第二十章 『学びの塔』の地下にあるもの 其の三
いけない。
こんな秘密の場所にマルリオス師の魔法がかけられていないわけはない。
慌ててチェルザードから教わった術をかける。自分の存在を気づかれなくする術だ。
マルリオス師の力なら、本気でその術を破ろうと思えば簡単だろうが、そもそもラジュエルがここにいることに気づいていなければ術を破る魔法を使おうとはしないはずだ。
目が慣れてくると薄暗い部屋の真ん中に青白い炎がいくつか揺れているのが見えてきた。「火?」
こんな秘密の場所にあるのが普通の火であるわけがない。用心しながらそうっと近づいてみる。
やっぱりだ。ろうそくも松明もないのに、机の上に鬼火のように青い炎が浮かんでいる。その炎の揺らめきはちょうど大型動物の鼓動のようにゆっくりと揺れる。窓はないから風のせいで揺れはしない。炎そのものが規則的に揺らいでいるのだ。
「これなのか」
これが竜の魂だとすれば、それを元に戻すにはどうしたらいいのだろう。
先日書庫で見た呪文は、時間をかけて作用するものだった。生きて動き回っている竜から突然魂を抜くのは困難だろう。まず竜を手なずける必要があったはずだ。そんなことができるのは。
「獣使いだったのか?」
「そう、おそらくはな」
いきなり暗がりにダッジオ師の声がした。
「師匠! びっくりするから来るなら最初に気配とかくださいよ」
「脅かしたわけじゃないぞ。それにこのぐらいで驚くな、小心者が」
「僕じゃなかったら気絶してますよ、こんな怖い状況で。それで、獣使いが竜の魂を閉じ込める仕事をしたんでしょうか。でも、なんだか残念な気がします。獣使いは誰よりも獣や魔物の味方でなければいけないのに」
「そうだな」
『全きもの』であるためか、まだ夕方で石材が光を通すためか、師匠の顔がぼんやりと見える。やさしく答えたダッジオ師は獣たちへの気遣いを愛おしむように微笑んでいた。
「この魂を開放してやらなきゃいけないんですよね。でも、禁書の中には解除する魔法はなかったように思います。どうしたらいいんですか」
「俺もその書物は見たことがないからわからんな。だが、解除する魔法はあるはずだ。別の場所に書いてあったか、あるいは解除魔法はさらに手の届きにくい場所に隠してあるか。。書物庫じゃあ、いくら禁書っていったっておまえでも手に取ることができるんだからな」
「僕だってチェルザードに教えてもらわなかったら無理でした」
「ああ。だが、解除魔法の方が厳しく管理されているのはありうる。今まで飛んでた竜が急に飛ばなくなったり、もっと悪けりゃ獣性を取り戻して刃向かってきたら大変な騒ぎになる」
言われて思いだした。
「アンジェニカ師と森の薬草園に行くとき、僕が近づくと竜が飛ばなくなるかもしれないって言われました。ひょっとして、解除の魔法は古代魔法に関係あるんでしょうか?」
「そうか! なるほど! おまえ、賢いな!」
「いやあ」
はじめて師匠に褒められた。
しかし鍵は古代魔法にあるとしても、自分の持っている『風』の力をどうやって発現し制御するのかがわからない。
「この炎が竜の魂なんですよね? 僕がこれに近づくのは危険だと思います?」
「待て待て。そんなことして、外のどこかにいる竜が突然、凶悪な魔物に戻って都や罪のない人々を襲ったらどうすんだ。ここに魂があるのはとりあえず覚えとくとして、まずは……そうだな。『風』がどう作用するのか、そいつを確かめたいところだ」
確かめる、か。そういえば以前『全きもの』たちが、術を自分のものにするために試してみた方がいいと話していた。だが、魂に作用する術となればよほど対象を選ぶ必要がある。むやみに乱用していいものではない。
「でも『風』を手に入れてからいくつか兆候はありましたよね。古代魔法は、いくつかの新規魔法を解除する働きがある。そうでしょう? 問題は僕がどれが新規魔法か理解してないってことなんじゃないですか?」
「それもある。だがほとんどの現代人はどれが新規魔法でどれが古代魔法か、ちゃんとわかって使ってるわけじゃないと思うぞ。俺だってな。マルリオスが開発したみたいな、わかりやすい派手な魔法だったら有名になっとるが」
「そうか」
言われて考える。
竜の魂をここに安置し、生身の竜の身体を魔法使いの乗り物として利用している。それはマルリオス師が開発した魔法だ。
自分が竜に近づくと飛ばなくなるかもしれないとアンジェニカ師が言った。それは魔法が解けるということなのだろうが、その後竜はどうなるのだろう。魂が閉じ込められているから動けなくなるのか、それとも逆に魂が戻ってきて獣性を取り戻して危険な存在になってしまうということなのか。
「竜を、危険がおよぶ場所から遠く離してから僕がなにか仕掛けてみるのがいいかもしれませんね。都の中で急に獣性を取り戻したら手に負えなくなるかもしれない」
「なるほど。となると、獣性を取り戻した場合の竜の取り扱いだが」
「そもそも、もとがどういう性質の竜かによりますよね」
ぽんとダッジオ師がラジュエルの頭に手をおいた。
「おまえ、最初会ったときはどういう馬鹿かと思ったが、頭を使えるようになったな。そうだ。だが俺の予測じゃ簡単に魔法使いにとっ捕まって乗り物にされるような奴だ、それほど凶暴で小賢しい種じゃなかろう。一番はじめはおそらく獣使いが手なづけたんだろうからな」
方針はわかった。それで、どうやって都の外にこれを持ち出そうか、という話をし始めたとき。
