第五章 学びの塔 其の六
「魔物?」
「しっ! その言葉を使うな!」
スティーノの反対どなりのカディオルが厳しく制する。
悲鳴はいくつか続けて、北東の森の方から聞こえてくる。だが、怖れることはなさそうだ。かなり距離がある。
「ちょっと遠くなんじゃないかな?」
「そ、そうですよ。都まで来たら大変ですから。そのために儀式で都を護ってるんですよ。だ、大丈夫です。魔法使いたちがこんなにいるんですからね」
「じゃあ、怖がらなくてもいいんじゃないの?」
「べっ、別に怖がってなんかいません……ひゃあ!」
言い終わらないうちに、三人のすぐ近くを轟音とともに何ものかが横切った。闇夜に広がる儀式の白い光を、薄く大きな影がよぎる。
「危ない! おまえら、引っ込め!」
獣使いの怒声が下方から鋭く飛んだ。
はっと気づいてラジュエルはとっさに腕を伸ばしてスティーノとカディオルをかばった。
「逃げて! 早く宿舎の中に!」
二人を先に中に入れつつ振りかえると、もう一度、今度はすぐ近くでギャアと悲鳴が聞こえた。
さっきの影に向かって何か小さな黒い影が、下から一直線に飛来し衝突する。
そうだ、これは『見えない敵』だ。あの町で狼が戦ってくれたあの魔物と同じような。だが、攻撃したのは何ものだろう。狼ではあんなに高く飛べない。きっと獣使いが、何か術を使うか生き物を使って攻撃したのだろう。
見定めたかったが、これ以上外にいては危険だ。ちらちらとふり向きながら他の学生たちを急かせて中に入れ、自分はしんがりになって入るとすぐ扉を閉めた。
最後にふり向くと、夜空の黒い影が断末魔の悲鳴を上げて落ちていくところだった。その身体ははっきりと見えないが、暗い夜空よりなお暗い煙のようなものがしゅうしゅうと音を立てて空中に離散していく。
「引っ込め! 馬鹿もん!」
獣使いの声がまた轟き、続いてギャアアと悲鳴が上がる。もはやそれが何か見定める間もなくラジュエルは扉を閉めて中に駆けこんだ。
「大丈夫か、怪我は?」
すぐさまカディオルが寄ってきた。どこも痛くはないが言われてみれば胸の古傷がじんじんする。
「うん、大丈夫。あれは何? 魔物が来たんだろうか。こんな儀式の最中に」
「僕はここに来て1年半ですけど、こんなことは初めてです。でも……魔物なんていませんよ。僕らの生まれる前に、魔物はもう絶滅してるはずですから」
スティーノがまだ震える声で、薄暗い階段を降りながら振りかえる。
「その……おまえの『魔傷』ってやつが何か悪いことをしてるってことはないだろうな」
カディオルが、責めるというよりも心配げな口調で尋ねた。ラジュエルにもそれは答えられない。ことが収まったら誰かに尋ねてみようと思った。
階下から宿舎の管理人、あの小太りの男が登ってきた。
「おうい、君たち、大丈夫だったかね。とにかく食堂に来なさい。温かい飲み物でも飲んだ方がいい」
それは魅力的な提案に思われたので、学生たちと供にラジュエルたちも降りていった。
「何だったんですか? あれは。よりによって護りの儀式の最中にあんな危険が」
ミルクの入った甘くて茶色い飲み物で身体を温めながらスティーノが管理人相手に騒いでいる。
「俺もあんなことは初めてだ。ずっとそんなことはなかったのに」
言いながら管理人がこちらに向けた視線にラジュエルは気づいた。
「僕が何か悪かったんでしょうか?」
「君の狼はどこにいるね」
「ずっとダッジオ師に預けたままです。狼は自分のいたい場所にいるだろうと言われて、それ以来会っていません」
「君ではないんじゃないかと思うね。君の連れていたあの狼は古い力に関係してるから、もしかしたらそいつを狙ってきたのかもしれん。狼が今、都の中にいるのかいないのか、夜が明けたら獣使いに訊いてみようかと思うんだが」
狼か――。
狼を託した忌み人、おそらくアルダムド師という人は自分は古い魔法の担い手だと言っていた。狼がジュート、仲間という意味ならば、狼も担い手であると考えてもおかしくはない。
「僕は狼をここに連れてきちゃいけなかったんでしょうか? それで都に危機が訪れたということは?」
うーん、と管理人は考え込み、わからん、と言った。
「しかし、あんな『力あるもの』を地方の田舎に置いたままにしておくのも、それはそれで危険だ。誰かがなんとかできるとしたら、やっぱり『学びの塔』の魔法使いしかないんだろうなあ」
「狼は手放した方がいいですよ。獣使いがせっかく引き取ってくれたんだからあげればいいじゃないですか」
スティーノが飲み終わっておかわり、と言うと飲み物が勝手にコップに増えていた。
「うん……。僕にはふさわしくないようなことも言われたし、明日、彼に話しに行ってみるよ」
