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谷間の風のはじまるところ  作者: 猫洞 文月
イラスト大全集
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第七章 狼と少女 其の四

 次の瞬間、ぱあっと強い光が目をくらませたかと思うと、どおんという轟音と強い力が身体のすぐ脇ではじけ去る。

 何が起こったのか自分でもわからなかったが、ともかく無事である。

「大丈夫?」

 その少女はどこからともなくいきなり現れたように見えた。

 戸惑う青い瞳が揺れるようにラジュエルを見つめたが言葉は出てこない。少なくとも怪我をしているようには見えないのでほっとした。

 しゃがみこんでいるのは恐怖のためだろうか。それとも今の衝撃で転んだりしたのだろうか。助け起こさなければと、まず自分が立ち上がり彼女に手を差し伸べた。

 少女は差しだした手にはつかまらず、自分で立ち上がってぱたぱたとスカートについた草を払った。

 同じぐらいの歳だろうか。最初に思ったより背が高い。

「あの……」

 どこから来たのか、なぜこんなところに一人でいるのか訊こうとした。

「おい、いつまでも見とれてんじゃねえ。大事な相手が帰ってきたってのに」

 獣使いの罵声が飛んで、ようやくはっと気がついた。

 少女のすぐとなりにいたのは、ずっと会いたかった狼だった。

「ジュート! ……じゃなかった、デュカス! ああ、ごめん。君のいないあいだに呼び名が変わったんだ。今日からはデュカスって呼ぶけどいい?」

 狼は親しみを込めてぱたりと尻尾を振る。懐かしい仕草に、思わずラジュエルは膝をついて狼の首に両腕を回し、その毛皮に顔を埋めた。

「あなたがこの狼の……悪い魔法使い……?」

「え? 悪い魔法使い?」

 少女の口から発せられたのは意外な言葉だった。そのままの姿勢でラジュエルは顔だけを少女の方に向ける。

「いや、そもそも僕は魔法使いじゃないし……」

 驚きとなんだか悲しい気持ちで、それ以上言えなかった。

「魔法使いじゃないの? でも、あなたが叔父から狼を奪ったんでしょう?」

「奪った? 何の話? 君の叔父さんってのはずいぶん年取ったおじいさんじゃないよね?」

「ちがうわ」

 獣使いがぼりぼり頭を掻きながら近づいてきた。

「どうも話がかみ合っとらんな。これじゃ今日はもう続けられないだろう。一度都に帰るか。あんたはどっから来たんだ」

「ベネード村です」

「えっと、どこだ」

「ナラスタ州の」

「ああ、あの辺か」

 言われてもラジュエルにはわからない。

 ともかくも少女を連れて一度都に帰ることになった。

 狼と獣使いは言葉を交わすように見つめ合い、そのあとダッジオは言った。

「どうも途中でこの子を保護してここまで連れてきてくれたらしいな、おまえのデュカスは」

「保護? 何があったんですか」

「そこまではわからん。お嬢さん、歩いてきたのか」

「はい」

 歩きながら森の出口で口笛を吹き馬を呼ぶ。

「乗馬は?」

「できません」

 獣使いはちらりとラジュエルを見て言った。

「おまえの腕じゃお客さんを乗せられないな。俺の前でいいか、ちょっと狭いが」

「いえ、歩きます」

 ううん、とダッジオは頭を掻くと、

「しょうがない。おまえが歩け。できるだろ、そのぐらい」

「あ、ええ。大丈夫です。道もわかるし。先に行ってくれていいですよ」

 言うので馬を少女にゆずった。

 歩くのは慣れているし、今日は狼も一緒だと思うと気持ちがはずむ。

「会いたかったよ。どこに行ってたの?」

 答えないとわかっているが、つい話しかけてしまう。狼はまるで答えているようにこちらに顔をむけながら並んで歩く。

 その優しげな目をみながら、どこか遠く、自分の知らないところに行っていたのだとなんとなくわかる。

「祈ったとき、君が水のほとりにいたのを見たよ。女の人が一緒だった。その女の人がさっきの女の子?」

 ちがう、とわかった。

 言葉ではない。合図でもない。ただわかったのだ。

 獣使いが、言葉を使わずわかりあえるというのがなんとなく理解できてきた。

「あの女の子は誰なんだろう。どこで一緒になったの?」

 また答えではなく、それは少女に訊いた方がいいだろうとわかる。

 そんな風にしてラジュエルはぽつりぽつりと返事のない会話を続けた。ただただ楽しかった。さすがに村を通りぬけるときは、人が見たらおかしいと思うだろうなと黙っていたが、人のいないところではついつい話してしまう。

