第二十章 『学びの塔』の地下にあるもの 其の二
『竜』の記述は以前見た通りだ。問題はその獣性。興味があるのでついつい読みふけりたくなるが、あまり時間をかけるわけにはいかない。
師匠たちが乗っている竜はたしかに獣性を失っている。
だめだ、この書物ではない。古代魔法、とくに『魂を安置する術』について。さんざん禁書の棚を探して、やっと背表紙がすり切れて字が読めなくなりそうな一冊の書物を見つけた。
「これか」
開いてみる。この時代は活字ではなく文字が手書きの装飾文字だ。おそらく一冊一冊写本で写したものだろう。読みにくくてしょうがないが、気合いで読む。
「魂を……あった!」
ようやく見つけたときには窓の日差しはかなり傾いていた。
「レ、レクイエス……パーケ……」
書き写すことはできない。何度も口に出して唱え、呪文を暗記しようとする。この機会をのがしたら次にまた見られるかどうかわからない。頭が痛くなりそうだったがミリュウのためと思えば頑張れる。
呪文、それを使う条件、注意点など何度も読み、ようやく本を閉じて元に戻す。
禁書の領域を出てまた薬学の本に戻り呼んでいるふりをしながら、さっきの呪文を覚えているか繰り返す。
ときどき様子を見に来る司書が、薬学の本を見るラジュエルに声をかけた。
「もう時間です」
「わかりました。ありがとうございました」
書物庫を出て一気に部屋に駆け戻り、忘れないうちに覚えた呪文や内容を自分の紙に書き写した。管理人さんに食事に呼ばれたが、後回しにしてとにかく書くのを優先させた。
「ふう」
終わって食事も済ませ、部屋で一息ついていると、部屋の奥の荷物箱から気配がする。そういえばここからチェルザードと連絡できると言っていた。もう来たのだろうかと箱を開けてみると、開けた途端、ぶわっと紫の煙が吹き出した。
煙で何も見えなくなっているとエスケレス師の声だけが聞こえた。
「おい、ラジュエル。早く消せ。なんか書いとったじゃろう」
「あ、呪文のことですか」
早くもエスケレス師にわかってしまった。煙が薄れてものが見えるようになると慌ててさっきの紙を持ってくる。
エスケレス師はそれを手に取ると、ふっと息を吹きかけてあっという間に手の中で燃やしてしまった。せっかく忘れないように書いたのにな、と残念に思っていると、エスケレス師は見透かしたように空色の目を向けにやりと笑う。
「魔法の気配は、わかるやつにはわかる。だからこそ、おまえさんの場合は誰にも奪われない場所に『風』を入れて帰ってきたんじゃろうが」
「すみません」
「気をつけなさい。まだそれほど時間が経っておらんから、マルリオスは感づいていないかもしれんが、証拠を残すのは危険じゃぞ。自分の頭の中にだけ残すのじゃ。そうすれば頭の中まではまだあの子もいじれん」
あの子というのはマルリオス師のことか。たしかに百年以上前に『全きもの』になったエスケレス師からすれば子供のようなものかもしれないが。
「それで、これがもとの術ってことでよかったんですか?」
「さよう。マルリオスがそっからどう改良したかは、わしにはわからんがの。本当は試して自分のものにするのがいいが、術が術なだけに、むやみに人にかけるわけにはいかん」
言われてまた心配になる。
「そんな危険な術を、本当にミリュウが……」
エスケレス師は黙っている。そのあいだにアルダムド師とダッジオ師が箱から出てきた。術を試して自分のものにすると師は言ったが、それを改良版にまで高めたマルリオス師は今までいったい何人の人や獣にその術を試してきたのだろうかと考え嫌な気持ちになる。「まあ、一回落ち着け。まだ本当にそうだと決まったわけじゃないぞ」
ダッジオ師がぽんと肩を叩く。
「はい。それで、術を解く方法は」
ふむ、と言って考え込んでしまったエスケレス師を助けるようにアルダムド師が口を開く。
「一度かけた魔法を元に戻すのは、一般的に言って二つの方法がある。一つはそもそも反対の状態になる術をかける方法。そういう術がない場合は変化を逆に戻す、つまり時間を巻き戻すような術をかける。どちらも術をかけられてから時間が経つほど元に戻るのは難しくなる。じゃが、中にはどうしても元にもどらないものもある」
「ミリュウの場合は元に戻りますか」
心配のあまりつい問い詰める口調になってしまう。
「ただ眠っているだけであれば、そういう呪文は数多くあるから戻るじゃろう。問題は、それ以外になにか操作されているかじゃ」
「どうやったらそれがわかるんですか。戻らないなんてこと、ないですよね。どうしても戻してあげなくちゃ!」
「まずミリュウの身体を見つけることじゃな。見て触れてみなければわからぬことは多くある。探しなさい」
「はい……」
おそらく彼女は都、そして『学びの塔』のどこかにいると思われる。だが、人に気づかれずどこにでも現れることができる『全きもの』とちがって、自分が動けば目立つ。しかも今は監視されていると考えるべきだ。
ミリュウはどこにいるのだろう。『学びの塔』の中と言っても行けないところも多い。師匠たちの部屋にはそう簡単には入れないし、みんなの出入りする講義室ではないだろう。それでは『学びの塔』の中以外のどこかだろうか?