突然、上の方から雷に似たドロドロという音が響いてきた。
「しまった! 気づかれたか!」
「マルリオス師が? もう?」
「逃げるんだ、ラジュエル。竜の魂を持って行け」
「えっ? どこへ? 持っていいんですか?」
さっき近づかないほうがいいと言われたばかりなのに、と思いながら、またマルリオス師が出てきてはと焦ってとにかく炎の方に手を伸ばした。
その途端。
「あっ!」
伸ばしたラジュエルの掌の中に、青い三つの炎がすうっと吸い込まれた。
「ど、どうしよう。入ってきちゃいました」
「逃げるぞ! こっちだ!」
炎がなくなって部屋がまた暗くなったが、ものの影はぼんやりと見える。
ダッジオ師が先に走る方へ行くと、そこは壁ではなく細い通路になっていた。その通路に走り込んだ瞬間、さっきまでいた部屋の天井が轟音を立てて崩落する。
「危なかった……。師匠、ここは大丈夫ですか」
「こういう狭いとこはな。壁が多い分、振動には強い。だが時間の問題だろう。……ずいぶん入りくんどる。俺もここに詳しいわけじゃないんだ」
「明かりを」
『全きもの』の師匠はともかく、生身のラジュエルは暗いとぶつかりそうだ。魔法で宙に浮かぶ明かりを出す。こういう基本的な魔法は覚えておいて本当に役に立つ。
石の通路は細くいくつにも分岐して奥へつづいている。『学びの塔』のホールの広さよりも長くつづいているかもしれない。このままどこへ行くのだろうと考えながら歩いていると、ふと鈴が震えるようなか細い音が聞こえるのに気がついた。
「師匠、何か聞こえませんか」
うん? とダッジオ師も止まる。
耳を澄ませると、音は次第に優しい声のような響きになってくる。
――ラジュエル? ラジュエルなの?
「ミリュウ! どこにいるの? 僕がいるのがわかる?」
――たぶん。でも、私の近くじゃない気がする。あなたは今どこにいるの?
「地下だよ。『学びの塔』の地下。でも、普通に入れるとこじゃないんだ。隠し通路みたいな。なんて言ったらいいんだろう。君は?」
しばらく返事がない。どうしたのだろう、空耳か幻覚だったのかといぶかり始めた頃、ようやく返事が返ってきた。
――わからない。よくわからないの。
「わからないって? 僕のこと、聞こえるってことじゃないの? だったら近くだよね」
またしばらく途絶える。
――うまく言えないけど、私、今なんか変なの。自分の身体じゃないっていうか。
「どんな感じ? 自分の手足とか感じられる?」
また途切れる。困ったような沈黙。
――ごめんなさい。よくわからない。
「ううん。いいんだ。でも君が無事だってわかってよかった。探し出すから。僕が必ず。待っていて」
ふわっとミリュウが微笑んだのが感じられる。不思議なことだ。暗い地下通路で、はっきりした声が聞こえるわけでも彼女の顔が見えるわけでもないのに。
だがそれで力が湧いてきた。
「師匠、聞こえました? ミリュウの声」
「いや、俺には」
細い通路の前を行くダッジオ師がちょっと振り向いてこたえる。
自分にしか聞こえなかったのか。しかし、幻覚にしてはあまりにはっきりしている。それに、しゃべり方や内容が、いかにもミリュウらしい。以前トゥーリオ師が化けていたミリュウにはこんな雰囲気はなかった。
それにしても今までさんざん探したのに、地下通路でようやく声が感じ取れるとは。この地下のどこかに彼女の魂が隠されているのか、あるいはさっき竜の魂が自分の中に入ってしまったことが関係あるのか。
考えながら細い通路を歩いて行くと、再びすこし広いところに出た。
「ここ、どこでしょう。『学びの塔』の地下にしてはこの通路、長いですよね」
「ああ。そういえば噂で聞いたことがある。『学びの塔』の地下から王城へ、さらには都の外に通じる隠し通路があると。万一の時、『学びの塔』の魔法使いや国王陛下やらが逃げるためだな。古い城にはよくそんな仕掛けがあるんだそうだ」
「じゃあ、ここ、うまくすれば都の外へ脱出できるってことでしょうか」
「そう思う」
希望の持てる言葉だ。
とりあえず飛び込んだ通路だったので、東西南北はよくわからない。だが、どこかには通じているのだ。『学びの塔』から離れる方へととにかく進み続ける。
二回目の崩落以来、もう壁の崩れは起こらなかった。
やがて階段にたどり着いた。
「上に行ける」
「ああ、そうだな」
ダッジオ師は『全きもの』だから、階段に頼らなくても外へ行けるのだろうが、ラジュエルにつきあってまず階段を一緒に進んでくれる。
階段は人二人がやっとすれ違えるほどの幅で上へつづいていた。途中には窓がなく、階段はときどき踊り場で向きを変えつづいている。ここも透き通る石材でできているのか窓がなくてもまっ暗ではない。
ところが、登っても登っても地上に着かない。
「師匠、大丈夫でしょうか。まちがってる気がします」
「そうだな」
答える師匠の声も不安そうだ。
まさか、と思い当たったときにはもうずいぶんの高さを登ってきていた。
――しずかに。人の声がする。
とつぜん立ち止まったダッジオ師が振り向いて指を口に当てる。
確かにかすかに人の声がする。上の方からだ。
――『学びの塔』じゃないですよね。
ラジュエルも心の声で応答する。
とりあえず、ここがどこだか知りたい。足音を忍ばせてそうっと階段をさらに登る。
声が聞き取れるようになってきた。
マルリオス師だ!
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