 馬に乗った獣使いと少女は、日がかげり始める中をずっと先に行ってしまった。少女は馬に乗り慣れていないらしく乗り方があぶなっかしい。

 一度ぐらりと傾きかけたが不思議と立ち直った。

 それは獣使いが黙って魔法で助けたからだということもわかった。アンジェニカ師が以前、竜に乗るのを支えると言っていたのは、おそらくそういうことだったのだろう。つまりラジュエルには今は魔法が見えるようになってきているのだ。

 都に入ってもダッジオと少女の姿は見えなかったが、おそらくファードル師か誰かに引き合わせられているのだろう。

 部屋に狼と一緒でも大丈夫なのか管理人に尋ねたところ、『力あるもの』なら大丈夫と言ってくれた。

 かなり大きな狼を連れているラジュエルを見て、最近宿舎にやってきた学生たちがぎょっとして立ち止まるのがなんだかおかしいような嬉しいような気持ちがする。

 遅かったなと問うカディオルにわけを話して、ひさしぶりに狼と一緒に眠る。まだまだ話したいことはたくさんあったが、これからはまた一緒にいられるのだ。

「おやすみ」

 言ったか言わないかのうちに、いつのまにかぐっすり眠った朝が訪れていた。

 

 呼ばれたのは翌朝のことである。ファードル師の部屋だった。縄ばしごを降ろしてもらって最上階まで登っていくと、ファードル師と昨日の少女のほか、ケーファ師、アンジェニカ師、ダッジオ師がいる。

「ラジュエルよ。おまえが狼を授かったときのことを、もう一度この子に話してやってくれ」

「いいですよ」

 ファードル師に言われるまま部屋にいる少女に、雪の中で助けられた話をした。

 聞き終わった少女はうなだれて見えた。

「疑ってごめんなさい。商人から、叔父の連れていた『力あるもの』を別の人が連れていたと聞いたので勘ちがいしました。でも……叔父はいったいどこに」

「チェルザードがこの『学びの塔』にいたのはもう10年ほど前のことだ。アルダムド師とともに旅立った。そのときは確かにアルダムド師はチェルザードのことを自分の後継者とみなしているようじゃった。その後何があったのかは、我々も把握していない。ただ……」ファードルは座ったまま、強い青い瞳をこちらに向ける。「ここに来る途中、歌う男に接触したと言っておったな。その男の特徴をもっと話してもらいたい」

 あの白髪隻眼(はくはつせきがん)の男――。

 そういえばあのとき、狼は妙にあの男に心惹かれていたように見えた。このまま狼を奪われてしまうのではないかと心配になったほど。

 聞き終わると少女は首をふった。

「叔父は……少なくとも私が最後に会ったときには髪は白くなく、片目でもありませんでした。人ちがいでは」

「おまえが最後に叔父上を見たというのはいつのことかね」

「あれはまだ兄が生きていた頃でしたから、3,4年前だったと思います。狼を連れて一人で村に戻ってきて、素晴らしい師匠の後継者になるのだと言っていました」

 師匠たちは黙って顔を見合わせて、視線で会話をしているように見えた。

――チェルザードに外見の変化が会ったのでしょうか。

――ラジュエルがアルダムド師と会ったのは、去年の冬だったな。

――大きな戦いだった。死ぬような目に会えば外見が変わっていてもおかしくはない。

 頭の中に師匠たちの声が響いてくる。今まではわからなかったのに。

 黙ってちらりと師匠たちの方に、さりげなく目を向ける。彼らはラジュエルに聞こえていることを気づいていないように見えた。ダッジオだけは、その視線を受け止めるようにちょっとラジュエルの方を見て、また目をそむけた。

