯貴族に仕えるのでもない、『在野』として村に住んで村人のために魔法を使うのでもない、いわばはみ出し者の魔法使いはみんな『荒野』と呼ばれる。よくわからん奴らを信用するなというのは悪い忠告じゃないぞ」
「じゃあ、チェ……あなたたちの首領は悪くないんですか? でも、『学びの塔』にいたとき、『荒野』の連中の攻撃を何度も受けたと聞きます。それで亡くなった学生もいた。僕はてっきりあなたたちが僕らを殺そうとしていると思ってました。ダッジオ師も『荒野』の仕掛けた仕掛け魔法で亡くなった」
「ダッジオが死んだのは残念だった」
急に戸口からチェルザードのよく響く声がして、驚いてふりむいた。
「首領。お疲れ様です」
座っていた男が立ち上がって軽く礼をした。
「みんな戻ってきている。休ませてやってくれ」
「はい」
背の曲がった男は機敏に小屋を出て行き、替わって入ってきたチェルザードがどかりと老人の前の椅子に座る。
「爆発事故以来だな、ラジュエル。竜を盗んで逃亡しようとはなかなかのものだ」
片方しかない眼でぎろりと睨まれると、捕らわれたように緊張する。
「盗むつもりじゃなかった。ちゃんとかえそうと思っていたんだ。他に方法がなかったから」
言い訳がましく聞こえるだろうなと思いながら答えたが、彼は低く笑った。
「マルリオスの邪魔立てに負けなかったことを、よくやったと言っているのさ。ただの腰抜けだったらその時点で諦めていた。もっとも、腰抜けならそもそも奴が敵視することもなかったんだろうがな」
「どうして僕が敵視されていたのか、わからないけど……」
やはり敵視されていたのだ。今まで出会ったこともない『荒野』の連中がそこまで知っているのは妙な気分だった。
「そりゃ、おぬしがマルリオスが喉から手が出るほどほしがってる『力』を持ってるからだよ。奴はおまえが妬ましい。と言って殺してしまったのではおぬしの持っている力を奪えないからな。いろいろ苦労しておったようだな」
くっくっと老人はおかしそうに笑う。
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