第五章 学びの塔 其の四
「危ないものなんか出てきませんよ。これはとてつもなく地下深いところに生えるテッラキノコのクリーム煮、絶海の孤島牛のソテー、日出づる草の炒め物、夕暮れ草の実ジャム……」
聞いたことのないものばかりだった。カディオルも知らないものばかりだそうだ。
「僕は栄養学も専攻したんです。魔法体質を鍛える食べ物が豊富にあります。もちろん食べるだけじゃだめで、こういうものを食べて学んで実践してはじめて魔法が使えるようになっていくんだそうですよ。普通のものを食べているより成長が早いんですね」
「どこから手に入れるんだ、こういう材料は」
「……さあ。普通の人じゃ手に入らない場所らしいですよ。食材を手に入れる専門の商人もいるみたいです。とりあえず食べましょう」
言われるまでもなくお腹が減っていた。
見た目はそれほど不気味ではない。魔法の食事と言われると、つい、ヘビやらトカゲやら食べなければいけないかと思っていたが、ただ聞いたことのない食材というだけで、食べてみるとそれは美味しかった。
食事は大皿に盛ってありいくらでも自由に取っていいのだが、なくなるといつのまにかまた増えている。誰かが補充しているのかとじっと見てみたが誰もいない。
「まるでお皿から食べ物が勝手に出てくるみたいだね」
「なかなか良い言い方をする」
どこかで聞いた声が上の方からしたとおもったら、言葉学のトゥーリオが近くに来ていた。周りを囲む女たちの化粧の香りがする。
「魔法で料理してるんですか?」
「もちろん、ここにも厨房はあるよ。運ぶ手間を省いているだけさ。時間と空間を操る物理魔法を使っている。師匠はメザクロンだ。少々計算力が必要だから、まず数学魔法をマスターしてから履修することをお勧めするよ」
「難しそうですね」
「ああ、確かに物理魔法は難解だ。私はマスターできなかったね」
「導師でもすべての魔法学をマスターしているわけではないのですか」
カディオルが尋ねるとトゥーリオは笑って言った。
「誰にでも得意不得意はあるよ。マルリオス導師ですら、完全にはできないこともある。ある程度知っていればいいのさ。そして得意なことで勝負する。ここには仲間がたくさんいるからね。自分ですべてができなくてもいいんだ」
「都はいいですね。すべての魔法使いが揃っているから。私たちのような地方領主のところでは、なかなかそうはいきませんよ」
「君は跡取りなのか。そうだね。基本的なところだけ押さえておいて、あとは雇える魔法使いを探すといい。もしかしたらここで学んだ仲間が出世して君の役に立つこともあるかもしれないし」
言って今度はちらりとラジュエルの方を見た。
「……『魔傷』があるね」
「わかるんですか?」
「『魔傷』があると魔物を呼び寄せる。よく鍛えておくといい。いつか戦うことになる」
女たちが早く早くとせかすので、トゥーリオは、じゃあと声をかけると行ってしまった。
「言葉使いはもてるんですよ。しかも女好きときてる。学位をエサに女の子を好きにできるんだからいいご身分ですよねえ」
スティーノがうらやましそうにため息をついた。
「そんな下心で言葉学を学ぶのか?」
「カディオル様はお美しい婚約者がいるからいいじゃありませんか」
「いや、私は、その、なんだな。あ、いや、おまえだって帰ったらご両親が、きっと」
赤くなるカディオルを巣ティーノがからかっている傍らでラジュエルは憂鬱な気持ちがよみがえってきていた。
『魔傷』を負ったのは自分が招いたことではなかった。あのときはボルードのことを、本当の魔法使いだと思っていたのだ。そんな過失が大きな厄災の元になるとは考えてもみなかった。『学びの塔』で学ぶのは、悪い魔法使いと戦うような強い魔法を習得したいものだとパン屋も言っていた。
「戦うのかな。いつか、僕も。故郷で見たあの魔法使いたちのように」
狼がいなかったので、独り言のようにつぶやいた。あの頃は何もわかっていなかったが、今にして思えば、故郷で見た天変地異は魔法使いの戦いだったに違いない。忌み人の老人があんな場所に一人でいたのも、もしかしたらそれに巻き込まれたものだったのかもしれない。
スティーノが心配そうに声をかけてきた。
「ここは護られています。でも、地方にはまだまだ古い魔物が巣くっているところも多く残ると言いますよね。地方から出てくる青年たちで、そういう目的でやってくる人もいます。邪悪な古い力から故郷を護りたいって」
古い力――。
それでは、ボルードの町を襲ったあの不気味な『見えない敵』も何かの古い魔物だったのだろうか?
