第七章 狼と少女 其の一
第七章 狼と少女
ダッジオ師は出られないかもと言ったが、翌朝にはトゥーリオ師が来て出してくれた。ダッジオはそのまま残り、ラジュエルだけ出てもいいと言われた。師匠が気になって振りむく。
「僕らがいない間、獣たちの世話は誰がやってるんでしょうか。エサはちゃんともらえてるんですか?」
「大丈夫だ。厩番がエサぐらいは出してくれているはずだ。世話となるとなかなか難しいが、塔の魔法使いたちは少しは獣の扱いもできるはずだ」
「ケーファ師やサマル師がときどき様子を見ていますよ。でも本当はあなたがやった方がいい。早く古い力の暴走が収まるといいんですけどね」
トゥーリオはちょっと気の毒そうに言って、ラジュエルの後ろでドアを閉めた。
「古い力の暴走って何ですか?」
「ううん……まあ、簡単に言えば、軽い反乱みたいなものだね。大丈夫だよ。昨日の魔法でうまく収められた。ただ君にもちょっと協力してもらう必要がある」
階段を登って地上に出ると、トゥーリオはシャボン玉で自分の部屋へとラジュエルを移動させた。
部屋には衣装掛けにいくつか下着のような服がかけてあった。色は様々だったが金色の文字のような模様がついている。師はそれらを手に取って見ながらラジュエルを呼んだ。
「これかな。ちょっと君もこっちに来て見てごらん。どれがいいと思う?」
「いや、僕は着るもののことはあんまり……。選んだことなんてないですから」
トゥーリオは明るく笑った。
「いや、お洒落をしろって話じゃないよ。これも魔法でね。この織物には防御魔法が織りこんである。常に肌につけていられるよう、下着の形にしてあるんだ。手に持ってみるのもいいな。重く感じる服はない?」
言われて次から次へと手に取ってみたが、とくに違いはわからない。
「……よくわかりません。どれも軽くて上等そうです」
そうか、とトゥーリオは少し困った顔をした。
「君は地下防御室に入ってもびくともしなかったそうだね。それどころか、あの防御の壁を越えて古い魔法すら使ったって聞いてる。どういう力なんだろう。本当に魔法について学ぶのはここに来て初めてなんだね?」
「なんだかよくわからないんですけど。ダッジオ師に歌うのを止めろとは言われましたが」
その下着を身につけるように言われ着替え終わると、トゥーリオは今度は部屋の隅にあったトランクを両手で持ち上げるよう指示した。衣装などがたくさん詰まっているのか、少し重いが問題なく持ち上げられる。
「ふうん……。まったく大丈夫だね」
「あの……、ダッジオ師もアンジェニカ師もなんかよくわからないことを話していて、さっぱりわかりません。僕の何が悪いんでしょうか。古い魔法ってなんのことなんですか?」
「もう置いていいよ」
言ってトゥーリオは魔法で、よい香りのする透き通ったオレンジ色の飲み物を二つ机の上に出し、椅子を勧めて自分も机の前の椅子に座った。
ほのかに甘みがあるすっきりした味が喉を心地良くすべっていく。晩春の温かくなってきた日差しが窓から明るく差し込む中、岩清水のように冷たい飲み物はとても美味しく気持ちが落ちついた。
ここしばらくの話を訊かれながら話すラジュエルに、トゥーリオはうん、うんと聞きながら相槌をうつ。
「君は本当に自覚なく古い魔法を使っているようだ。ビルディラ州って言ってたっけ。辺境だよなあ。ああいうところにまだ『見えない敵』が残っているんだね。アルダムド師はここを去られて『荒野』と対決しに行かれたんだと思ってたけど、国の端っこまで行かれてたんだね。『全きもの』になるっておっしゃってたんだって?」
「アルダムド師はここにおられたんですか」
「うん。すごい魔法使いだったよ。マルリオス師とどっちがすごいかってぐらいね。結局マルリオス師が王室づき魔法使いになってアルダムド師が去ったのは、実力の差というより考え方の違いだったんじゃないかと思うよ。アルダムド師は都だけ護ればいいというマルリオス師の意見に反対だったんだ。『見えない敵』がまだ国のどこかに残っている。古い力が残存するかぎり本当の平和はありえないってね」
