第四章 喜びの門 其の四
「『魔傷』のある奴は塔の中にお願いしたいもんだね。本当に治してもらったのかい」
「ええ、ここにいる間は大丈夫と言われました」
「治したのはケーファ師か。信用できなくもないが……」
主人はなおもぶつぶつ言いながら窓際に近づいて、横棒に留まっている鴉より少し小さい極彩色の鳥に口笛を吹いた。鳥は待っていたように羽ばたいてラジュエルに向かってきた。
「ケーファ! ケーファ! 南の部屋!」
驚いたことに鳥は人の言葉を話す。そのままラジュエルの肩に羽を休めた鳥はちらりと狼の方を見た。
「よし、南の部屋だな。お客人、この鳥が案内する。部屋は相部屋だ。決まりでな。同室のお客とは仲良くしてくれよ。それができないんなら、都から出てもらうことになる」
呆気にとられていると、鳥はすぐに飛び立ち、
「南の部屋! 南の部屋!」
叫びながらラジュエルのすぐ前を飛んでいく。ついていくと階段を登り三階の見晴らしのよい部屋へ案内された。持ってきた少ない荷物を二つあるベッドの窓際の方に置く。先客はいないようだ。ということは、これから誰かやってくるのだろう。
ガラスのはめられた窓から『学びの塔』がよく見える。三階から見ると塔の周りに巡らされている塀の内側まで見通せる。外からは壁しか見えなかったが、内側は案外広い。塔だけではなくいくつかの建物があり、広場もある。厨房や厩のように見える建物もある。
狼のような獣は他にいないかと、目を凝らして見ていると、いつのまにいなくなっていたのか先ほどの鳥がまた、
「南の部屋! 二人目!」
と叫びながら誰かを案内してきた。
「こんな所か?」
不満そうな声は聞き覚えがあった。見ると、さっき門のところで門番と言い合っていたあの豪華な服装の若者だった。少し質素な服装の少年が、巨大なトランクを二つ持ってついて来ている。鳥はその少年に向かってだけバサバサと翼で威嚇したり、鋭い嘴でつつこうとしたり、まるで邪魔だとでもいうように攻撃していた。
「痛っ! こいつめ!」
少年は鳥を追い払おうとするが、鳥はしつこく少年だけ狙っている。ついに少年は情けない口調で懇願した。
「カディオル様、こいつをなんとかしてくださいませんか」
「おうい! 宿のもの! 誰かいないか。この凶暴なオウムをなんとかしろ!」
「二人目! 二人目! 三人目は外!」
やっとラジュエルにもなんとなく理解できた。この鳥は、青年はこの部屋に泊まるのを許しているが、それ以外の人間が入るのを許さないのだ。
待っても宿の下からは誰もやってこない。その間も鳥の攻撃は続き、ようやく青年の方も理解したようだった。
「……仕方ない。ダブロ、荷物はここに置いてくれ。あとで宿のものに言っておく」
少年は急いでトランクをどすんと床に置き、逃げるように階段を駆け下りていった。
青年ははじめて気がついたようにラジュエルに目を向け、次の瞬間、足下の狼を見て、ぎょっとしたように立ちすくんだ。
ここまで狼と旅してきたのでラジュエルには、この青年は本当は後ずさりして逃げ出したいところを、ぐっと堪えて踏みとどまったのだとわかるようになっていた。つまり、彼は勇気があるのだろう。
「こんなところに獣を……」
声に非難の色はあるが、怖れてはいない。
「これは『力あるもの』だから。あの鳥だって、君の連れにはちょっかいだしたけど、この獣には手出ししないだろ?」
「『力あるもの』……? おまえは誰か魔法使いに仕えている獣使いなのか?」
「何? 獣使い?」
「おまえのご主人はいつここへやって来るんだ」
「主人? 何のこと?」
「ご主人だ。おまえは誰かの召使いなんだろう」
あまりの言い方に、怒りよりも呆れが先に立った。
「僕の村はクレーナ子爵の領土だから年貢は納めるけど、別に僕が直接仕えてるわけじゃないよ」
