第五章 学びの塔 其の五
獣使いはきびすを返して小屋の外へラジュエルをいざなった。
叱られるのだろうか、まずいことを言ってしまったのかと思ったが逃げることもできないので仕方なくついて行く。
何か悪いことでもしただろうか。機嫌を損ねてしまったらどんな厄介ごとを押しつけられるのだろうと暗い気持ちでラジュエルはダッジオについて外へ出た。
ずんずんと進むダッジオは、『喜びの門』から出て町へ行く。
どうするのだろう。このまま『学びの塔』を追放されるのだろうか?
訝しみながら早足のダッジオに遅れないようについていくと、ある一軒の居酒屋に入っていった。
奥の椅子にどっかりと座ると、ラジュエルにも座るよう顎でうながした。
「ビール」
運ばれてくるジョッキは、あたりまえだが店の人が手で運んでくる。魔法があるのが当たり前という世界に馴染んでしまっていたのだろうか。手で運ぶのはかえって新鮮に思える。
「羊飼いだと言ったな。おまにとって羊はどんなやつだ」
なぜそんなことを訊かれるのだろうと思いながら慎重に言葉を選んで答えた。
「羊は……そうですね、狼とはちがいます」
「あたりまえだ、馬鹿もん」
「羊は群れたがるし大人しいし、……ちょっと馬鹿かなと思うこともあるけど、エサをねだってくるときはかわいいですよ。怖がるとパニックになりますしね。護ってやらないとと思います」
「狼は羊の敵だ。怖ろしいと思わなかったのか」
「最初は怖かったですよ。でも、僕はすっかり凍えていましたから。狼に出会わなくても、もう死ぬと思ったんです。最初は弱ってる僕を食べに来たのかと思いました。まさか助けてくれるなんて」
ふふん、と獣使いはなぜか嬉しそうに薄く笑った。
「『力あるもの』じゃなくても、狼ってのは情に厚いんだ。だが、あいつは野生の狼ともまたちがう。それに狼にしてはものすごく長く生きている」
「どのぐらいですか」
「おまえにこいつを託したのは、多分アルダムド師だ。ずっと以前にここにおられた。あの方がここを去ったのはもう10年以上昔になる。そのときにはすでにこの『力あるもの』と長く一緒にいた。一度、弟子を取ってこいつを譲ろうとしたが、その弟子は……まあ、そいつのことはここで言うべきことじゃないな。少なくともおまえとは全然違うタイプだった。なんでおまえみたいな奴が選ばれたのかわからん」
馬鹿にされたのかその逆なのかわからないので、とりあえずごくりとビールを飲んだ。
「偶然なのか、運命だったのかは後になってみなければわからないと言われました」
「後になりゃ誰でもわかるさ。問題は、その時点で自分の運命だと気づけるかどうかだ」
ダッジオはぐいっと一飲みでジョッキを空にすると、おかわり、と女将を呼んだ。
「ずっと、僕はどうすればいいんだろうと思って来ました。でもあるとき、『谷間の風のはじまるところ』を目ざしているんだろうと言われて、不思議と心惹かれる気がしたんです。『谷間の風のはじまるところ』って、なんのことですか?」
「おまえがそこを目ざすのか」
ダッジオは驚いたように目を丸くし、続いて哀れむように眉をひそめた。
「それを言った奴は、どうせそこに行けば望みが何でもかなうとでも吹き込んだんだろう。そんなたわ言を信じてる奴は多い。だが、そんな簡単なもんじゃない。『谷間の風のはじまるところ』の向こう側に行けるのは全きものだけだ。すべての魔法使いがそうしなきゃいけないわけじゃない」
「なんのことだか、僕にはさっぱりわからないんですが」
ダッジオはわははと大声で楽しげに笑うとまた運ばれてきたジョッキを空けた。
「知らん方がいい。下手に情報があると身を滅ぼす未熟者がいる。おまえに少しでも知恵があるなら、時が満ちて自然とわかるまで待つことだな。そんな日が来るかどうかわからんが」
