第五章 学びの塔 其の二(イラストあり)
(イラストはiwajun様)
宿泊所は3階建ての建物で、部屋は個室で狭い。カディオルとは隣同士だった。
ベッドの上に染めていない麻のゆったりした服が畳んであり、それに着替えるように言われた。『学びの塔』で過ごす間はずっとその服装でいるのだそうだ。神官の服に似た簡素な服だった。
着替えてカディオルと宿舎の外に出てみることにした。
「どこに師匠がいるんだろう。何から教えてくれるんだろうか」
「僕はまず、狼をどうしたらいいのか知りたいな」
広場には幾人か人がいて、真ん中にの噴水のところに人だかりがしている。中央にリュート(弦楽器)を弾く男と歌を歌っている男がいる。歌っている男の方は、見たことがないほど華やかな服装をしている。
どこに行って何をしたらいいのかわからないので、誰かに訊こうと近づいていくと、彼らを囲んでいた若い女たちがふり向いた。
「あら、新入りさんね」
「かわいいじゃないの」
「誰に就いてるの?」
見れば囲んでいるのはほとんどが女だった。ラジュエルの狼を見て怯えないところが、今まで出会った人々とちがう。やはり『学びの塔』に入れた人たちだからだろうか。
「私たちは今朝来たところです。どこに行けば師に会えるのか、尋ねたくて来ました」
「ここではすべてが師であり、学びたければ自分で師を見つけなければいけない」
カディオルの質問に派手な男が歌うように答えた。
「自分で見つけるってどういうことですか?」
男は訊いたラジュエルにちらりと目を走らせると優雅に微笑んだ。
「自ら学ぼうとしなければ何も学べない。例えば、私は言葉学のマスター、トゥーリオだ。ここにいるお嬢さんたちは私から言葉の魔法のなんたるかを学ぼうとしている。言葉は基本だからね。君たちの口から出る言葉には君たちが自分で思っている以上に力がある」
「だから呪文はみんな言葉なのよ」
小賢しい顔をした若い娘が知識をひけらかすように言った。
「じゃあ、もし僕が言葉の魔法を学ぼうと思ったら、あなたに就いて勉強すればいいということですか?」
「そうだ。まず言葉が必要だ。最初に私に就いて学ぶのは悪くない」
確かにトゥーリオの言葉には、言葉以上の力があるように感じる。ひどく魅力的なのは魔法のせいなのかもしれない。
ふとまた、『荒野』に誘ったあの隻眼の男のことを思い出した。歌うような言葉の使い方は似ているようにも思える。あの男も言葉学の使い手なのだろうか。
「音学の宣伝も忘れないようにしてくれよ」
リュートの男がぽろんと弦を鳴らして言った。
「もちろんだ。音と言葉は同時に使うと単純に二つの力を併せた以上の効果が出る。美しい調べに乗せた美しい言葉は人の心を強く動かす」
リュートの男の方はラジュエルの父親ぐらいの年齢だろうか。トゥーリオはもう少し若いかもしれない。
「どうやって学ぶのですか」
カディオルが憧れるような眼差しでまっすぐに彼を見て尋ねている。
「いかにして学ぶか、その方法も千差万別だ。ここではああしろこうしろとは言わない。自ら学ぼうとしない者には何を教えても無駄だからね」
リュートの男がまたぽろんと弦を鳴らす。女たちがうっとりした顔でトゥーリオを見上げている。
確かに最初に言葉について学ぶのは必要な気がした。しかし、この男からは狼のことを教えてもらえるのだろうか。
そう考えたとき、広場の一角がにわかに騒がしくなった。人々の驚く声、そして逃げまどう足音がする。
「どけどけ! 怪我するぞ」
わっはっはと野太い高笑いとともに広場に姿を現した男を見て女たちは眉をひそめた。
「……来たみたいだね、言葉の通じない奴が」
トゥーリオは嫌な顔をし、リュート弾きはリュートを膝からおろした。
ラジュエルが目をみはったのは、その狩人風の服を着た粗野な男よりも男の連れている巨大なヒグマとイノシシにだった。ラジュエルの狼も確かに大きいがヒグマは人間よりはるかに大きい。
狼にはずいぶん慣れたが熊はやはり怖ろしい。イノシシも今は大人しくついてきているが、突進したときの恐ろしさは山で暮らしたことがあれば経験済みだ。
男はラジュエルの方にまっすぐやってきた。
「呼んだか?」
大声で尋ねられたが、身に覚えはない。他の誰かのことだろうと思っていると男はじろりと狼とラジュエルを睨んだ。狼が挨拶をするように低く吠える。
男は狼とラジュエルを見比べるようにかわるがわる視線を走らせると、にやりと嗤って、ラジュエルにではなく狼に語りかけた。
「とんだガキの相手をさせられたもんだ。ご苦労なこった」
「あの……」
「獣使いのダッジオ師と呼べ」
ずいぶんと野卑だ感じだが、これでも魔法学の師匠なのか。
「はい。ダッジオ師。僕は、故郷の村の近くの山で、あるご老人からこの狼を託されたんです。それで村にいられなくなってここまで来ました。これからこの狼をどうしたらいいんでしょうか」
「どうしたらだと?」こんなに馬鹿げた話はないとでも言うようにダッジオは大笑いした。「そんなこともわからん大馬鹿者に……」
しかし最後まで言い終わらないうちにダッジオは言葉を止めた。狼が怒ったように低くうなったのだ。答えるようにヒグマが太いうなり声を上げる。しばらく狼とヒグマは互いに相手の力量を見定めるように睨みあった。しかし驚いたことに、やがて大きさで勝るヒグマの方が、しゅんとうなだれてこそこそとダッジオの後ろに隠れた。
「おまえ、名はなんという」