「クレーナ子爵……、ああ、北部のビルディラ州の辺りだな。それで、おまえの身分は」
「羊飼いだ」
名前より先に身分を尋ねる傲慢さに、すこしむっとしながら答えた。
「羊飼い……」
蔑んだような口調と表情にまた不愉快になった。
村を出てから出会った人々は、誰も羊飼いだからといって見下すようなことはなかった。この青年は身分は高いのかもしれないが、嫌な奴だ、と思った。
青年はそれ以上何も言わず窓の所へやって来ると、さっきラジュエルがしたように『学びの塔』の方を眺めやった。
窓から射す黄昏の光が彼の金髪を薄く透かす。横顔のまま青年は、今度はもっと穏やかな口調で尋ねた。
「おまえの羊はどうしたんだ。おまえ自身が、魔法使いを目ざして『学びの塔』にやって来たのか?」
「羊は他の羊飼いたちが面倒見てくれているよ。僕は、ある老人からこの獣を託されて、どうしたらいいのか尋ねたくてここに来たんだ」
はじめて青年は興味を持ったようにふり返った。
彼が聞く姿勢を取ったので、ラジュエルも気を取り直して、尋ねられるままに今までの経緯を話した。
「ふうん。きっと、その老人は魔法使いなんだろうな。でなければ『力あるもの』を連れてそんなところで暮らしてはいないだろう。おそらく『在野』と呼ばれる種類の魔法使いだろう」
「『在野』って?」
「魔法使いにはいろいろあるんだ。有名どころはたいてい王や領主、神官に仕えている。誰にも仕えてないのが『在野』と、それから……」
青年は嫌なことを思い出したように顔をしかめた。
「他にも?」
「暗いときに口にしない方がいいと言われているが、『荒野』の魔法使いというのがいる。悪い奴らというか……いわゆる道を踏み外した連中だな。この話は終わりにしよう。それで、これからどうするんだ」
「すぐに『学びの塔』に入れると思ってた。でもだめだった。君も断られたんだろう?」
そうだ、と青年は怒ったように答えた。
「父上から手紙が行っているはずなのに、あの門番の態度は何だ。ことによっては国王陛下に直訴してやる」
「『喜びの門』って何だろう」
「それだ」青年は窓から離れ部屋を歩き回りはじめた。「『喜びの門』という門が他にあるのか? それとも何か呪文のようなものが必要なんだろうか。おまえにこの獣を託した魔法使いは、なにか手がかりになるようなことを教えてくれなかったのか」
手がかり。忌み人の老人は何を言ったか。今から思えば示唆に富むことをたくさん言っていたと思うが、どの言葉をどう役に立てるのかはさっぱり見当がつかない。
「具体的なことは何も教えてくれなかったなあ。導きは訪れるって言ってた。でも、よくわからないんだ。彼の声のようなものが聞こえたと思ったこともあったんだけど……」
青年はひどく興味を惹かれたように、となりのベッドにラジュエルと向き合って座り身を乗り出した。
「もっとよく考えてみろ。賢者は隠された言葉の中に大事な意味を込めていることがあるんだ。何かなかったか。『喜び』とか『門』に関する鍵になるような言葉が」
言われて一生懸命思い出そうとしてみたが、やはり思いつかない。
先ほどの極彩色の鳥が、いつのまに階下に戻っていたのか、
「食事! 食事!」
と叫びながら宿中を飛び回っている。
「食事は食堂に移動するらしいな。もう少し思い出してみろ。参考になる本なら持っているから、知りたければ貸してやる」
「僕は字が読めないんだ」
青年が立ち上がったのでラジュエルも一緒に階下に下りながら言った。
「数は数えられるのか?」
「うん。数はね。必要だから」
「字も読めた方がいい。おまえが何をしたいのか知らないが、もし学ぶつもりなら字は読めた方が学びは早い」
そう言われてまた戸惑いの気持ちが起こった。
自分はいったい、何がしたくてここにやって来たのだろう。町の神官に勧められて、ここに来さえすれば何もかも解決するのだと思っていた。それが、入り口のところですでに引っかかってしまうとは。
