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谷間の風のはじまるところ  作者: 猫洞 文月
イラスト大全集
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第四章 喜びの門 其の五

 言ったのはカディオルだったが、ラジュエルも口がきけないほど驚いた。

「こんな程度で驚いてちゃ『学びの塔』に行ったら腰抜かすよ。魔法に手伝ってもらわなきゃ、どうやってこんな大勢の客を相手にできると思ってるんだい」

 女将はさっさと行ってしまい、ラジュエルは思わずカディオルと顔を見合わせた。

「すごいな……」

「ああ。だが、あんなことができるんだったら、どうして客の分のビールぐらい注ぐことができないんだろう」

「さあ……。でも、もしかしたら、自分でやるってことに意味があるのかもしれないよ」

「何故」

「いや、僕にもわからないけど。例えば、魔法が使えるようになったときに、何もかも魔法でやろうとするのはよくない、とか。魔法でできるなら、誰だって楽したいじゃないか。でも、そうしちゃいけない理由があるのかもしれない」

 ふうん、とカディオルは一度考え込んだ。

「おまえはどこでそれを聞いた」

「僕には四歳の弟がいるんだ。いろいろやることが下手だからつい手を出しちゃうんだけど、母さんが、自分でやれるようにさせなきゃだめだよって言うんだ。楽を覚えちゃうとしなくていいと思う人間になるからって。それはこの子のためにならないからだって」

「私は、父に召使いの仕事を奪うなと教えられた。召使いは我々の仕事をして給金をもらっている。そういう者たちに仕事を与えるのも、貴族の務めのひとつだと」

「へえ、そういう考え方をするのか」

 それからは、お互いの生活を思い思いに語り合った。生まれてほとんど村から出たことのないラジュエルにとって、町の生活、貴族の生活は知らないことばかりだったし、カディオルにとっては、羊飼いと話をするのは初めてだそうだった。

 宿のビールは美味しく、何度も汲みにいっているうちにだんだんとカディオルも上手にビールを注げるようになった。

「上達が早いじゃないか」

 褒めると、カディオルはまんざらでもないという笑みを浮かべた。

「できるようになるまで努力するのが私の信条だ」


 村では日が暮れると灯りをともさずに家族で一緒にベッドに入るのが当たり前だった。これまで旅してきたいくつかの宿では、獣脂(じゅうし)の蝋燭(ろうそく)が置かれていることもないこともあったが、ここでも部屋には蝋燭が備えつけられていた。

 ところが、その蝋燭を見てカディオルは顔をしかめた。

「臭いな」

「蝋燭だからじゃないのか?」

「質の悪い蝋燭だ。我が家では蜜蝋(みつろう)を使っていたのだが。本当にここでは何もかもがさつで不便だな」

 カディオルは巨大なトランクの一つを開けてゆったりした服を出した。

「おい、おまえ。着替えを手伝え」

「手伝う? 一人で着替えもできないのかい?」

「おまえのようなボロでなく、きちんとした服装をしようとすれば誰かの手助けが必要なのは当たり前だ」

「子供みたいだな」

「貧乏人にはわからないだろう」

「門番が言ってたじゃないか。『学びの塔』には本人しか入れないって。君もそこに入るつもりがあるんなら、自分のことは自分でできるようにしないと」

 カディオルはむっとした顔をしたが、やがて自分で着替えを始めた。ラジュエルは上に着ていた物を脱ぐだけだったのですぐ終わり、見ていると四苦八苦してボタンや襟飾りと奮闘している。笑いそうになるのをこらえた。

 ようやく着替え終わったカディオルは脱いだ服を乱雑にトランクの上に放り出すとベッドにどさりと身体を横たえた。

「ああ、ひどい一日だった。早く『学びの塔』に入りたい」

「僕もだよ。『喜びの門』の意味ってなんのことだろう」

「うむ。明日から書物で探してみようと思う」

「じゃあ、僕は町を歩き回って手がかりがないか探してみるよ」

 カディオルは仰向けのまま煤(すす)けた天井を眺めて黙っていたが、ふいに身体をラジュエルの方に向けた。

「仕方ない。協力し合おうじゃないか。お互い『喜びの門』についてわかったことを教え合うのだ。情報は多い方がいい。おまえの狼も、何か手がかりになるかもしれない」

「ああ、うん、いいよ」

 彼の高飛車な態度はいけ好かないが、努力しようとしている姿勢はわかる。それにラジュエルには読めない書物の中に、何か手がかりがあるのかもしれない。

 ここの宿では狼にも食事を与えてくれていた。骨のついた肉の余りだったが、量は十分にあり、いつも新鮮な獲物を獲っている狼も、黙ってガツガツと肉を食べ、満足したように見える。いつものようにラジュエルの足下にうずくまって眠るのを、カディオルは最初こわごわ見ていたが、やがて布団を被った。


