第七章 狼と少女 其の二
そんなある日、朝から宿舎にラジュエルを訪ねてきた人がいると管理人に告げられた。
「……どなたかと思いました」
「あんまりじろじろ見るな。失礼だろうが」
久しぶりに見るダッジオは髪を短くし、服装もこざっぱりとして、まるで町の人のように見えた。というより、今までの格好があまりに狩人じみていただけなのだが。
「あれからずっと地下にいらっしゃったんですか? ご無事でしたか」
ダッジオは答えず、いきなりくるりと向きを変えて歩き出す。
「行くぞ。あんまり時間がなくなってきたかもしれん。ああ、トネリコの杖だけ持ってこい」
慌てて部屋から杖を取ってきて、すでに宿舎から離れているダッジオに走って追いついた。
「時間がないって?」
「おまえをもっと強くしとかんといかん」
「強く……」
魔法の力も使えない今、強くと言われてもいったい何をするというのだろう。
そのままダッジオは大股で喜びの門を出て、町の門から外へ行く。門番のところに男が一人立っていて、二頭の鞍を乗せた馬を引いていた。
「馬は乗れるか」
「いえ、乗ったことありません」
「おまえならすぐ乗れるようになると思うんだが、二、三回は落ちるかもしれん。落ちても魔法で助けてはやれんからな」
褒められたのかいつもの毒舌なのかよくわからないが、栗毛色の馬は大人しくラジュエルを乗せてくれた。
「両方の膝で馬の腹を締めるんだ。あんまり力を入れすぎると嫌がる。手綱は持っていいが、持つだけにしろ。あとはこいつがやってくれる」
獣使いが言うのだから、きっとよく慣れた馬なのだろう。
自分で乗ったことはないが、村長や旅の騎士が乗っているのを見たことはある。そういえばカディオルも馬に乗ってきていた。竜にさえ乗れたのだからきっと大丈夫だ。
「背筋を伸ばせ。首をまっすぐにして前を見ろ」
獣使いの罵声が飛ぶ。馬の背は思ったより高い。竜から見るはるか下の景色とはまたちがうが、ゆきかう人々を上から見る視点は気分がよかった。
都を囲む壕の北側の橋を渡り、西の森を目指して進む。城下町はすぐ抜けて、アンジェニカ師といつか見た畑の間を通り草原に入っていく。
常足に慣れてきたのでダッジオが、速歩にしようと少し馬の足を速めた途端、一度落ちた。
「うわっ!」
言う間に身体が傾いてそのままずるずると滑りおちていく。
「魔法で助けられんから落ちると思えと言っただろうが、この馬鹿もん!」
落馬といっても落ちると思って身構えたので、身体はぶつけたが怪我はない。それより久しぶりの師匠の元気な毒舌は、なんとなくほっとする。
お尻をはたいて手綱につかまり、また鐙に足をかけた。栗毛の馬はぐっと力を入れラジュエルが乗るのを待ってくれる。
「いい馬ですね」
「こいつは最高だ。わかるか」
「はい」
嬉しくなって馬の首筋をなでる。ぶるると馬が大きく鼻を鳴らす。
日差しは明るく、初夏の風が運んでくる草花の香りが心地良く鼻をくすぐる。大型の獣の背に揺られ、尊敬する師匠と轡を並べて美しい草原をゆく。急に、自分はずっとこういうことをしたかったんだという喜びが胸の奥から湧いてきた。
――ありがとう、大いなる方。
今までの苦労、今までの我慢。
『学びの塔』で、とくにあの美しい下着を着せられてから、自分では困っていないと思っていたけれど、本当はずっと何かを我慢してきたのだと初めて気づいた。しかし、いったい何を?