「古い魔法の担い手だとおっしゃってましたよ、たしか」
「古い魔法だって? それは……」トゥーリオは顎に手を当ててしばらく考え込んだ。「でも師は君にあの『力あるもの』を託した。君の狼は僕も見たけど決して悪い力じゃなさそうだった。どういうことなんだろう」
「僕にはもっとわからないんですが」
「ああ、そうだね」
言ってトゥーリオはまた笑った。
「ダッジオ師に聞かなかった? 獣の力は太古からの力、つまり昔の魔法使いたちの使っていた古い魔法に通じるものがあるんだよ。それは一部の『荒野』の魔法使いたちも使っている力だ。『荒野』については君も聞いたことがあるだろう」
「ええ、『荒野』は悪い魔法使いのことだって聞きました」
ああそう、とトゥーリオは少し複雑な顔をした。
「『荒野』ってのは、必ずしも王権に敵対する魔法使いたちの集団ってわけじゃないんだ。ただ彼らはどこの権威にも所属しない。結果、王権や『学びの塔』の魔法使いたちに敵対する機会はおおくなる。だから我々はできるだけそういう力を都から排除したい。それはわかるね?」
「僕はここに狼を連れてきちゃいけなかったんでしょうか」
「君が連れてきたというより、狼が導いたんだろう」
「そうかもしれません」」
言われてみればそれ以外に考えられないような気もする。デュカス、導くものというのは本当にぴったりの名前だったのだ。
「それについてファードル師やマルリオス師も原因を知りたがっている。君を昨日地下防御室に入れたことや、この服を着てもらったのは、君が悪い力で『学びの塔』に攻撃をしかける者、あるいはその手先じゃないかと疑ったからなんだけど、どうもそうじゃないみたいだ。悪い魔法使いだったら、この防呪文服を着ただけで立ってすらいられない。のたうちまわって苦しんだ魔法使いもいるぐらいだ。それなのに、君は何の力も奪われていない。あの重たいトランクだって持ちあげちゃったぐらいだからね」
「重たかったですよ」
正直だな、とトゥーリオはまた笑った。
「ともかく、しばらくその下着を身につけていてほしい。これを着てると魔法の力が通用しないからちょっと不便なこともあるかもしれないけど、まあそのぐらいは我慢してくれ」
何のことかと思ったが、部屋を出るとすぐわかった。
シャボン玉がラジュエルの前にやってこない。3階ぐらいの高さの廊下からどうやって下に降りようかと迷っていると、トゥーリオが縄ばしごを出してくれた。
「原始的な方法だけど、これで上り下りするんだね。貸してあげるよ。講義のとき師匠たちの部屋に行きたかったら、誰かにこれを上から降ろしてもらうんだ。頑張れよ」
縄ばしごというものについて聞いたことはあったが、使うのははじめてである。
ゆらゆら揺れるはしごを、高いところから降りるのはちょっと怖かったが、故郷での木登りを思い出して、しっかりと縄につかまって一歩一歩ゆっくり降りた。
トゥーリオは上の廊下からずっと見ていたが、もうちょっとで地面というときに上から声をかけた。
「言い忘れてたけど、万一落ちても魔法で助けてあげられないから、落ちないように気をつけるんだよ」
「これからもずっとそうですか?」
そう、と上から言ってトゥーリオは、手すりに結びつけてあった縄ばしごをほどいて下に投げてよこした。
地面に着く直前に声をかけたのは、途中で声をかけて慌てて落ちるといけないと気遣ってくれたからだろう。
それにしても、魔法で何もかも動いている『学びの塔』で魔法が効かないというのは確かに不便なことだ。
例えば、食事の時もみんなには魔法で自然にお皿に食べ物が運ばれてくるのに、ラジュエルだけは別棟になっている厨房の建物に自分で取りに行かなくてはならない。コックはいて彼は魔法で調理をするのだが、食べ物そのものは魔法ではないらしく、できた料理は普通に食べられる。