「ラジュエルです」
「簡単に名乗るな、馬鹿もん」
「じゃあ、どう言ったらいいんですか!」
ダッジオが大笑いするだけだったので、となりからトゥーリオが口を挟んだ。
「名前を名乗るときは、相手が信頼できる人間か確かめてからの方がいいよ。自分の名前には力がある。本当の名前を知られることで支配されてしまうこともあるからね。とくに君のようにまだ力のない人間は」
あ、と気づいてラジュエルは尋ねた。
「ここへ来る途中、妙な男に出会いました。その男の名前が聞き取れなかったので、僕も曖昧な答え方をしたんです」
ラジュエルはあの隻眼の男の話をした。そのとき、狼が妙に男に心惹かれている様子だったこと、『荒野』に誘うような言い方をされたこと。トゥーリオは目を見ひらいてその話を聞くと言った。
「名乗らなかったのは実に賢かった」
「その男はチェルザードという名前じゃなかったか」
ダッジオが同時に言った。
「わかりません。うまく聞き取れなかったんです。彼がわざと聞き取りにくいように言ったのか、たまたま僕が聞き取れなかったのか。でも、聞く必要がないから聞こえないのかと直感的に思ったんです」
「御加護かな」
トゥーリオが敬虔な面持ちで自分の額に祝福の星印を描いたのでラジュエルもそれに倣った。
「僕は護られたんでしょうか」
「そうかもしれない。偶然かもしれない」
「偶然か運命だったかはあとになってみないとわからない」
「それをどこで聞いた」
ぽつりとつぶやいた言葉を、獣使いが驚いたように訊き返した。それでようやくラジュエルは、山の中で遭難したこと、そこで出会った忌み人の老人についてゆっくり話をすることができた。
トゥーリオはときどき質問をしながら、おお、とかなるほどと相づちを打ちながら聞いていたが獣使いの方はむっつりと黙って眉根を寄せているだけだった。しかし、聞き終わって口を開いたのはダッジオだった。
「この狼をしばらく俺に預けてほしい」
えっと訊き返したあと、ラジュエルはためらって狼に目を向けた。
「それは……僕が決められることじゃないと思います。どうする? ジュート」
とたんに獣使いがこんなにおかしいことはないとでもいうように大嗤いした。
「ジュート! ジュートだと? おまえが?」 ラジュエルに代わって狼が低く唸って獣使いを睨む。ダッジオは嗤いすぎて出た涙を指先で拭った。「よくこんな奴にジュート呼ばわりされて耐えてきたもんだ」
憮然とラジュエルが黙っているとトゥーリオが優しく言った。
「たしかにジュートという呼び方は君にはまだ少し早いね。ジュートとは、仲間とか相棒とかそんな意味の古語だ。この『力あるもの』は相当力を持っている。君はまだ修行を始めたばかりだろう。残念だが、釣り合いが取れているとは言えない」
「そうなんですか……。あの老人が僕に、『おまえにとってはジュートではない』とおっしゃった意味がやっとわかりました」
「だけど、これまでその呼び方でやってきたんだから、認めてやってもいいんじゃないか」
無口なリュート弾きが口を挟んだが、獣使いはふん、と鼻を鳴らした。
「この青二才に合わせてやったのは『力あるもの』が忍耐強く、賢かったからだ。すべての生き物がそうだと勘違いされちゃ困る。早いうちに身の程を知れ」
その言い方は当たっていると思えるだけに、悔しくもあり恥ずかしくもあった。あの隻眼の男に嗤われたのも、このためだったのだ。
「それで、どうするんだ。狼をここに残していけるのか、どうなんだ」
「今まで僕が狼に命令して何かしたことはありません。むしろ、狼が助けてくれたことの方が多かったんです。おっしゃる通り、とても賢い狼だと、旅してるうちにわかってきました。だから、今回のことも僕ではなく狼が決めることだと思います」
狼の背を軽く撫でると、狼は鼻づらをこすりつけてきた。
「ずいぶん信頼関係を築けてるじゃないか」
トゥーリオが感心したように、ひゅうと口笛を鳴らす。
獣使いは面白くない顔をしていたが、狼は黙ってラジュエルを一度ふり向くと、ダッジオのもとへ歩いて行った。不思議と、隻眼の男に狼が心惹かれていたときほどの不安はない。必ず狼は自分の所へ戻ってくるだろうという信頼感があった。
しかし、その場を離れるとカディオルがこっそり耳打ちしてきた。
「いいのか、ラジュエル。あの野蛮そうな男は獣使いだろう。獣使いは普通の魔法使いより格が低い。それにあの態度、信用できる奴だとは思えない」
「でも『学びの塔』の師匠なんだろ?」
ううん、とカディオルは考え込んだ。
「なぜあんな奴が師匠として雇われてるのかわからないな。質のいい獣使いがあまりいないから、あんな奴でも務まってるのかもしれない」
言われて初めて不安が湧き起こってきた。
獣使いについてはカディオルに聞くまで聞いたこともなかったし、魔法学の師匠が疑わしい人物なのかどうかも見当がつかない。自分はまだ今朝ここに来たばかりなので、もう少し情報を集めてから狼を託すかどうか決めるべきだったのかもしれない。
「仕方ないよ。言葉学のマスターも言ってたじゃないか。僕よりあの狼の方が力があるって。狼が自分で行くと決めたんなら、僕にはもう何もできない」
「返ってこなかったらどうするんだ」
「そんなこと、あるのか?」
「ありうるさ。相手は獣使いなんだぜ。自分の意のままに獣を扱えるんだったら、おまえからあの狼を奪うことぐらい簡単にできるんじゃないか」




