第八章 侵入者 其の四
「こんなこと、ほんとは言っちゃいけないのかもしれない。どうも僕は危険視されてるみたいなんだ」
「危険?」
「その……『魔傷』があるから」
「あるから、どうして?」
知らないのか、と驚いてミリュウを見た。
彼女は魔法について詳しい。当然、『魔傷』のことは知っていると思っていた。
「『魔傷』があると魔物を呼び寄せるんだそうだ。よりによって『白い火柱の儀式』の最中に魔物が襲ってきた。こんなことは、僕がここに来るまでなかったんだって。だから、儀式の間、僕はあの地下室に入ることになってるんだよ。みんなに危険が及ぶといけないから」
「それっておかしいわ」
並んで歩いている町中に、あまりにきっぱりしたミリュウの声が響いたのでラジュエルの方が気をつかった。
「仕方ないよ」
「そういうものからあなたを護るのが『学びの塔』の仕事でしょ? 自分たちで護れないからあなたの方を閉じ込めるっていうの? それ、どう考えても変だわ」
「たぶん師匠たちだけなら大丈夫なんだろうな。ほかの学生たちに危険が及ぶといけないから。実際、魔物が襲ってきたときには、僕のすぐ近くまでやってきたんだ。
「あなたが襲われてるってこと?」
「うん」
ここまで話してしまった。
なんとなくミリュウになら話してもいいような気がする。神官の娘なんだし、『学びの塔』では優等生なんだから。
そう考えてラジュエルは、村を出てから今までのことをぽつりぽつりといろいろ話した。
ミリュウはときどき訊きかえしたり相づちを打ちながら聴き、うつむいて言った。
「私……あのとき、あなたにひどいこと言ってごめんなさい。村に来た商人から、叔父の連れていた狼を誰か他の人が連れていたって聞いたの。叔父も魔法使いだし、あんな『力あるもの』を叔父から奪い取ったんだから、きっと強力な悪い魔法使いだろうって噂してた。だから誤解して……」
「いいよ。誤解はもう解けたんだから」
「でも、あなたがいい人でよかった。最初から悪い人には見えなかったけど」
ふふっとミリュウはそよ吹く風のように笑う。
「悪くもないけど、強力な魔法使いでもないんだよ」
合わせてラジュエルも笑ってみせた。
「でも、狼はどうやって叔父の手を離れてあなたのところへ来たのかしら。あなたが会った方はアルダムド師なんでしょ? アルダムド師は叔父が従っていた師匠だって聞いたわ。でもあなたが出会ったときはその方は一人でいらっしゃった。叔父とはその時一緒じゃなかったのね。亡くなる直前だったっていうのに。叔父はどこかでその方と別の道を歩むことになったんだわ。……認めたくないけど、破門されたのかもしれない」
「僕があの時出会ったのが、君の叔父さんだとすると、彼は『荒野』の魔法使いになったのかもしれない。……嫌なこと言ってごめん」
沈み込むミリュウの横顔を見ながら、こんなこと言うんじゃなかったと思う。
「ううん。本当のことを知りたい。叔父が何を考えて、なぜそんな道を選んだのか。悪人じゃなかったと思うわ、少なくとも最初は。アルダムド師っていう方も師匠たちの話によればすごい魔法使いだったってことだし、何か事情があるのかも。……もし、叔父が本当に悪い人になってしまっていたとしても、それが叔父自身の選んだことなら仕方ないと思うわ。他の人がとやかく言えることじゃないもの」
「強いね、君は」
小さく首をふってミリュウは、しばらく黙ってラジュエルのとなりを歩き続けた。
なんと言っていいのかわからなかった。
「いつかまた、僕はその人に会ってみたい。というか、なんだか会う気がする。どんな形でだかわからないけど」
「無理しないで」
「偶然だか運命なのか、あとになってみなければわからないって、アルダムド師に言われたんだ。どうも僕は、導かれているような気がする。なにか運命みたいなものにさ。そんなこと言って、結局流されてるだけかもしれないけどね」
「強いのは、あなただと思う。なんていうのか……大きなものがやってきても、あなたなら大丈夫って気がする」
「そりゃ高く買ってもらいすぎだな」
笑って言うとつられたようにミリュウも笑った。
楽しかった。本当は悲しい話なのかもしれないのに。
本当は彼女の叔父は悪者ではないといいのに。そして、何もかも誤解だったと笑って話せるようになるといい――。
そんなことを思いながら、秋の色に染まる町を並んで歩いた。プラタナスの街路樹が色づいた葉をはらはらと散らす。
みんな本当はいい人で仲良くいい魔法使いになれればいいのに。こんな美しい都で、ずっとミリュウと一緒に過ごしていけたら――。
しかし、すぐに足を止めないといけない事件にぶつかってしまった。
「大変だ! 逃げろ! クマが逃げ出した!」
「獣使いはどこだ? ダッジオは?」
叫び声と供に大混乱が起きている。獣舎の方だ。
「行かなくちゃ! 君は逃げて。みんなに知らせて!」
「あなたは?」
「獣学は僕しかやってないんだ。師匠が誰かいればとりあえず被害を抑えられる。呼んできて!」
「わかった」
青ざめながらもミリュウはしっかりとうなずいて『学びの塔』の方へ走り出した。
ラジュエルはそのまま獣舎の方へ走る。
誰かがクマに突進されてはね上げられているのが見えた。
「えい!」
正しい魔法かどうかわからかなったが、渾身の力で魔力を飛ばし、その人の周りに防御シールドを張る。宙に浮かんだ人の動きがゆっくりになる。ふわりと何か柔らかいものに包まれたようにその人は静かに向きを変え地面に降りた。
周りの人は逃げてしまい、今はラジュエルひとりがヒグマと対峙している。
ラジュエルにまっすぐに見つめられてヒグマは動きを止め、相手の力を推し量るようにゆっくり歩んでくる。
ヒグマは狼より人に馴れないというダッジオの言葉を思い出す。
しかしそのダッジオがいない今、自分がやるよりほかにない。
怖いと思ったら負けだ、そう自分に言い聞かせる。
狼とはじめて出会ったときのことを思い出せ。あの時はなぜか怖いと思わなかったはずだ。
深く呼吸をして、一度目を閉じた。
――デュカス、導きを。
自然に狼を呼んでいた。
心がふわりと軽くなる。
不思議と今はここにいない狼が、一緒にいてくれるように感じる。
心を無にして、狼がヒグマを、ダッジオがヒグマを見つめるときの気持ちを思ってみる。温かい、仲間を思うような愛情を。
急に心にある映像が浮かんだ。
まだ小グマだった頃のヒグマ、それを抱いて『喜びの門』をくぐったダッジオ。
一緒にいるのは? アルダムド師?
