第十二章 再び西へ 其の一
第十二章 再び西へ
『谷間の風のはじまるところ』――。
ダッジオ師の奥さんに言われてからずっと、その言葉が頭の片隅に引っかかって離れない。
講義を受けている最中も、夜ベッドで一人、狼のことを考えているときも。
『学びの塔』の講義室は、塔の壁に沿って東西南北が見渡せる位置にそれぞれある。最近は講義の内容よりも、西が見える講義室を、いつしか選んでいる自分に気づく。
ファードル師のあとは、やはりケーファ師が施設長に任命され、『学びの塔』は一見落ちついたように見える。
季節は春、またミモザの花が咲く季節になっていた。
ミモザの香りがただよう街をミリュウとゆっくり歩くことも増えた。
でもこの先、自分がどうするか決まっていないのに、彼女にこの先のことを言うこともできない。
いや、自分の中では決まっているのだ。
西へ旅立つ――。
故郷へ帰るのはその後だ。
でも、いつ旅立つのだろう。
ぼんやりと窓から、師匠の一人が竜に乗って空をゆくのを見守る。
アンジェニカ師と竜に乗って森へ行ったのは、まだ去年のことなのに、ずっと前のことのように思える。
急に、目が覚めたように気がついた。
あれは、野生の竜じゃない。
竜に野生と飼い慣らされたものがあるのかどうかわからないが、少なくとも、伝説で聞いた竜という生き物はもっと邪悪で荒々しいものだ。いくら相手が魔法使いとはいえ、大人しく背中に乗せるとは思えない。
それでは、あの竜はなんだ。
こういう疑問に答えられるのは獣使いぐらいだが、ダッジオ師はもういない。
講義が終わるが早いか、講義室を飛び出して、図書館に行く。
この一年にカディオルやミリュウに教わって、本で調べ物をするということもできるようになった。
図書館には親切な司書がいて、学生の調べ物を助けてくれる。
「竜を、竜について知りたいんです」
ずっと走ってきて息があがったまま、受けつけの司書の女性に尋ねる。
「竜? 竜についての文献は膨大にありますよ。何を知りたいんです?」
「あの、師匠たちの乗っている竜は、どうやって飼い慣らしたのかと思って」
「ああ、獣学……」
司書の顔がすこし曇り、手元の資料をパラパラとめくる。
「獣学の資料は文字で書いたものが少ないんですよね。閲覧禁止のものもあるし」
「どうして閲覧禁止なんですか?」
「それはその……。マルリオス師が……」
それを聞いてぴんときた。
古代魔法に通じるものだからだ。
「禁止じゃないものだけでいいです」
場所を聞いて、資料の書棚を見に行く。それは広い図書館の二階のずっと端の方にあった。
言われたとおり資料が少ない。
それにラジュエルの読めない言語で書いてあるものもある。
読み書きはカディオルが特訓してくれたとはいえ、使えるのは国語であるタリオリ語だけである。
もしかしたらミリュウなら語学に堪能だからもっと読めるのかもしれないが、変な事件に巻き込んでもいけない。
その少ない資料を手に取ってパラパラと見たが、竜に関する記述はほんの少ししかない。
『古代から生き残っている魔物の一種。大きさは捕獲したもので32から2500エクルと報告されている。ほとんどは邪悪な性質を持つ。金銀財宝を好む性質を持つものもある。稀に人間を助けたとの報告もある』
これだけか。
もう少し何かないかと探してみるが、竜を退治した英雄の記録とか、竜に襲われて被害にあった町の記録とか、どこかで聞いたことのあることばかりで、新しいものはない。
閲覧禁止のもの……。
ちらりとその奥の、ロープで閉鎖されている書棚が気になって目をやる。
禁止といっても、たかだかロープで閉鎖する程度のものなんだな。
だったら、そっとくぐってちょっと見て、また戻しておけば問題なさそうだ。
午前中には講義が入っていることも多く、他の学生や師匠の姿もまばらである。しかも獣学は図書館の端の方なので人目もない。
そっとラジュエルはロープをくぐって閲覧禁止の書棚にもぐりこんだ。
毒学、錬金術、魔道具学、心理呪文……。
あった。
魔物学。
竜についての記述があるとすればここだ。
どきどきしながら本を手に取る。あたりを見回す。人はいない。
竜、竜……。
パラパラとめくったそのとき、いきなり本のページの間からまぶしい光がぱあっと広がった。
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