「今なら歌っていいですか?」
「もうちょっと待て。もう少し都を離れてからだ」
なんとなくダッジオが何をしようとしているかわかった気がした。
黙って師匠について、森へむかって馬をすすめる。
森に入ってすぐの薬草園はアンジェニカ師とも訪れたところだ。木々の合間から木漏れ日が差し込み、ハーブと花々のすがすがしい香りがする。こんな平和で美しいところに魔物が潜んでいるとは想像もできないほどだ。
「僕が助けていただいたあの日、狼はどうして僕を迎えに来てくれなかったんでしょうか。もう狼には会えないんですか?」
「ああ、あれは俺も悪かった。デュカスがいると油断しておまえ一人で行かせちまったのが俺の咎だと、さんざん言われた。まったくそれについては弁解しようがない。デュカスのことだが、今はまだ遠くにいる。しかし、いずれまた会えるだろう」
「遠くに? どこなんですか?」
ううん、と獣使いは頭をボリボリ掻いた。
「ともかくあいつも力を蓄えている。おまえもせめてあいつの足手まといにならない程度には強くなっておかにゃならん。その防御服を脱げ」
言っているのはトゥーリオに着せられた下着のことらしかった。
「いいんですか?」
「もうここは都からはだいぶ遠いからな」
「ばれませんか?」
「俺がやれと言ったと言え」
そもそも自分が着たかった服ではない。言われるままに下着を脱ぎ捨てると、なんだか窮屈な服を脱いだようにすっきりした。
なんともないと思っていたけれど、意外とそんな薄い一枚の服でも邪魔に感じていたらしい。魔法が使えないという不自由さのせいかもしれないが。
――魔法使いになると、だんだんと日常生活も魔法に頼るようになってしまって、人間が本来持っている力を失っていってしまう。
トゥーリオの言った言葉が脳裏にひびく。
自分はもともと魔法など使えない。だからこそ自分の力は失っていないのだと信じていたが、『学びの塔』で過ごすうちに魔法の便利さに知らないうちに慣れてきてしまっていたのかもしれない。
「よし。始めるぞ。おまえはそもそも魔物を呼び寄せやすい。防御服を脱いだから、こっちからの魔法も効くが、魔物からおまえを護る力も今はないということだ。まず護りの魔法から覚えるんだ。いいか。こっからは実践だぞ。命がけの戦いだと思って従え」
「命がけだなんて……」
冗談だと思って軽く笑ってみせたが獣使いは笑わない。冗談ではないのだ。
「まず両手を前に組む。自分が一番しっくりくる形でいい。基本はこれだが人によって形が違ってもいい。まずは基本通りやってみろ」
言われたとおり両手の指を互い違いに組む。大いなる方に祈るときの形と同じで特に違和感はない。
「そうだ、そのまま、自分がなにを望むかはっきりさせる。この場合は外の攻撃から身を護ることだ。臍の下に力をこめて、この世界のすべてを司っている大きな力と自分の中身を一体化させる感じ。……そうだ。いくぞ」
「痛っ!」
ぴしりと石つぶてが当たったような痛みが腕に走った。
「真面目にやれ。次いくぞ」
またぴしりと何かが飛ぶ。しかし何が当たったのか見えない。
「痛いです」
「あたりまえだ。攻撃だからな」
つまり、これは獣使いが魔法で自分を攻撃しているのだ。
「どうやって身を護るっていうんですか、どこから飛んでくるかもわからないのに」
「おまえが『見えない敵』と戦ったとき、どこから敵が来るのか見えたか? 魔法ってのはそういうもんだ。ほれ、ちゃんと防げ」
またぴしりぴしりと鋭い痛みが飛んでくる。といって本物の石つぶてが飛んだときのように服が傷つくわけでもない。腕は今は服に隠れているが、手の甲に当たっても怪我にはならない。
「これ、怪我が見えませんよ。『魔傷』じゃないんでしょうね」
「そんな悪いもの使うか、馬鹿もん」
言いながら師匠は次から次へと攻撃をしかけてくる。防げと言われても何をどうするのかさっぱりわからない。ただ一方的に攻められているだけだ。ボルードといた町での魔物からの攻撃もそうだった。あまりに一方的で手も足も出ない。
