第八章 侵入者 其の三(イラストあり)
(竜に乗るアンジェニカ師。イラストはiwajun様)
「そうだろうね。わざわざ禁止されている魔法を使うことなんか、ここでは誰も教えない。ひとつ考えられるとすれば、君の育った環境が関係しているのかもしれない。ビルディラ州だろう。北の辺境には、まだ古い魔物や魔法使いが存在しているらしい」
「村には死者の声を聞く魔女がいましたけど、そんな悪いことは……」
「ああ、その程度の魔女はたくさんいる。そうじゃなくて、見えないところにさ。たとえば山の奥とか、森の中とか。そういった隠れた存在が、知らないうちに羊飼いや木こりたちの生活に影響してるんじゃないかって、僕らは考えている。だから君が悪いんじゃないんだが……」
トゥーリオは立ち上がって衣装掛けのところに行く。
「これ、ちょっと持ってみて」
言われて近づき、渡された下着を持つ。
ずしりと重い。以前はどれも軽くて普通の布だと思ったのに。
見た目はいかにもふわりと軽そうなのに、こんなに重く感じるのは魔法のせいなのだろうか。
何枚か手渡される中の、一番重いものをトゥーリオは選んで、同情するような顔で告げた。
「今日からはこれを身につけてもらう。洗い替えはこっち。もしかしたら今の君には行動を制限するものかもしれない。日常生活が困るなら助けてもらえるように手配するよ。困ったら僕か、宿舎の管理人に遠慮なく言ってくれ」
「……はい」
拒めるはずもない。その重たい下着をトゥーリオ師の目の前で身につけると、足どりすらなんだか重く感じる。
考えてみれば物心ついてから今までほとんど病気などしたことがない。大きな怪我といえば、ボルードと会った町で『見えない敵』に襲われたときと、子供のとき樹から落ちて足をくじいたときぐらいだ。
「くそ、頑張ればこのぐらい」
自分に言い聞かせて足を一歩一歩前に出す。意識しなければ、そんな簡単な動作も苦痛に感じる。
もうすっかり慣れてひょいひょい上り下りできる縄ばしごも、身体が重く自分を支えるのがやっとだ。
『学びの塔』の講義は義務ではない。
学生たちは自分の学びたいときに学びたい師を訪れればいい。つまり、サボろうと思えばいくらでもサボれる。
「どのぐらいサボっていいのかなあ……」
歩くだけでもぐったり疲れ、食事のとき、独り言のようにカディオルのとなりでつぶやくと、
「なんだ、またサボり癖が出たのか。そんなんじゃ、いつまで経っても魔法学はものにできないぞ」
怒られるので、とりあえずカディオルの言うことを聞くふりをしておく。
以前の防御服ではなにも感じなかったのに、今はこれほど体力を奪われるのはなぜだろう。
もしかしたら、今は以前より自分の魔法の力が強くなっているのかもしれない。そうだとしたら喜ばしいことだ。
そう自分に言い聞かせて、力を振り絞って移動し講義も受ける。
いい魔法使いにならなければいけないのだ。
何日か経っても、師匠たちは侵入者の事件について黙していた。
「大丈夫だ。もう落ちついた。諸君は何も心配しなくていい」
どの師匠も口を揃えて同じことを言う。
ミリュウによると、その女子学生は数日後、宿舎に戻ってきたが、当日についての記憶がなにもないという。
「なんか弱ってるみたいな感じなのよ。心もね。突然、泣き出したり、悪い夢を見てるみたいに跳ねおきたりしてたって、近くの部屋の子が言ってたわ。ぜんぜん悪い子じゃなかったのよ。ちょっと大人しい感じで。だからみんな驚いてる」
「なるほど。『取り憑かれた』みたいな感じだな」
カディオルによると、『取り憑かれた』とは、強い魔法使いに身体を乗っ取られた、ということだそうだ。そのあいだ当人は自分のしたことや言ったことを覚えていない。魔法使いが近くにいることが多いが、強力な魔法使いになると、離れたところから操ることもできる。
「師匠たちも隠したがってるみたいだし、悪い魔法使いが塔に入りこんでいるか、あるいは入りこもうとしているか。どっちにしろ、よくない状況なんじゃないか」