「僕はどうしたらいいんでしょうか」
「自分で言っただろうが。学ばせてもらうんだと。学べ。力の限り、時間の許す限りここで学べることを学べ。俺の勘じゃ、おまえはいずれどえらいものに立ち向かうことになる。そうなったとき、何の力も身につけてなきゃ、あっという間にあの世行きだ。まあ、馬鹿者がどうなろうが、俺の知ったこっちゃないが」
「はい……」
豪快に飲み食いするダッジオは、あまり多くを語ってはくれなかった。
だが、悪い人ではない、と思えた。
食事が終わると、居酒屋で料金を払ってくれるダッジオに、
「奢ってくれるんですか?」
驚いて訊くと、
「金がないと言っとっただろう、忘れたか、ボケカス」
と、また怒られた。
「ありがとうございました」
「あ、礼ならこれから毎日獣舎掃除ってことでいいぞ」
部屋に帰ると、となり部屋のカディオルが待ちかねたように訪れてきた。
「大丈夫だったか。殴られたりしなかったか?」
「うん。食事奢ってもらったよ」
「なんだって?」
驚いたようにどすんとカディオルが部屋の椅子に腰を降ろしたので、ラジュエルも向かい合うようにベッドに座って、獣舎掃除の話から順を追って話し始めた。
「お邪魔します」
声がかかって、ドアの所にスティーノが訪れていた。
「君もここの宿舎なの?」
「いえ、僕は別のとこなんですけどね。門に入った時期が近いと同じ宿舎になるんですが、滞在期間はまちまちですから。長くいる人はもう何年もいるみたいだし、短いと半年も経たずに出て行ってしまう人もいますよ。僕もそろそろ出たいと思ってますけど」
「今、獣使いの話を聞いていたところだ。おまえの言うこととだいぶちがうぞ。ラジュエルは食事を奢ってもらったそうだ」
「何ですって?」
話が長くなりそうなので、ラジュエルはちょっとずれて、ベッドのとなりをスティーノのために空けた。
「へええ、ずいぶんと気に入られたんですねえ。でも、気に入られてありがたい相手とその逆の相手はいると思いますよ」
「奢ってもらってこき使われるのかもしれないしな」
「これから毎日、獣舎掃除って言われたよ」
「本当に変なのにつかまっちゃいましたね。あの狼が気に入られたんでしょうか」
「そうかもしれない。どうもあの狼はすごい獣らしい。僕みたいな未熟者が一緒に旅してきたってことが、彼の興味を引いたのかもしれない。だとしたら、逃げてもまた絡まれるんだろうな」
「適当なとこで見切って、他の師匠についたらいいと思いますよ。獣使いは普通の魔法使いより格下ですから。せっかく『学びの塔』に来たのに、あんな奴に関わっているのは時間の無駄です」
「うん……」
たしかにスティーノやカディオルの言うとおりなのかもしれない。魔法を学びたくてここにいるのに、獣舎掃除など押しつけられて自分ばかり損をするのかもしれない。
だが不思議と、彼に感じた温かさに心惹かれる。ちょうど狼がはじめて一緒に夜を明かしたときに、身体を温めてくれたときのように。
次の日からは毎日、スティーノやカディオルと一緒に『学びの塔』で師について学んでみた。魔法基礎学、言葉学、植物学……。
カディオルは鉱物学が気に入ったと言うし、スティーノはあとは風・気象の魔法と、魔道具学を学んだら故郷に帰ると言っている。
ラジュエルは植物学に興味を持った。村を護る御神樹だったトネリコは生命力と力の象徴であり、魔物から人々を護り、生き物たちに活力と生きる力の源を与える。トネリコの杖を持つものは、大いなる方の御加護を得ることができるのだと習った。
他にもある種の植物から薬を作ること、その薬にもっと効力を与えるための肥料や日の当たり方など気をつけなければいけないことを、緑使いの女性魔術師は、あいかわらず眠くなるようなゆったりした声で、流れるように話し続ける。
