第十一章 『荒野』への誘い 其の四
ファードル師のご遺体の前に頭を下げ、安らかに神々の宴に招かれますようにと祈って祝福の星印を描き、すこし離れて見ていたトゥーリオ師と一緒に『学びの塔』に帰った。
何も見えないし何も聞こえない気分だ。
歩いている足下すらおぼつかない。
どうしたらいいのか考えることすらできないで、ただトゥーリオ師のあとについていく。
「大丈夫? もう今日は帰った方がいい。誰か一緒にいてくれる人を探そうか」
力なくうなずく。
「ちょっと待ってて」
師はやがてカディオルを連れて戻ってきた。
「大丈夫か、ラジュエル。気をしっかり持て。残念なことだが、名誉の殉職だ。師の魂はきっと大いなる方の御許に祝福と共に届くだろう。我々は師のご遺志をしっかり受けついで、師の名に恥じない魔法使いにならなければ」
非の打ちどころのない立派な言葉だが、今は何を言われても空しく響く。
ぼうっとしたままふらつく足どりで、ともかくもカディオルと一緒に宿舎に帰る。
食事をとる気にもなれず、管理人さんに心配されたが、今は何もしたくなかった。
「デュカス……」
一人灯りを消したベッドにもぐりこんでつぶやく。このデュカスという名を教えてくれたのもダッジオ師だった。
今頃狼は、ダッジオ師とラジュエルが希望したとおり、きちんと獣たちの面倒を見てくれているだろう。また森へ行こう。葬儀が終わったら。葬儀が……。
「そんなはずない」
死んだなんて、あの師匠が死んだなんて。
ボケとか馬鹿とか罵られた。訓練は厳しくて辛かった。理不尽な命令に従わされたこともあった。
でも、でも、大好きだった――。
金がないだろうとおごってくれた。特訓してできるようになったことを嬉しそうに褒めてくれた。真剣に本気で、一歩一歩成長するのを喜んでくれた。おまえはアルダムド師の孫弟子だと自ら祝福した魔道具を与えてくれた。
『白い火柱の儀式』のときだって、魔法を使うのは御法度だと知っていたのに、それでも助けてくれた。そのために師匠の地位を追われることになったのかもしれないのに
逆らうなと言ったくせに上層部に、自分から身を挺して逆らった。
そうだ、師匠は僕を護って、僕のために戦ってくれたのだ。いつだって師匠は、僕のことを誰よりも大切に思ってくれていたんだ。
そんな必要はなかったのに。師匠には大切なご家族がいるのに。
考えれば考えるほど、もう一度師に会いたい。
会って謝りたい。ふがいない弟子ですみませんと。
そして何よりも、山のような感謝を伝えたい。こんなに大きな、こんなに大切な人になるとは思っていなかった。
「師匠……」
涙があふれ出すと、もう止まらなかった。
窓の外に、冬の短い日が暮れていく。
一人ベッドにつっぷして、大声で泣いた。泣き続けた。
師匠がいない。
ダッジオ師のいない『学びの塔』で、いったいこれからどうしていけばいいんだろう。
僕は、僕は、なんのために、まだここにいるんだろう――。
葬儀の日はよく晴れた。屋根屋根に雪はうっすら残るが、歩いているところの雪はおおかた溶けている。
『学びの塔』の入口付近に柩が安置されているようだ。
ホールの中と周辺には香草が焚きしめられ、昨日の強烈な臭いはわからなくなっている。 人だかりをかきわけて、柩を見ようとカディオルと一緒に前に出た。
「……あれ?」
柩がない。ひとつしか。
「あれ、ファードル師の柩だよね? ダッジオ師のはどこなんだろう」
「そうだな。ご遺体が出なかったとはいえ、柩だけでもあってもいいのにな」
周りの学生たちもざわめいている。
鐘が低く鳴った。
ひとつ、ふたつ……。葬儀を意味するのは、ノコイディ村でも九つだった。
誰かが静かに、とささやき、学生たちの声もしずまっていく。
頭を垂れて祝福の星印を自分の額に描く。
上階から一階ホールにシャボン玉で降りてきたのはケーファ師だった。
出てくると師は厳かに柩に歩み寄り柩と自分の額に祝福の星印を描く。
「『学びの塔』の施設長にして偉大なる大魔法使いであるファードル師よ、今ここに御身は大いなる方の御許に安らかに召されたもう。御身が神々の宴に招かれ永遠に平安の中におられますよう。我ら残りし者たち、御身の魂の安らかならんことを祈り、ご遺志をひき継ぎ、真心をつくし精進することを誓わん」