 東から登る太陽が大気を温め、すがすがしい空気が開けはなした窓から流れ込む。

 窓から見える『学びの塔』の塀の中も活動を始めたようで、鶏が庭を走り回り、バケツや籠を持った人々が行き来している。白い服を着た魔法使いらしい人々が列をなして塔の中へ入ってゆく。門番が門番小屋から塔へ移動して、裏の方へ回っていくのが見えた。 

 起きてきたカディオルがまた四苦八苦して着替えをするのを笑いそうになりながら見ていたが、あまりに大変そうなので最後にはすこし手伝った。

「もっと簡単に自分で脱ぎ着できる服にすればいいのに」

「貴族の子弟はみんなこういう服だ。恥ずかしい格好はできない」

「へえ。貴族ってのもやりづらいものなんだな」

「だがおまえのように寒い中、外で羊たちと眠らなくていいし、食べ物には困らないぞ」

「羊たちと眠るのは楽しいし、食べ物もそんなに困ってなかったよ」

 カディオルはむっとしたように黙り、やがてオウムがけたたましい声で、

「食事! 食事!」

 と騒ぎ回る時刻になった。 


 パンとエールと野菜のピクルス、ソーセージという食事が済むと、ラジュエルだけが宿の女将に呼ばれた。

「あんたは宿代なしで置いてやってるんだから、ちょっと手伝いをしとくれよ。どうせ暇なんだろ?」

「いいですよ」

 どうせ暇、という言い方にはかちんときたが、何も反論はできない。言われるまま薪割りをし、客室の掃除をし、出入りのパン屋の運送を手伝った。

 行く先々で、『喜びの門』とはどういう意味かと尋ねてみるが、みな笑うばかりで答えてくれない。

「みんなそこでひっかかるんだよ。中に入れるのは10人に一人もいやしない」

「入れなかったらどうなるんですか?」

「一月(ひとつき)だね、宿屋に置いてもらえるのは。それでだめだったら、だいたいはあきらめて帰って行く。あきらめきれずに宿に大金を払って滞在する者も中にはいるが、時間をかけたって入れる保証はないんだから、さっさとあきらめて帰った方がましだと思うね」

 大金か、と考えてため息が出た。カディオルのような金持ちならいくらでも滞在できるのだろうが、自分には無理だ。ということは、一月の間に答えを見つけなければならない。町の人たちは本当は知っていて、答えを言うことが禁じられているのかとも尋ねたが、そもそも知らないのだそうだ。

「わかった人はみんな『学びの塔』に入っているんですか?」

「魔法使いになりたきゃね」

「宿の女将(おかみ)さんは魔法が使えましたよ。あの人も『学びの塔』で学んだんでしょうか」

「『学びの塔』で学ぶのはそういう実用的な魔法じゃなくて、悪い奴と戦うようなおっかない魔法だ。掃除するぐらいの魔法はこの町じゃ普通にみんなできるよ」

「僕は掃除するぐらいで十分なんですけど」

 言うとパン屋は大きな腹を抱えて豪快に笑った。

「面白い奴だな。宿に置いてもらえなくなったらうちに来てもいいぞ。パン屋にしてやる」

「ありがとうございます」

 パン屋になりたいとは思わなかったが、『学びの塔』で悪い奴と戦う魔法使いになりたいのかと言われると決意が鈍る。カディオルなら学ぶのだろうか。領主として、領地や民衆を護るために。

 ふと、忌み人に出会う前に見た、天空の戦いのことを思い出した。

 あれは悪い魔法使いと良い魔法使いが戦っていたのだろうか。もしあのとき悪い魔法使いが勝っていたら、ノコイディ村にも厄災が降りかかったのだろうか?