アルダムド師の背が高い。いや、ダッジオの背が低いのだ。
子供だったダッジオが小グマだったヒグマを抱いている。
ああそうか、と思う。
ダッジオは子供のときからこのクマを育ててきたのだ。だから懐いている。
ラジュエルに気をつけろと言ったのは、ラジュエルとクマはその信頼関係を築いていなかったからだ。
――思い上がるな。
と心の声が言う。
ダッジオとヒグマの信頼関係を、自分が一朝一夕に築けるわけじゃない。
だが彼がいない今、ヒグマが人々を襲い、そのために危険視されて殺されるかもしれない、その危険を、自分は回避することができるかもしれない。
「おいで。檻に戻ろう。ダッジオ師はすぐに来るよ。君がこのままでいちゃいけない」
狼にするように、話しかけていた。
警戒していたクマが、すこしうなだれる。
「行こう」
うながすように言うと、巨大なクマは向きを変え、ラジュエルについて獣舎に戻っていく。
獣舎の扉を大きく開き檻の戸を開ける。
クマは大人しく自分から檻に入り、ラジュエルは元通り鍵をかけた。
誰からともなく拍手が上がった。
周りを囲んだ人々に拍手の波が広がっていく。
「すごいじゃないか。え? いっぱしの獣使いだな」
通りがかった宿舎の料理人が近づいてきて、ばんばんとラジュエルの肩を叩いて笑う。
「いえ、たまたまですよ。ダッジオ師がクマとしっかり信頼関係を築いていたから」
「ご謙遜だな。こりゃ頼もしいぞ。ファードル師にも報告せにゃ」
「え? いや、ファードル師には黙っといてください」
「遠慮するな。これほどの魔法が使えたんだ。『学びの塔』の施設長が、学生の長足の進歩に喜ばんわけはないよ」
ファードル師との今の微妙な関係を料理人に話してもわかってもらえるとは思えない。
はあ、と適当に相づちをうっておくが、また面倒ごとが増えたような気がする。
言っている間にケーファ師が、突如姿を現した。
ケーファ師は以前、森に助けに来てくれたときも竜に乗らず移動していた。たしか『いたるところにいる魔法』と呼ばれていた。つまり、瞬間的に別の場所に移動するようなものなのだろう。
「どこだね、逃げ出したというそのクマは」
「あ、すみません。なんとかなりました」
「いや、すごかったんですよ、この若い子がね……」
料理人が自分のことのように得意げにケーファ師に語っているのを、どうしようと思いながら見ているうちにミリュウとトゥーリオ師が走ってきた。
「大丈夫だった? 怪我人は?」
「この人の魔法がね、そう、ふわっと包み込んでくれて……」
さっき飛ばされた男の人が我先にと出てきてまたしゃべる。
どうやら手当が必要なほどの怪我人は出なかったようで、それはよかったのだが、あまりここで目立ちたくなかった。
「では、僕はここで……」
帰ろうとするとトゥーリオ師に肩をがっしと掴まれた。
「待ちなさい。ファードル師に報告しないわけにはいかないね」
「だめでしょうか」
うん、とうなずいてトゥーリオはひとつため息をつくと、戻ろうとラジュエルを促して『学びの塔』に向かう。
理由を聞きたそうなミリュウに、じゃあと声をかけ、仕方なくトゥーリオについて『学びの塔』に向かっていく。
「ちょっと困ったことになったよ」
並んで歩きながらトゥーリオは眉間に皺を寄せて早口でささやく。
「防御服を着てるんだろう? それなのに君には魔法が使えた」
「あれっ? あっ、そうか」
「つまりね、僕らが魔道具でかけている力以上の魔力を、君は発動してしまったんだ。防御魔法を打ち破るほどの強い魔力をね」
「すみません。僕はそんなつもりじゃ……」
「わかるよ。咄嗟のことだったんだろう。力で押さえつけてもだめなんだろうな、君みたいな人は。押さえれば押さえるほどさらに力が強くなってる。なかなかそういう逸材はいない。惜しいな、君の力が、僕らが望むような力であったらよかったのに」
「どういうことですか」
「僕は君が大いなる方に導かれて正しい方向へいくことを信じてる」
話しているうちに塔に着いた。
シャボン玉に乗るトゥーリオ師に続いて縄ばしごで最上階のファードル師の部屋へ行くと、すでにケーファ師がいて何事か話していた。
「入りなさい」
一礼して入るとすぐファードル師の氷のような視線と目が合った。
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