周りに並ぶ師匠たちが、小さいベルをしずかに鳴らす。
ベルの音が一つ、二つと重なっていく。やがて塔全体に反響する美しい音楽となっていった。
そのとき、唐突にその場に、マルリオス師が姿を現した。
一斉に師匠たちが、マルリオス師に恭しく頭を下げる。
マルリオス師はちらりと柩を振りかえり、しばらくしずかに見つめて言った。
「ファードルよ、ぬしは『全きもの』にはならなんだのだな……」
美しい目を伏せて柩と自分の額に祝福の星印を描き、では、と言ってすぐに消えてしまった。
気を取り直したように、ケーファ師が柩に香油を振りかける。
それを合図に、柩を支える四本の棒を四人の男たちが担ぎ上げる。
そのあとをケーファ師を先頭に師匠たちがつづき、学生たちがつづく。
ラジュエルもカディオルと一緒に列に加わりながら、なにかおかしいと思う。
どうしてダッジオ師の柩がないんだ。
ダッジオ師について、葬儀の言葉も一言もなかった。
まるで忘れ去られたかのように。
そしてマルリオス師の言葉にも態度にも、なんだか無性に腹が立った。
マルリオス師はダッジオ師を嫌っていたのかもしれないが、葬儀をしないとはどういうことだ。それどころか腹心ともいえるファードル師にもなんのねぎらいの言葉もない。
『全きもの』にならなかったと、それだけなのか。『全きもの』にならなかったから、ファードル師は価値がないとでも言いたいのか。葬儀の列にも加わらず自分の都合で消えてしまって。あの人にはファードル師をいたわり惜しむ気持ちすらないのか。
けれどそんなことは、もう誰にも言えない。
ダッジオ師が生きているときですら、反逆ともとれるそんな言葉は我慢しろと言われた。
いったいこの思いを、理不尽だという感情を誰に訴えたらいいというのだろう。
カディオルのとなりを歩いているといつのまにかスティーノが隣に来ていた。
「ダッジオ師の葬儀はどうしてないんでしょう」
「そうだろ? おかしいよ」
「不名誉な死だったから? それとも身分の問題でしょうか。もう師匠じゃなくてただの森番ですもんね。墓地も個人の墓地じゃなくて共同墓地になるんですかねえ」
「不名誉? なにが不名誉なもんか。あれはダッジオ師が正しかったんだよ。獣舎に『荒野』がしかけてるかもしれないって言ったのはダッジオ師だったのに、ファードル師が強硬に退去を急ぐから。不名誉ならむしろファードル師の方じゃないか」
「ぼ、僕が不名誉って言ったわけじゃありませんよ。ただ、みんなが、ね」
「でも柩すらないんだよ? ご遺体が出なかったからって、いくらなんでもひどいじゃないか」
「うーん。僕も『学びの塔』の流儀は……。でもご遺体が出ない場合、葬式をあげない地方もあるそうじゃないですか。亡くなった場所に花を添えるだけで」
「たしかに僕の村でも、山で行方不明になった場合には神殿での葬儀じゃなくて、山の近くにみんなで集まって御霊が安らかでありますようにって共同祈願をするだけだったけど……」
あるのだろうか。ダッジオ師への追悼の言葉や祈りが、また別に。
でもそれならそうと一言、言ってくれてもいいのに。
不満を抱えたまま都を出て墓地に着き、深く掘った穴にファードル師の柩が埋葬されていくところを見守る。
また雪がちらついてきた。
墓掘り人夫たちは雪が本格的に降り出す前に終わらせようというのか仕事を急ぎ始める。
学生たちも帰る人も出てきたし、師匠も一人二人と帰り始めた。
だいぶ人数も減ってきたのでケーファ師にそっと近づいた。
「あの、亡くなったのはダッジオ師もだったって伺いました。ダッジオ師のご葬儀はないんですか?」
「ああ、そうじゃの。ご遺体が出なんだからの」
「ご遺体が出ないと、葬儀もしていただけないんですか」
つい口調が非難めいてしまったのか、トゥーリオ師にたしなめられた。
「流儀だからね。ケーファ師はお忙しい。あまり困らせないでくれないか。話なら僕が聞くよ」
「わたしたちは、また別のことも考えているのですよ」