 しかし、ゆっくり考える暇もないぐらい、その日は忙しかった。

 パン屋のあとは、町の外から来る農民から買った飼い葉用の干し草を運ぶ手伝いで忙しくなった。


「どうだ。収穫はあったか」

 部屋に戻るとカディオルが、机に広げた書物から目を上げて尋ねた。

「いいや。出会う人に聞いてみたけど、『喜びの門』の話はわからなかった。でも、この町じゃ掃除をするぐらいの魔法は誰でもできるらしいよ」

「そうらしいな。さすが都だ。大魔法使いマルリオスの威光がいたるところに行き渡っている」

「それ、誰?」

「そんなことも知らないで『学びの塔』にやってきたのか。マルリオスは王室づきの魔法使い総長で、『学びの塔』の最高責任者でもある。忙しい人だから、最近は直接学生の指導には当たらないらしいが、この国の最高の魔法使いと言われている」

「へええ」

 疲れてベッドにどさりと横たわりながらラジュエルは尋ねた。

「君はさ、悪い魔法使いと戦うような、ものすごい魔法使いになりたいと思って『学びの塔』に行くのかい?」

 それは……とカディオルは少しためらって、答えた。

「私は本職の魔法使いになろうというわけではない。戦いをするような連中は魔法使いの一部だ。基礎学問として魔法学を学べればそれでいい」

「宿の女将さんが掃除をするみたいな? ああいうのはどこで教えてもらえるんだろう」

「この町で育つと、学ぶ機会はいくらでもあるそうだ。羨ましいな。子供のときから魔法に囲まれた環境で育つと、魔法を使えるのが当たり前という感覚になるんだそうだ」

「当たり前か」

 ふと、胸がとくんと弾んだ。

 当たり前のように魔法が使える世界。人から見たら不思議だけれども、自分にとっては呼吸をするようにそれが当然のことだったら。

 なぜかそれは初めて聞く話ではないような錯覚が起こった。魔法についてなど、あの老人に出会う前は、婆様(ばばさま)の薬を作ったり死者の声を聞くまじないぐらいしか知らなかったはずなのに。

 夕暮れの鐘が鳴り、ラジュエルもカディオルもその場で立ち上がって祈りを捧げた。

 村では朝の鐘は仕事を始める合図、夕暮れの鐘は仕事を終える合図だった。

 祈り終わったあと、なんとなく物足りないような奇妙な感覚に襲われた。いつも故郷で黄昏時に感じる、あの満ち足りた感じがない。寂しいような、それでいて大地の懐に抱かれている安心感を同時に感じる、自分は一人捨て置かれた存在ではなく大いなる方にたしかに護られているのだという確信のようなものがどうもあやふやにしか感じられないのだ。羊たちと一緒にいないからだろうか。

 それをうまく口にできなくて、ラジュエルはこう口にした。

「君は故郷が懐かしい?」

「そりゃ故郷のことは愛しているが……志を持って出てきたからには初志貫徹するつもりだ。なんとしても『学びの塔』に入らなくては。今日読んだ書物には『学びの塔』で学べることについて書いてはあったが、入り方についてはいっさい記述がなかった。もっといろいろ読まなければ。おまえも字が読めればいいんだが」

「文字だけは少し知ってるけど、綴りがわからない。神官様が教えてやろうと言ったとき、僕はまだ子供で、部屋で勉強するより外で遊んでいたかったからな」

「字がわかるなら綴りは覚えるだけだ。明日から勉強するぞ。一人じゃこれだけの本を一ヶ月でとても調べきれない」

「一ヶ月で僕が本を読めるようになるのはとても無理だと思うけど。それに昼間はいろいろ手伝いをしなきゃいけないしさ」」

「どうしておまえだけ手伝いをしないといけないんだ」

「……お金を持ってきてないからだよ。君の言うとおり、うちは貧乏なんだ」

 なかば自棄(やけ)になって、ラジュエルはちょっと乱暴に答えた。

 ふむ、とカディオルは少し考えた。

「おまえの分を私が出してやれないことはないが、昨日おまえも言っていたな。自分のことは自分でやるべきだと。しかし、おまえは私が困ったとき助けてくれた。もし困ったら私に言うといい」

「ありがとう。でも、今はいいよ。君の言うとおりだ。自分のことは自分でするべきだ」

 カディオルの思わぬ好意は嬉しかった。高飛車で傲慢ではあるが、彼は彼なりに誠意を示してくれているのだ。


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