最初は宿舎の食堂に料理を運んで食べていたが、面倒なので厨房の椅子と机で一人で食べるようになった。
講義に出るのもシャボン玉が使えないので、誰かに頼んでいちいち縄ばしごを上から降ろしてもらわないといけない。
「へえ、これが縄ばしごってやつなんですか。へええ」
最初、面白がっていたスティーノもすぐに飽きて、ラジュエルが頼まないと忘れて先に行ってしまうようになった。
カディオルは気にして覚えていてくれるが、最近は魔法経済学とか鉱物魔法というラジュエルの専攻しない教科を主に取っているらしくなかなか時間が一致しない。
その代わり、もう『魔傷』が魔物を呼び寄せることもなくなったと聞いて、今までラジュエルを避けていた学生が何人か協力してくれるようになった。
「大変だな。でも、魔法が使えないんじゃ、何のために魔法学の講義を受けてるんだ?」
ある学生に言われてはたと気がついた。
「そうだよね」
「実習で魔法使うときも何にもできないんだよな」
まったくその通りである。
最近は話を聞くだけでなく実際に呪文や道具を使って魔法を実践する段階に来ているのだが、ラジュエルだけは魔法が効かない。仕方なくただ見学している。師匠たちもわかっていてラジュエルだけ順番を飛ばしてほかの生徒を指導する。
ただ退屈な日々が続き、やっぱり故郷へ帰った方がいいのだろうかと、また思い始めていた。
「ともかく君が正体を隠した『荒野』の力のある魔法使いじゃないことだけは、はっきりしたよ。だいたい魔法使いになると、だんだんと日常生活も魔法に頼るようになってしまって、人間が本来持っている力を失っていってしまうものなんだ。ところが、君は縄ばしごもひょいひょい登れるし、重いものも運べる、走れば速いし、二階の窓まで飛び上がることもできたんだって?」
「ああ、いえ、あのときはすみません。みんなをびっくりさせちゃって……」
トゥーリオの部屋で、またオレンジ色の飲み物を飲みながら、しどろもどろに答えた。先日、寝坊して講義に遅れ、誰も縄ばしごを降ろしてくれなかったので、窓の外に転がっていた箱を積み上げて飛び上がって窓枠にしがみつき、そこから部屋に入りこんだのだ。
前触れもなく窓から現れたラジュエルを見て、薬学のサマル師は腰を抜かすほど驚き、しばらく講義室が大騒ぎになってしまった。
話すとトゥーリオは声を立てて笑った。
「魔物の暴走も収まってきたみたいだし、その下着をはずしてあげたい所なんだけど、まだマルリオス師の許可がおりない。もうちょっと我慢してくれ」
「ええ。それはいいんですけど、僕がここにいる意味がよくわからなくなってきたんです。魔法を学ぼうとしても魔法が効かないし」
いいかい、とトゥーリオは急に真面目な顔になって、顎の下で両手を組んでラジュエルをまっすぐに見つめた。
「君をここに置いておくのは、我々のためでもあるんだよ。ここにいれば君の力は我々のコントロール下にある。悪い者から君を守ってあげられるし、君が悪に染まることもない。結果、それは君のためにもなる。十分な力がないうちに、力ある『荒野』なんかに絡まれたら、君はあっけなく死んでしまうだろう。以前、君に接触したのはチェルザードじゃないかと思ってるんだが、危ないところだったんだ。ついて行ったら君は命を奪われ狼も向こうの手先になっていたかもしれない。それはアルダムド師の望んだことじゃないと思うよ」
「あの……」言おうかどうか迷い、思い切って相談してみることにした。「二回目の『白い火柱の儀式』のとき、僕は部屋に籠もっていたんですけど、歌声が聞こえたような気がしたんです。それで気になって窓から外を見てみたら魔物の声がして」
「歌声が? そうか、それで……」トゥーリオの目が大きく開かれ、師匠はどこか慌てた様子で立ち上がった。「話してくれてありがとう。これかも、怪しいことがあったら何でも相談してくれ。もう行っていいよ」
「あ、はい……」