アンジェニカ師がいつもの歌うような口調で静かに言った。
「別のことって?」
聞いてみたが、まるで聞こえなかったように返事はなかった。
埋葬が終わる頃には本格的な粉雪が降り始めていた。
ケーファ師が近づいてきてラジュエルの肩をいたわるようにぽんと叩いてくれた。
「気持ちを落とさんようにな。ダッジオ師は君のことを、それは大切になさっていた。これからも頑張りなさい」
それはマルリオス師の態度とちがって、ずいぶん慰められる心地がした。
ファードル師のように、もう師匠ではないとも言わず、ダッジオ師と言ってくれたのも嬉しかった。
最後の土がかけられ、墓碑の石板が建てられると、ケーファ師はすうっと姿を消し、ほかの師匠たちも帰り始める。
残っていた数少ない学生たちの中に、ミリュウがいるのに突然気がついた。
彼女の方は気がついていたらしく、帰りかけるラジュエルを見てごく微かな笑みを浮かべる。
自分から話しかける元気もなくて、ただ他の人々と一緒に帰るうちにいつのまにかとなりを歩いていた。
気遣うようにそっとラジュエルを見て、黙っていてくれているのがありがたかった。
こんなとき言葉をかけらてもなんと返事をしていいかわからない。下手すれば泣き出してしまうかもしれなかった。
さらさらした細かい雪がミリュウの髪にも肩にもかかる。
寒そうだ、と思ってマントを脱いで黙って手渡すと、首をふった。
「今日はあなたが使って。風邪をひいたりしないでほしいの。私なら大丈夫。温かいものをたくさん着てるから」
「うん。それならよかった」
またしばらく、黙って歩いた。
歩いているうちにだんだんと気持ちが落ちついてくる。
それはミリュウが一緒だからかもしれない。これも魔法なんだろうか。
「魔法使いは死んだら『全きもの』になるんだと思ってた」
ぽつりと言うと、真剣な顔でうなずいてくれる。
「『全きもの』になるのは、大いなる方に認められた魔法使いだけということらしいわ。ファードル師はどうやら認められなかったみたいね」
「『学びの塔』の施設長なのに?」
ミリュウはさあ、と首をかしげる。
「私も詳しく知ってるわけじゃないけど……。でも王室顧問とか、魔法騎士団の団長でも『全きもの』にならなかった例もあるみたい。こちらの世界の身分だけじゃないってことなのかしら」
「そうなのか」
答えながら、ファードル師の言葉をいくつか思い出す。
よい魔法使いになりなさい、防御服の魔法をもっと強化しなければ、マルリオス師がおっしゃっておるからこれまで通り精進するように――。
ふっとため息がもれる。
亡くなった人には失礼かもしれないが、こうしてみると保身に走り権力に媚びを売る小人物だったとしか思えない。
ダッジオ師の方がずっと気骨があった。少なくとも彼には、しっかりとした価値観があり、行動力もあった。それなのに――。
考えると悔しいばかりで、また涙が溢れそうになる。こらえてまた黙って歩く。
「ミリュウ、ありがとう。今日はもう帰るよ」
都に着いても誰かと話す気持ちになれなくて、宿舎の方へ足を向ける。ミリュウはうなずいた。
「その方がいいと思う。ゆっくり休んでね」
「うん」
一人になっても、悲しさは癒えない。考えてしまうのはダッジオ師のことばかりだ。
狼に会いたい。
こんなとき、一緒にいてくれるべきなのは狼しかいない。
でも森へまた行くのにはややこしい言い訳が必要になりそうな気がした。
部屋で一人になって、大いなる方に祈り、デュカスがここにいてくれたらと、そればかり考えて、いつのまにか夜になっていた。
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読んでいただきありがとうございます<m(__)m>
ご存じかもしれませんが、小説情報編集いたしました。
最初は静かなお話にするつもりだったのですが、やっぱりバトルだの書きたくて書いてしまったので、本筋を紹介する形に変更しました(;^_^A
題名も変更したいと思っています。
『獣の力と歩むとき、太古の魔法の風が吹く』が候補です。
ご意見いただければ幸いです。
これからもよろしくお願いいたします(^^♪