スティーノもカディオルも、答えはわからないと言った。
そのあとはスティーノの案内で、何人かの導師、薬学、医学、天文学、鉱物学、大気と風学、魔道具学などを教えている師匠の見学に回った。
「師を選ぶって言ってたよね。誰に習ってもいいの? 習いたいと言ったら弟子にしてくれるんだろうか」
「だいたいは受け入れてくれます。でも、師によりますね。人気があると難しい場合も……」
言いながら、塔の二階の一つの大きな部屋へ、またシャボン玉に乗って三人で移動した。中には並んだ机と椅子があり、学生が何人も座っている。
「基礎魔法学です。ここはまず学ばなければ」
スティーノに並んで椅子に座る。
やがて中年の男がやってきて並んだ机の前に立ち、講義を始めた。
魔法学は真面目に、誠実な誓いをもって学ばなければならないこと、立派な魔法使いになって国を護ること、人々の役に立ち国を発展させるような魔法使いにならなければいけないこと……。
講義は退屈だった。カディオルは真面目に与えられた紙になにやら筆記していたが、ラジュエルはそんなに早く字も書けないのでただ聞いていた。
なんだか薄まったような気づきしか感じられない。あの星空の下で手に入れたと思った万能感はなんだったのだろう。今学んでいることが魔法使いになる道筋だとしたら、自分は本当は向いていないのかもしれないと、ぼうっとしながら窓の外を見たりしていた。
次に行ったのは「緑使い」という師匠の植物学の講義だった。
師匠は女性で、年齢はよくわからない。美しいような悲しいような、若いのに年老いているような、あの人は妖精だと言われたら信じてしまいそうな雰囲気だった。
「草木や花にはそれ自体に強い生命力があります。むやみにその均衡を壊してはいけません。人間は生きるために植物を食べます。食べるということは、本来なら寿命まで生きるはずだった植物の命を奪っているということです。それをわかっていなくてはなりません」……。
トネリコの杖のことを思わせる。あのとき、婆様は『こういう時のためのご神樹だ』と言って樹を切るのを許してくれた。子供の時いたずらで木を傷つけたときはこっぴどく叱られた。そして、トネリコの杖は自分を護ってくれた。
狼などの獣に力があるように、植物にも力があるというその話は、さっきの真面目な講義とちがって心に深くひびいた。
「あーあ、あの声聞いてると眠くなっちゃいますよね」
終わって、導師には聞こえないところでスティーノがぼやくと、カディオルは、
「綺麗で優しそうな人じゃないか」
と、悪くないという顔でこたえた。
「でも本当は怖いらしいですよ。植物ってときに巨大な力を持つじゃないですか。あの人もかなり力のある魔法使いらしいです」
食事に行こうと外に出たところで、広場の一角で騒ぎが起こっていた。ちらりと目をやるとスティーノは嫌な顔をして二人の肩を軽くたたいた。
「逃げましょう。変なのが来ますよ」
それはまたあの獣使いだった。
移動するとき、いちいち獣たちを連れて人々を蹴散らしてくるので大騒ぎだ。ダッジオは人々が嫌がるのを面白がってさえいるように見える。
「おい、おまえ。そこのおまえだ」
逃げようとしていたのにそれ以上の速さで、ずかずかと近寄ってきたダッジオはラジュエルに太い指を向けた。
「僕ですか?」
「おまえ、今日は獣舎の掃除をしろ。厩のとなりだ」
「……わかりましたよ」
素直に答えると獣使いはちょっと拍子抜けしたような顔をした。
