第六章 獣使い 其の六
また魔物だ。どうしてだろう。護りの儀式の最中のはずなのに、前回に続いて今回も。
嫌な予感がよぎる。ファードル師に気をつけるようにと言われていたのは、やはり自分が魔物を呼び寄せているからだろうか。窓から身を乗り出してしまったのがいけなかったのか。
考えていると、管理人が転がり込むように駆けこんできた。
「やっぱりあんたか。今すぐ移動してもらいたい。ここは危険だ」
「危険?」
「説明はあとだ」
管理人に続いてばたばたと階段を駆け下りる。
「これかぶって」
渡されたマントを頭からかぶるよう言われ、管理人に続いて『学びの塔』に走り込む。
どの部屋に行くのだろうと思っていたら、入口に立っていたアンジェニカ師に、
「こちらです」
と言われ、見ると壁の一角から地下に続く階段がある。
塔の内部にともるろうそくの灯りもその階段には届いておらず、暗く嫌な感じである。
「降りますよ。足下に気をつけて」
アンジェニカ師の掲げるランタンの灯りをたよりに薄暗い階段をそうっと一歩一歩降りていく。どことなくかび臭く、普段使ってはいないように思えた。
降りたところには廊下がありドアがならんでいる。そのドアの一つをアンジェニカ師はノックした。
「開けていいですか。あの子が来ましたよ。あなたの言ったとおりでしたね」
「余計なお世話だ」
聞こえてきた野太い声はダッジオのものだった。
一瞬、ここは牢屋のようなところではないかと身構えたが、ドアに鍵はかかっていない。地下だから光が届かずまっ暗かと思ったが、壁全体がほのかに明るい。魔法か何かで光らせているのかもしれない。
薄明かりの中でベッドに座るダッジオ師が見えた。
パタンと背後でドアが閉まる。
「……閉じ込められているんですか?」
「厳密にはちがう。鍵はかかってないし、昼は外に出られる。監視つきでな」
やや元気のない師匠の声が壁に響く。
「監視つきで? どうしてですか? 師匠がいったい何をしたっていうんです。僕もこんなところに閉じ込められるようなことをした覚えはありません」
「おまえ、ここにいてどう感じる」
質問に答えはなく、逆に尋ねられた。
「居心地よくはありませんね。暗いし狭いし風通しは悪いし」
「身体に妙な変化は感じないか」
「いいえ」
なぜそんなことを訊かれるのだろう。
「そうか。じゃあ、やっぱりおまえは悪い者じゃないんだな」
「どういうことですか」
「悪い魔法は人の中身を食い荒らす。本物の悪い魔法使いがここに閉じ込められたら身動きもできない。人の形だけもった邪悪な抜け殻みたいになっちまうんだ」
意味ははっきり理解できなかったが、暗い中に空疎に響くその言葉には、どこかぞっとする禍禍しさがあった。
「……いるんですか? その、邪悪な魔法使いっていうのが、この辺のどこかに」
思わず声を落として尋ねたが、ダッジオ師は首をふった。
「今はいない」
「今はってことは、いたことがあるんですか」
答えず、ダッジオは続ける。
「この中は魔法がいっさい通じない。そういう空間だ。『白い火柱の儀式』の最中におまえの中にある古い力や『魔傷』が魔物を呼び寄せることも、俺の力に呼応して獣たちが古い力を呼びさまされることもない。奴らにとって、しばらく俺たちをここに閉じ込めておくのは、それなりに意義がある」
よくわからなかったが、嫌な話のような気がした。
魔傷、魔傷と師匠たちが過剰なまでに心配していたのは知っている。だが、わざわざこんなところに閉じ込めるほどのことなのだろうか。
と、考えて、先ほどの悲鳴のことを思い出した。
「さっきまた魔物のような悲鳴が聞こえました。また魔物が都にやってきたんでしょうか」