「君は魔法使いになりたくてここに来たのかい?」
「なりたい、というより、魔法学は身につけたいと考えている。私は父のあとを継いで公爵にならなければいけないが、騎士となり領土を治めるにしても魔法学は役に立つ学問だからな」
階下に着いたが、自分とのあまりの違いになんと言ったらいいかわからなかった。
生まれもちがう、育ちも、ここに来た目的もちがう。だからといってこの青年のようになりたいかと言えばそうも思わない。ボルードは王様になってやると言ったが、ラジュエル自身はそんな大それた野望など抱いたことはない。
「いろんな人が、ここには来るんだろうな」
自分と、足もとについて来ている狼に向かってぽつりと言った。答えるように狼がパタリと尻尾を降ってくれるのが、長年の友達のようで嬉しかった。
食堂にはたくさんの客がいた。ラジュエルぐらいの年齢からもっと大人と見られる男たち、そういう男にしどけなく抱きついている女たち。幾人かははすでにかなり酔っているようで、食堂は喧噪にまみれていた。
「カディオル様!」
ようやく会えた、というように、さっき荷物を持ってきた少年が駆けよってきた。
「ああ、ダブロ。おまえたちはどうなった? 門番は先に帰せと言っていたが、都には泊まれているのか?」
「ええ。主人と離れた我々のような者たちばかり泊まっている宿がありました。それにしてもひどいところですね。ご不自由なさっておられませんか」
「ああ、不自由だ。しかし、仕方ないだろう。郷に入っては郷に従えという。ここのやり方についていけなければ『学びの塔』には入ることもできない、ということらしいな」
「ご立派です。さすがカディオル様」
カディオルは軽く微笑むと、食堂に椅子を探した。またオウムがやってきて従者の少年を追い払ったので、彼は一人で座った。辺りを見回して、オウムに追い払われもしなかったのでラジュエルも向かい側に腰をおろす。
「はいよ! 坊やたち! ビールは自分で汲みに行きな!」
宿の亭主が勢いよく山盛りのソーセージとジャガイモを持って来てどすんと皿を置く。
言われたとおりラジュエルは立って、他の人々がジョッキを持ってビールを汲みに行っている水差しが並んでいるところへ行ったが、カディオルは動かない。
「君は飲まないのかい?」
戻ってきて自分の前にジョッキを置くと、カディオルは当然のようにそれに手を伸ばした。
「これは僕のだけど」
「では私の世話は誰がするんだ?」
あまりに呆れて、一瞬、そのままカディオルに与えてしまおうかと思ったが、思い直した。
「君は自分で行くんだよ。君の身分が何であっても、ここではそうなんだ、きっと」
カディオルは憮然としばらく黙っていたが、やがて立ち上がった。
「どうやって自分で持ってくるんだ」
「知らないのか。教えてあげるよ」
ラジュエルは食堂の隅にある大きな水差しの所へ行き、そのそばにあるジョッキからビールを少し注いで見せた。
カディオルは眉間に皺を寄せながら慎重に水差しを取り注ぎ始めたが、すぐにこぼしてしまった。
「どうすればいいんだ」
「左手で水差しを支えるといいよ。重いから」
不器用にカディオルは言われたとおりやってみて、かなりこぼしはしたがなんとか注ぎ終わった。ちょうどそのとき、喧噪のなかから宿の女将がずかずかとやってきた。
「誰だい! こんなにこぼしたのは」
「ああ、私だ。慣れない作業でうまくできない。こんなことをするのは、本来おまえたちの仕事だと思うが」
「ここじゃ、お貴族様だって自分で自分の面倒を見るんだよ。ああ、下手くそ」
何が起こったのか、一瞬わからなかった。
女将がさっと右手を振ったかと思うと、もうこぼれたビールはなくなり、台はすっかり綺麗になっていた。
「……魔法か?」