「なんだ。『力あるもの』を連れてきた割には弱虫だな。嫌がりもしないのか」
「僕は、お金も後ろ盾もなくここまで来させてもらって、多分学ばせてもらうことになるので、仕事をするのは当然だと思っています」
「……ふうん」
興味なさそうにそれだけ言うと獣使いは去って行ってしまった。今は狼もヒグマも連れていない。狼をどこにやったのだろうか。
「つかまっちゃいましたね」
「しょうがないよ。彼はいつもあんな感じなの?」
「そうですよ。たまたま逃げ遅れた人が掃除だの獣の世話だのやらされるんです。近寄っちゃだめな相手ですよ」
どうもやっかいな相手に目をつけられてしまったらしい。
だが学生の身分ではどうすることもできない。ため息をひとつついて、同情の目を向けるカディオルとスティーノと別れて獣舎に向かった。
獣舎には狼もヒグマもいなかった。どこに行ったのだろう。その代わり、巨大なバイソン(野牛)やら真っ白なヒョウやら、フクロウ、猫、コウモリなどが小屋の中にいた。猫やフクロウはともかく、危険な獣までが柵で仕切られもせずに寝そべっているのには驚いた。
狼には慣れているが、そのほかの獣には襲われないという保証はない。しかも獣使いも近くにいないのだ。もし動物たちが暴れ出したらどうするのだろう、とビクビクしながら掃除道具を探した。
探すと、となりの厩に誰かいたので、
「すみません。獣舎の掃除を言いつけられたんですが、どうやって掃除したらいいんですか?」
と尋ねた。厩番らしいその男はふり向いて獣舎の一角を指さした。
「ああ、新人さんかい。そこのピッチフォーク(フォークの形をしたスコップぐらいの大きさの農具)を使って藁の交換をするんだよ。あとは水を汲んできてデッキブラシで床の掃除だね」
そういうことは村の馬小屋でもやったことがある。獣は怖かったが、言われたとおりの作業を淡々とこなした。バイソンもヒョウもじっと見ているだけで危険はなさそうだ。
掃除で汚れた水を外に流し、新しい藁を敷いていると入口に人がやってきた。ようやくダッジオが戻ってきたらしい。しかし、狼は連れていない。
ラジュエルが掃除を終えたのを見ると、
「ふん」
とだけ言った。
「あの、狼はどこにいるんですか?」
「好きなところにいるさ」
「狼が自分のいたい場所にいるってことですか?」
ちらと獣使いはその厳しい目を向けて軽くうなずいた。
「それならよかったです」
今まで通ってきた村々だったら、野生の狼は敵とみなされて人々に襲われるかもしれなかった。でもここなら、狼が『力あるもの』という特別な存在だとみんなわかっている。そんな環境で狼が自由に行きたいところに行っているなら、自分が干渉することではない。
「おまえは」獣使いは地声なのか雷のとどろくような声で言った。「狼とここで別れ別れになってしまっても構わないと本気で言えるのか」
そう言われると寂しい気もする。
「仕方ないと思います。最初は、正直言って狼なんか押しつけられて村にいられなくなって困ったなあと思いましたが、今ではなんていうか、ずっと一緒に旅してきた友達っていうか……。いなくなったら寂しいとは思いますが、狼がそうしたいなら、それが彼にとって幸せならそっちの方がいいと思います」
「ちょっと来い」
獣使いはきびすを返して小屋の外へラジュエルをいざなった。
叱られるのだろうか、まずいことを言ってしまったのかと思ったが逃げることもできないので仕方なくついて行く。