「今までこんなことはほとんどなかった。おまえが来てからもう二度目だ。本当に『魔傷』が悪いのか、それともおまえの中に原始的な古い力が眠っているためか、俺も魔法使いたちもまだわからない。だが、連中はそういう古い力を怖れている。バオス歴582年の魔法大戦で絶滅したはずの古い魔物たちが、本当はまだ国のあちらこちらに生き残っていて、護られているように見えるのは、実は都とその周辺だけだとは奴らは知られたくない。マルリオスの沽券に関わる問題だからな」
「そんな……」
では、ボルードに会った町で戦ったあの魔物は、隠されていた古い魔物だったというのか。アルダムド師は、故郷の田舎でいったい何をしていたというのだろう。ただの追放者だと思っていたが、もっと深い事情が何かあるのかもしれない。
「……まあ、悩んでもしょうがない。朝になったら出してもらえるさ、たぶんな」
あまり希望のなさそうな声に続いて、薄暗い中に乾いた笑いがすこし聞こえた。
だんだんと目が慣れてみるとベッドは一つだったので、ラジュエルは硬い石の床に腰をおろした。薄雲を通した月の光ほどの明るさが部屋に満ちている。
「ここは窓がないのにどうして明るいんですか。魔法ですか?」
「いや、魔法じゃない。構造的なものだ。『学びの塔』の石材は少し光を通す。火柱の儀式の明かりが入ってきてるんだろう。それにここは完全な地下じゃなくて半地下だから昼は外の明かりも入ってくる。最初の印象ほど居心地は悪くないぞ」
「火柱の儀式の明かりは魔法じゃないんですか」
そうだな、と獣使いはぼりぼりと頭を掻いた。
「なんて言ったらいいんだか。明かりを集めているのは魔法だが、明かりそのものは魔法じゃない。夜にもわずかながらあちこちに光があるだろう。星の明かりとか、家々の明かりとか。そういう光を一点に集めている。同時に力も集中させている。その間、実は町の人々にわずかに残る魔法の力は奪われているし、火柱以外の明かりも消え失せている。目立たないからほとんど気づかれてないが」
「物理魔法ってやつですかね」
「ちょっとは学んだな」
獣使いが笑ったので、つられてすこし笑う。
「朝まで出られないんだったら、ここで眠るしかないですね。ちょっと陰気くさくて嫌だけど。歌でも歌います?」
「懲りない奴だな」
いつも通りの憎まれ口を叩くところをみるとすこし元気になったのかもしれない。
止められないのは構わないということだと思って、羊の番をするときの歌を歌い始めた。
『大空は西に燃え、太陽は落ちてゆく
大地に抱かれ、羊は眠る
月よ星よ、見ていてください……』
夜の草原で歌うといつも大地の懐にくるまれるような安心感を覚えるその歌を、口ずさみ始めたときである。
ぐらぐらっと地面が揺れて、驚いて歌うのを止めた。
「地震ですか?」
「いや……その歌は止めておけ」
まもなく地震は収まった。と思ったら階段を誰かが駆け下りてくる音がする。続いてドアが激しくノックされ、ダッジオが開けるとアンジェニカ師が慌てた様子で、彼女にはめずらしい早口で何事かまくしたてた。ラジュエルにはわからない言葉である。
ダッジオもやはりわからない言葉で会話しながら、ちらちらと二人でラジュエルの方を見ている。ファードル師とかマルリオス師という言葉がわずかながら聞き取れた。
やがて少し落ちついたアンジェニカ師が、やや厳しい声で訊いた。
「あなたが狼に仕事をさせているわけではないのですね?」
「えっ? 何のことです?」
「こいつはチェルザードとは関係ないだろう。嘘だったらここに入れられて無事でいるはずはない」
また二人はしばらくわからない言葉で話し、アンジェニカ師は陰鬱な顔でうなずくと、
「夜が明けたらあなたの身の振り方を考えましょう」
と言って戻っていってしまった。
振り向くとダッジオは、
「……おまえってやつは」
と言いながらどさりとベッドに座った。
「僕が何だっていうんですか。あの歌がそんなに悪かったんですか?」
ううん、と獣使いは両手で頭をぼりぼり掻きむしり、
「いや、なんでもない。俺たちが閉じ込められるのはもう少し長くなるかもな」
とだけ言った。