「そ、そんなよくない状況なら、なおのこと、ちゃんとみんなに話して気をつけるように言ってくれるべきじゃないですか。師匠たちはなんで内緒にするんですか!」
「僕らのレベルで気をつけてもしょうがないことだからなんじゃないかな」
三人が驚いた顔でラジュエルを見た。
「師匠みたいなことを言うのね」
「……いや、ちょっとそう思っただけだよ。きっと師匠たちだって、できる限りの安全策は取ってくれてるんだろうしさ。僕らがじたばたしない方がかえっていいんじゃないかな」
ミリュウにまっすぐな視線を向けられて恥ずかしくなって、早口で答える。
魔法使いについて知る前だったら、自分もそう思っていたかもしれない。
だが、今はわかる。アンジェニカ師もダッジオ師も、一見何気なく魔法を使っているが、その力は自分にはとうていかなわないものだ。
師匠たちの『視察旅行』も頻繁になっている。
トゥーリオ師が出かけるときは、級友たちが、
「このまま左遷されろー。帰ってくるなー」
と飛びゆく竜の後ろ姿に向かって小さく叫んでいた。
一度にいなくなる師匠は二人ぐらいと決まっているのか、一人が帰ってくると別の師匠が飛び立つ。
アンジェニカ師が紫色の竜に乗る姿は本当に美しい。
深く青い空を、翼をひろげて悠々と竜が翔ぶ。
雲よりも高く、都をはるか下に見て――。陽を浴びた竜の鱗に、水が流れるように光がきらりとかがやく。竜はそのまま旋回して小さくなると、やがて遠く北に見える大白山の峰にかすんでいった。
窓の外に見とれていると、薬学のサマル師に、
「大丈夫かね、ラジュエル。辛ければ休んでいいんだよ」
声をかけられ、
「いえ、大丈夫です」
赤面して答える。
級友には病気だと思われているらしく、周りの学生もなにかと気を使ってくれる。
「薬とか処方してもらってるのか? なにかあれば手伝うよ」
「いや、大丈夫。困ったら管理人さんに助けてもらうようにって言われてる。ありがとう」
しかし、その後も異変は収まらなかった。
塔の一部がガラガラと音を立てて崩れる。宿舎の扉からいきなり火の手が上がったと思うとそれが竜の形の炎になる。川から町中に引いてきている運河の水が鮮やかなピンク色に泡立ち、人の形の噴水が上がる。
そのたびに師匠の誰かが走り出てきて魔法で対処するのだが、学生たちの噂までは止められなかった。
悪い魔法使いが、『学びの塔』に攻撃を仕掛けてきているんだ――。
「大丈夫だ、何も問題はない」
師匠たちはそう繰り返すばかりだ。
人手が足りないのかダッジオ師もいつのまにか姿を見せているが、森での特訓には呼ばれないので、もしかしたらファードル師から禁止されたのかもしれない。
姿を見かけて話しかけようとしてもすっと避けられるので、話しかけない方がいいのかと思い遠慮する。
そのうちにラジュエルは奇妙なことに気がついた。
今まで『学びの塔』は美しい白い建物だと思っていた。
それが、ただの石材でできているように見えることがある。石のざらざらした手触りがはっきり見てとれ、いつかダッジオが言ったとおり石材そのものはすこし透明感がある。
だが、今まではほころびすらない滑らかな壁だと思っていたところも、人の手で造り上げた粗さが目立つ。
宿舎もそうだ。
「ここ、壊れかけてるなあ……」
階段の途中の板が踏みぬかれているのを見て管理人に言うと、
「え? 壊れてる? どこかな」
わからないので驚いた。
「板が割れてますよね?」
管理人は困ったように階段の下にある物入れから、いつか町の神官がかけていた眼鏡のような丸い大きなガラスの道具を取り出し、そのガラスを通してラジュエルの指摘した箇所を見た。
「ああ、ほんとだ。壊れてるね。修理の依頼を出さんといかん」
「このぐらいだったら僕直せますよ。板と金槌と釘があれば。ところで、その道具、何ですか? それ使わないと壊れた箇所が見えないんですか?」