「それで、おまえはこれからどうする。ここに叔父上がいないとなっては村に戻るか」

「ええ……」

「戻っても身よりはいないのでしょう。どうします」

 師匠たちに問われて少女はただうつむいている。

「チェルザードの身内ということで危険にさらされる怖れはないのか」

 ダッジオの言葉に師匠たちは一度黙る。

「ここにいてもいいのですよ。もしあなたが希望するなら、しかるべき手続きを取って魔法学の勉強をすることも可能です」

「魔法学の……」

「ええ、一度外に出て、ほかの学生がしたように『喜びの門』を通らなければなりません。邪悪な魂が塔に入りこまないように」

 アンジェニカ師の澄んだ精霊のような瞳を少女はじっと見て、考え込んでいる。

 なんとなく彼女が一緒に魔法を学んでくれたらいいのになと思った。

 もう少し叔父という人の話も聞きたい。彼女の叔父という人は本当にあのときラジュエルと狼に歌を聴かせ、『荒野』に誘った男だろうか。しかし白髪でもなく隻眼でもないと言うからには人ちがいかもしれない。

「ご苦労、もう行ってもよろしい」

 忘れていたとでもいうようにファードル師がラジュエルに目配せしたので退出する。

 そのあと、ダッジオが出てくるかとすこし待ってみたがなかなか出てこないので、塔に入っていく友達に頼んで縄ばしごを降ろしてもらい、薬学の講義に出ることにした。


 少女は名をミリュウといった。歳は15だそうで、ラジュエルより一つ下だ。

 父親はベネード村というところの神官だったが、つい最近亡くなった。母は彼女を産んだとき産褥熱のため他界、兄も病で亡くなっており、彼女だけが残された。それで『学びの塔』で学んでいるはずの叔父を頼ってここまで来たという。

 アンジェニカ師の提案通り、一度『喜びの門』の外に出て、魔法を学ぶ資格があるか検証するとのことで、門の外の宿に泊まることになる。ラジュエルは案内役を買って出た。

 最近はほとんど門の中にいるので、久しぶりに歩く町並みの中の、宿やパン屋がなつかしい。

「僕が最初に来たときは、ここの斡旋所(あっせんじょ)に並んだんだ。僕は町の神官様からの推薦状があったけど、君は?」

「あの髪の長い女の人が伝えておいてくれるって言ったわ」

「ああ、アンジェニカ師ね。彼女は優しいよ」

「そうみたいね。私、『学びの塔』の魔法使いってすごく立派で怖いのかと思ってた。叔父が魔法使いになるって村を出たときも、みんな大丈夫なのか心配してたのよ。でも父は、叔父には才能があるから、志を高く持って挑戦してもいいんじゃないかって言っていたわ。『力あるもの』を連れて村に帰ってきた叔父は、みんなの誇りだった。それが、どうして『荒野』になんて……」

 青い瞳が暗いかげりを見せたが、かける言葉はない。

 彼がどんな人物で、村を出てから何があったのか、ラジュエルにもわからない。

 ただ、今は身よりが誰もなくなってたった一人の身内である叔父を、遠くからここまで訪ねてきたという彼女に、できるだけのことをしてあげたい。

 斡旋所で紹介されたのはラジュエルと同じ宿だった。

「ああ、ここだね。僕もここだった。食事も美味しいし亭主や女将さんもいい人だよ。オウムがちょっとやかましいけど」

「オウム?」

 言っているそばから極彩色の鳥が飛び出してきて、頭をガツガツつつく。

「やかましい! やかましい!」

「うわあ、ごめん。悪気じゃないんだ。君は役に立つ鳥だと思ってるよ……いてっ!」

 ぶちっと数本髪の毛をくちばしで引き抜いて、オウムは宿に帰っていった。

「厳しいのね」

 ミリュウがくすくす笑っている。

「まあ、怒らせなければ、そんなに悪いことはしないと思う。気をつけてね」

「わかったわ」

 入口から、ホウキを持った女将(おかみ)がひょいと顔を出した。

「おや、久しぶりだね。かわいい子連れて。へええ」

「新しいお客人ですよ。アンジェニカ師から紹介が来てるはずなんですが」

「ああ、この子かい。あんたの彼女かと思った」にやにや笑いながら女将は、こっちだよとミリュウを招く。「あんたはどうするの」

「僕は『学びの塔』に帰ります。まだ今日もやることがあるので」

 入口で立ち止まりミリュウはちょっとふりむいた。

「もう会えない?」


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