第八章 侵入者 其の五
「勉強ですかあ……」
「バカタレ!」
「いてっ!」
嫌だなあと思っていると、ぴしりと見えない石つぶてをぶつけられた。
「俺も勉強は苦手だった。だから獣使い止まりだ。おまえにはもっと上を行けって言ってるんだ。年長者の言うことは聞くもんだ」
「……頑張ってみます」
言ってはみたが、勉強が苦手なのは克服できるとは思えない。
クマはのんびりと森で木の実を食べたり、何か小さい動物を仕留めて食べたりしている。楽しそうだ。
デュカスと旅をしていたとき、こんなことがあったのを思い出す。
今はデュカスはどこにいるのか。講義の間は狼をいちいち連れ歩くのは目立つので、宿舎か獣舎に置いてくるようにしているが、さっき獣舎に行ったときはいなかった。
「デュカスは……」
口にした途端、ふっと森の中になつかしい気配がする。
「デュカス!」
いつのまに来ていたのだろう。がさりと草むらから巨大な狼が顔を出した。
好き放題に森を楽しんでいたクマが、はじめて興味を示したように狼の方をむく。
いつかのようににらみ合いが始まるのではと警戒したが、狼はゆっくりとクマの方へやってくると、親しい相手のようにそっと鼻面をよせた。狼よりも身体の大きいヒグマも大人しくされるままになっている。
やがて挨拶をすませたとでもいうように、狼はラジュエルの方へやってきた。
金色の瞳が何かを語りかけてくる。
「あ……」
言葉ではなかったが、なぜかわかった。
森に慣れないヒグマを、しばらく狼が面倒を見てくれる。
「デュカスも、一緒に?」
受けとったメッセージが正しいかどうかダッジオに確認すると、師は力強くうなずいた。「そうらしいな。おまえのデュカスはほんっと、面倒見がいい。そもそもおまえみたいな未熟者をここまで導いてくれたんだ。世話好きなんだろう」
「よかった」
二人と二匹の間にほっとした空気が流れる。
ダッジオも心配していたのだろう。ずっと都で育ったヒグマを急に森に返して大丈夫なのか。強さでは負けないのだろうが、エサの探し方、寝床の探し方など、やはり森で育っていなければわからないこともあるだろう。デュカスが一緒なら大丈夫だ。
ということは、また狼とも離れることになる。
でも大丈夫だと今は信頼できる。
獣使いも、この森にヒグマを残していくのだ。ダッジオとクマのように、狼とも別れていてもいつも一緒だと感じられる。
ダッジオと森の入り口にとどまったまま、狼とヒグマが森の奥へ消えていくのを見守って、もう一度馬に乗って都へ帰る。
「ところでおまえの方は大丈夫なのか。例の件でファードル師に呼ばれたみたいだが……」
「あ、それですか。ええ……。まあ大丈夫でしょう」
馬を並べたまま獣使いはあきれたように首をふった。
「『学びの塔』の最高責任者を甘く見るんじゃないぞ。ファードル師が獣学のことをどう考えてるのか、そろそろわかってきただろう。アルダムド師の強力な推薦があったから俺がここの師匠になれてなんとか獣たちを置かせてもらってるが、施設長がファードル師になってから明らかに厳しくなった。いい加減、潮時かもしれん」
「潮時って?」
「いや、獣学は魔法使いたちにどうしても必要な学問だ。みんなわかっちゃいない。みんな……」
最後の言葉は自分に言い聞かせるようなつぶやきになった。
傾きかける午後の陽を背中に受けて、ラジュエルはもう一度森を振りかえった。
森にはデュカスやヒグマのほかにもたくさんの獣や魔物がいる。
獣学は古代の魔法に近いものがあると言ったのはトゥーリオ師だったか。
平原にいつもそよそよと西から吹く風が髪をなびかせる。
ふと、その風に強力な力を感じた。
人間が街を作るずっと以前から世界に満ちる、原始的な強い力。その力が脈々と樹木や大地、蒼天や風の中に流れているのを。
荒々しさをはらんでいながら、どこか懐かしく温かい力。
そう、まるで狼と一緒に過ごした夜に、毛皮を通して伝わってくるがっしりとした身体の体温ような――。