正直、狼を手放すと思うと寂しい気がする。しかし、自分のような、おそらく未熟者には手に余るものだとしたら、ここの人々のために手放した方がいいのだろう。
ベッドに戻る頃には外の騒ぎは収まっていた。
はじめて狼に温められながら山小屋で夜を明かした夜のこと、見えない敵に襲われて狼が戦ってくれた夜のこと。今ではかけがえのない友人のような存在になってしまった狼と別れるのは辛いなと思いながらうとうとしているうちに夜は終わった。
翌朝、ラジュエルが宿を出る前に獣使いの方からやってきた。
「おい、ぼうず。怪我はなかったか」
「大丈夫です。師匠の声が聞こえてすぐ中に入りましたから。ほかの学生も特に怪我したと聞いてはいません」
ダッジオはうなずくと、
「ちょっと来い」
と獣舎の方へ大股で歩いて行く。
獣舎に入ると、ブラッシングをしてもらえると思ったのか巨大なバイソン(野牛)が鼻をこすりつけてくる。
「よしよし。後で手入れしてやるから」
ラジュエルが背を撫でてやる様子を横目で見ながらダッジオは、獣舎の横の小屋に入っていき、
「座れ」
と自分も椅子にどっかと腰掛けた。
小屋はラジュエルの家より小さかったが、中にはテーブルと椅子と暖炉、そしてベッドがあった。夏に放牧に行くときに使う山小屋を思わせる。
「おまえ、確か『魔傷』があったな」
「ええ」
「どこの町だ」
「多分あれはクレーナ子爵の城下町だと思います」
「ビルディラ州か」
「はい」
「そのときの魔物と昨日の魔物は一緒か」
「魔物? あれはやっぱり魔物だったんですか?」
「お前の見たこと聞いたことを詳しく話せ」
言われてラジュエルは、あの街で経験したことをぽつぽつと話した。
「お前を襲ったのはどんなヤツだった」
「よくわかりません。でも、そのとき出会った人が『見えない敵』と呼んでいました。あのときは赤い月が出ている晩でしたけど、影のような存在を感じたところは似ていました」
ふむ、と言ったきり黙り込んでしまった獣使いにラジュエルはおずおずと尋ねた。
「あの、狼は今、どうしてるんですか? 昨日、あの恐ろしい何かと戦ったのは、僕の狼だったんですか?」
「そうだ。あれほどの魔力をもつ『力あるもの』はそうそういない。お前の街で経験したこともあいつから聞いたよ。いや、聞いたというかわかったというべきか」
「狼から? 獣の言葉がわかるんですか?」
「いや、言葉じゃないな。おまえは羊の気持ちがわかるようなことを言っとったろうが。そんな感じだ。それをつきつめていくと相手が獣であってもわかりあえるようになる」
ああ、とラジュエルはうなずいた。狼は自分の言ったことをわかっているけど、向こうの言うことはわからないと何度も感じたことがあった。
「もっとわかりあえたら、獣の伝えたいことを知ることができるようになるんでしょうか」
「なる」
力強くそう言われてなんだか嬉しくなった。
もっと狼とわかりあいたいと幾度も思ってきた。獣使いに学べば、狼や羊たちともっとわかりあえるようになるのだろうか。
と考えて、狼は手放すべきだと言われたことを思いだし、また少し悲しくなった。
「おまえはこれからどうしたいんだ」
「……わかりません」
「わからんってことがあるか。帰りたいのか学ぶのか、そのどっちかだろう。それともなんだ、都で遊んでから帰りたいのか?」
にやりと下卑た笑いを見せた獣使いに、いいえ、と答えながらだんだんとうつむいてきた。
「やりたいことがわからんわけじゃないだろう。遠慮するな。言ってみろ」
「本当は、きっと僕は狼ともっと一緒にいたいんだと思います。僕に狼を託したあの方に比べればきっと短い期間だろうけど、一緒にいて今ではかけがえのない仲間のように思っています。でも、昨日のあの恐ろしいもののこと、管理人さんと話したんですけど、もしかしたら僕があの狼をここに連れてきてしまったことが悪かったのかもしれないと思って。だったら、狼をあなたのような人に預けて、僕なんかは元通りの羊飼いに戻った方がいいんじゃないかって考えてたんです」
「だったら話はこうなる。いいか」獣使いはぐっと前に身を乗り出した。「おまえが今のあいつにふさわしいものになるか、諦めてとっとと帰るかのどっちかだ」
とくんとひとつ胸が高鳴った。
今、返事をしないといけないのだろうか? しかし、待ってはくれなさそうな雰囲気だ。
「なります」
思い切って言うと、と獣使いは今度は満面の笑みをひげもじゃの顔にたたえた。
「よし。覚悟はいいか。道は厳しいぞ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
読んで下さってありがとうございますm(__)m
次回もよろしくお願いいたします。