「ううん……。君は今、防御魔法がかけられてるだろ。『学びの塔』もこの町もいろいろ魔法で成り立ってるんだ。少々のことなら魔法でなんとかなるから、わしら見えないことがあるんだよ。この道具は『除魔法鏡』といって魔法がかかってない状態を見るための道具なんだ。君は今、何もしないで魔法がかかってない世界を見てるってことだね」
「そうなんですか」
それでは『学びの塔』が真っ白でほころびないように見えていたのも、宿舎がボロなのに気づかなかったのも、みんな今まで魔法で誤魔化されていたということなのか。
面白いことに、そう思ってみると、トゥーリオ師は以前より太って見えるし、ダッジオ師は意外と若い。ファードル師の腰は低く曲がっているしアンジェニカ師は半分透明に見える。
本当はあれが師匠たちの真の姿なのかなと思うが、アンジェニカ師には驚いた。
こっそり管理人に訊いてみると、
「ああ、アンジェニカ師は半分あちらの世界に属してるといわれてるからね」
「あちらって……まさか死後の世界とか……?」
ちょっと怖くなる。
「いや、『谷間の風のはじまるところ』の向こう側だよ。人は死ぬと神々の宴席に招かれるというが、魔法使いが『全きもの』になると身体を失っても精神は失わない。そうなると『谷間の風のはじまるところ』の向こう側とこちら側を自由に行き来できると言われている。アンジェニカ師はもともと双子だったそうなんだ。産まれたときにその片割れは亡くなっている。そのときに片割れが向こうの世界に行き、彼女と半分ずつ生命を共有してるって聞いたことがある。わかるかい?」
「いえ、さっぱり」
正直に言うと管理人も笑った。
「わしもわからん」
「ね、どこか身体が悪いの?」
ある日、講義のあとにミリュウに尋ねられた。
「え? いや、たいしたことないよ」
「森では元気そうだったのに、最近疲れてるみたい。勉強の頑張りすぎとか?」
くすりと微笑む顔に、また心がきゅっと引っ張られる。
「そうだね。僕、勉強には向いてないみたいだから」
本当のことは言いたくなくて笑ってみせる。
「森にはよく行くの? 一緒にいたあの人は獣使いなんでしょ? あなたも獣使いになるの?」
「うん、そうかもしれない。君の叔父さんっていう人は獣使い?」
「私も詳しいことはわからないけど……。大魔法使いになると、獣も使えるしほかの魔法も使えるようになるみたい。ほら、師匠たちは竜に乗ってるでしょ。獣使いっていうのは、その中でも特に荒々しい野生の獣を調教したり、本来なら人に従わない竜を従えてほかの魔法使いにも使えるようにする特別な仕事なんですって」
「へえ。結構だいじな仕事なんだね。獣使いのことを、下っ端みたいに言う人もいるけど」
「王様が定めてる身分の問題なんじゃないかしら。『学びの塔』の魔法使いは宮中顧問官に定められているけど、獣使いは実際的な仕事だから身分は高くないの。ある意味で汚れ仕事だからなのかも。獣使いがいなければ竜や狼も使えないのにね」
「そういうことなのか」
今まで王宮や魔法使いに、まったく興味がなかった。
ダッジオも魔法使いは名誉ある仕事だと言っていた。
そもそもカディオルやスティーノは貴族の子弟なのに、わざわざ苦労して金を払ってまで『学びの塔』にやってきているのだから、魔法使いは憧れの仕事なのかもしれない。
講義室で話していると、いつのまにか次の講義の学生たちが部屋にやってくる。
次の講義は魔法経済学なのでラジュエルは興味がない。ミリュウも取っていないというので外に出た。
学生たちの中にカディオルを見つけて、手すりに結びつけた縄ばしごを、ラジュエルが降りきったあとに投げ下ろしてもらうことを頼んだ。
「ずっと気になってたんだけど、どうしてあなただけシャボン玉が使えないの? エリーシャ……あの、いつかシャボン玉に閉じ込められた子は、入ることはできたの。でも、入った途端シャボン玉が縮み始めたんですって。でも、その前後のことはあんまり覚えてないって言ってた」
「ああ、ううん……。僕もちょっと事情があって」
誤魔化そうとしたが、ミリュウのまっすぐに見つめる瞳に抗えなくなった。