ときどき眠ってしまうこともあったが、はっと目が覚めて彼女と目が合うと、くすりと笑って許してくれるのだった。優しい人のようだ。
夕暮れになるとラジュエルだけが獣舎の掃除に行くのだが、獣使いはあれ以来あまり話にも来ず、夕食はカディオルたちと宿舎や敷地内の食堂で取った。
『喜びの門』に入って七日目、夕食を食べながらスティーノが、
「今日は面白いものが見られますよ。塔の外からは見えなかったかもしれませんが、月に一度の『白い火柱の儀式』があるんです。なかなか見ものですから、よく見えるよう宿舎の屋根に登りましょう」
と二人を誘った。
「なんだ、それは」
「都を悪い力から護る魔法使いたちの儀式ですよ。獣使いを除く全魔法使いが塔に集結して、その魔力を合わせて都を護るんです。定期的にこれをやることで、入りこんでくる悪いものを早めに退散させ、秩序を保つんです」
「へええ。なんかすごそうだね。屋根になんか登れるの?」
「見学できるよう屋根にバルコニーが設けてあって、そこに行く階段がこの日だけ解放されるんですよ。早く行っていい場所取りましょう」
そこで急いで食事を済ませると、屋根に向かう階段を登った。すでに学生たちが何人か階段を登っている。ラジュエルたちは早いほうだったらしく、バルコニーの中央は取られたがその脇に場所を陣取った。
すでに日は落ちて西にうっすらと薄紫色の光の帯を残すだけとなっていた。星々は頭上に輝き始めているが月はない。
「今日は新月なんです。月のない夜に行われるんですよ。こういう晩は魔の力が強くなるんだそうです。悪い力が都に入りこむとしたら一番魔の力が強くて、月の護りの力が弱くなるときだからってことらしいですよ」
いつか、ボルードのいた町で『見えない敵』に襲われたときのことを思い出す。あのときは逆に満月だった。まん丸な月が不気味に赤く浮かぶ不吉な夜だった。
「新月が一番危ないの? 満月は大丈夫なんだろうか」
「満月も別の意味で危ないです。光がないと悪い力が強くなるし、満月は満月で力の均衡が崩れやすいんだそうですよ。一番安全なのはその中間ぐらいらしいですが、まあどのみち、夜ってのは魔の時間ですから気をつけないと」
怯えるように声を潜めてスティーノが言う。
夜になり、魔法使いらしい人々が次々に塔に入っていっている。ここからは見えないがみんなあのシャボン玉に乗って移動しているのだろうか。
あちこちの建物、おそらく宿舎の屋根に、同じように人々が登って見物している。空は澄み切ってなんの気配もしない。
やがて塔の窓の灯りが消え、塔全体が暗闇に包まれたと思うと、てっぺんのとがった部分からなにやら白い光のようなものがすうっと天に向けて放たれた。
白い光はどんどんと強く明るくなり、みるみるうちに塔全体が光で包まれて、さながら全体がろうそくの炎であるかのように明るくかがやき始めた。炎とちがってパチパチはぜる音もなくごうごう燃える音もなく静かに、しかし力強く天に向かって燃えさかっている。
「ほら、王城の方も」
スティーノが指さす西の方を見ると、山の斜面を背にした王城からも白い光が同じように上がっている。さらによく見ると町のあちらこちらからも細い白い光が、天に向かって放たれている。上に向かう光の束は天空高くひとつに混じりあい、空全体をうすぼんやりと明るく照らしていく。
ひゅううと淡い音がして、光の玉が空に打ち上げられたと思うと、それがぱあっと弾けて無数の星に変わって天空に広がった。光の玉はいくつもいくつも続けざまに打ち上げられていく。広がった星は時間が経つとゆっくり消えていくのだが、次々に打ち上げられるので空は星の光でいっぱいになった。
そのとき、急にとなりのスティーノが、
「ひえっ!」
と小さく叫んで腕にしがみついてきた。ギャアアと悲鳴のような声が遠くに聞こえる。