怪我をするわけでもないから血も出ないし身体が弱る感じもしない。それだけに、ただ痛みだけが続くのが不快である。
言われたように両手を組んでみるが、臍の下に力をこめるだの大きな力と一体化するだの、よくわからない。
「呪文とか使うんじゃないですか?」
講義で習ったことを思い出して言ってみたが、ダッジオは手を止めない。
「獣に言葉が通じるか? 魔物におまえの言葉が通じるのか。人間相手の魔法なら呪文も役に立つが、それは俺の管轄じゃねえ。言葉以前の力ってもんが魔法には含まれている。俺は俺にしかできないことをおまえに教える。それだけだ」
結局、午前中いっぱいそんな攻撃が続いた。
「休憩するか」
「もう嫌ですよ!」
「嫌だったら学べ。身をもって学ばんことには自分のものにならん」
獣使いは持ってきたエールとパンを出してラジュエルに分けた。
平らで柔らかな草の上の地面にとなりあって座り、食べながらつい愚痴が出てくる。
「学べったって何も教えてくれてないじゃないですか。なにかあるでしょ? 呪文がだめだったら道具を使うとか薬草を使うとか」
「そんなものに頼ろうとしてるから自分の力が引き出せないんだ。習っただろう、魔法の力は本来どんな人間にも備わっていると。その本来の力を使わなきゃ呪文を使おうが道具を使おうが本物の魔法とは言えない」
「無理ですよ。僕はそもそも魔法使いじゃないんですから」
「魔法使いたちが生まれたときから魔法使いだったと思ってるのか? そりゃもちろん両親が魔法使いだったら、最初から魔法のある環境に育つから慣れてるだろう。だが魔法ってのは血じゃない。魔法使いの子に生まれたからといって必ずしもいい魔法使いになれるとは限らないんだ」
「なれない人もいるんですか」
ダッジオは重々しくうなずいた。
「今のおまえみたいに、誰かが考えた便利な何かでどうにかできるだろうと考えてちゃ、本来の力は引き出せん。俺の見立てではおまえはいい資質をもっている。その本来の力を信じるんだ」
「資質? 僕のどこがいいんですか? 僕は田舎者の羊飼いですよ」
「田舎者も羊飼いもおまえのほかにもたくさんいる。それなのに、なぜおまえだけがアルダムド師から『力あるもの』を託され、おまえだけが『見えない敵』と戦って無事だったのか。いや、そもそも『見えない敵』は見えないんだから戦うことすらできないのが普通だ。それなのにおまえは名誉の負傷を負うほど戦えたんだ。自分の力をもっと信用しろ」
「名誉ですか? 『魔傷』が? 『魔傷』があるから周りに迷惑をかけてるって、みんなが」
「『魔傷』なんぞ気にするな。魔物と真剣に戦えば傷のひとつやふたつ負うのはあたりまえだ。そんなものに負けないぐらい強くなれ。おまえの身体は都育ちのやわな連中とは作りがちがう。たぶん子供んときから野山を駆け巡ってつけた体力や野生の勘のようなものがあるんだろう。おまえの中には、まだ発見されていない強い力がある。その力を世界にあまねく流れている大いなる力と同調させるんだ」
言われて、だんだん身体の中に力がみなぎってくる気がした。そうだ、確かに自分は子供の時から家の中より外で走り回り、木に登り、山々を駆け巡っていた。体力には自信がある。その体力と同じように、魔法の力もあるのだとすれば――。
「はい」
「さあ、もういっちょいくぞ」
ダッジオはにやりと笑みを見せて立ちあがった。
しかし、やる気にはなってみたもののやっぱり午前中とさほど変わらない。ぴしぴしと小さい痛みが続くだけである。
「ちょ、ちょっと休憩……」
「何言っとる。まだぜんぜん平気だろうが。甘っちょろいこと言ってんじゃねえ」
痛みは続く。ダッジオは手を止めない。
一方的にやられるばかりな状態に、だんだんとなんだか腹が立ってきた。こんちくしょうと言いたいが、師匠なので口に出しては言えない。その代わりラジュエルは逃げてばかりではなくきっとダッジオをにらみつけた。