考えていても一向にらちがあかない。意味もなく師匠たちの部屋のあたりをうろうろして怪しまれる。シャボン玉がそちらに向かってくれないこともある。
「いったいどうやって探せば」
午後の講義が終わった後、広場でトゥーリオ師の歌を聴いている女学生たちをぼんやり見ながら、床に座り込んでしまった。もう講義は終わっているので、みんなは塔から三々五々と出て行く。
スティーノと友人たちが通りかかってぽんと肩をたたいた。
「お疲れ、ラジュエル。どうした、こんなとこ座り込んで」
「うん、ちょっと考えごと」
「あんまり悩むなよ」
「そうそう。体力温存しとかないとだめですよ。いつ『荒野』が攻めてくるかわからないって話ですから。戦闘になったらラジュエルなんか、力がついてるから戦闘要員として駆り出されるかもしれませんよ」
戦闘か。
おそらくチェルザードはまだ攻めてこない。来るなら知らせてくれるだろう。そして彼は罪のない学生たちを巻き込むような惨事にはしないだろうと思われる。
しかしいつまでもこの状態でいられるとは思わない。『荒野』はチェルザードだけではない。チェルザードはミリュウのことが解決するまでは動かないとしても、グッチェや他の『荒野』については何を考えているかわからない。
ともかくもミリュウは早く探さなくては。
「うん」
立ち上がろうと床に手をついた。
そして急に思い出した。
この地下から、鼓動を感じたのだった。
いつも出入りしている『学びの塔』から、あの時だけ鼓動を感じたのはなぜだ。あの時は夜だった。人が出入りしていないとき。静かだったからか。もし本当に竜の魂なら、鼓動は止まることはないはずだ。
感じられるのか、今も。
手を床にしっかりつけて神経を集中する。
ある。
本当にかすかだが、心臓が打つようなゆっくりした鼓動が、掌に感じられる。
「地下だ」
はっとして立ち上がる。
暗くなってからでは何も見えない。まだ日のある今のうちなら。
急いで地下への階段を駆け下りた。
「あっ、ラジュエル。地下は危ないですよ! 立ち入り禁止になって……」
スティーノの声が追いかけるが、構わずそのまま下まで一気に降りた。
地下にはあの時と同じ、短い廊下に扉がいくつか並んでいる。どこだろうと扉を片っ端から開けてみるが、以前見た通り、簡単なベッドや椅子があるだけの窓のない部屋が並んでいるだけで、どこにもそれらしいものはない。今は誰もおらずがらんとしている。
「ここじゃないのか。でも……」
地下は別にあるのか。それともここよりもっと下なのか。
なんとか鼓動を感じられないか、固く冷たい石の床に耳をつけてみた。
そのとき。
突然、階段の方に轟音が響いた。
はっとして階段を見上げると、入口が崩れ落ちてきている。いったいなぜ。老朽化のせいか? いや、ラジュエルが入った刺激で崩れ落ちたというより、誰かが閉じ込める目的のためにわざと崩した可能性の方が高い。そして入口が崩れると同時に辺りは暗くなり視界をうしなう。
「ちくしょーっ!」
思わず崩れた瓦礫に向かって叫んだ。そして階段の一番下に座って頭を抱える。
崩したのはマルリオス師か師匠の誰かにちがいない。ということは助けを呼んでも無駄だ。助けてくれるとすれば『全きもの』だが、彼らは、はたして石を持ち上げるような生身の力を持っているのだろうか。チェルザードも、荷物箱を通って声は伝わるが身体の移動はできないと言っていた。
崩れた石の波及でまだほこりっぽい空気を、服の袖を通して吸い込み、一度落ちつくことにした。
以前ダッジオ師が、『学びの塔』の石材は光を通すからまっ暗にはならないと言っていた。その通り、目を凝らすとぼんやりと部屋の形が見えてきた。今はまだ外が明るいから光が透けてきているのだ。だが、夜になれば、『白い火柱の儀式』ではない今日は外もこの中も暗くなってしまう。
いつまで閉じ込められるのだろう。食べ物や飲み物はどうする。このまま死ぬまで閉じ込められているのかと不安になったが、よく考えてみればトゥーリオ師の言っていた『師は君の力を奪おうとしている』という発言は、力を奪われる前には殺されることはないだろうという予測にも思える。
座って一度落ちつき考えをめぐらせた。
「ジュート……聞こえる? 僕の存在がわかる?」
じっと感覚を研ぎすます。薄暗い中に狼の存在がぼうっと感じられてきた。
「これからどうすればいいんだ。どうやって脱出できるだろう」
狼は森の中にいるはずなので今は姿は見えないが、ぴくりと狼の耳が動くのが感じられる。
「耳」
何かの合図かと思い耳に意識を集中してみる。
聞こえてきた。
鼓動だ。
そうだ、もともとは竜の鼓動を探そうと思って地下に入ったのだ。出られるかどうかはあとで考えるとして、今はここで竜の鼓動を探すことに集中しよう。
歩くのにつまづかない程度には部屋の中は明るい。階段を石でふさがれて上の物音が少なくなった分、地下の気配はよりはっきりと感じられる。
部屋の前をひとつひとつゆっくりと歩き、どこで鼓動を一番感じられるか注意深く探す。ついに廊下の一番奥に突き当たった。部屋のどれでもなく廊下の奥だ。
「ここ?」
両手で石の壁に触れてみる。もっとはっきり聞こうと壁に耳をつけた瞬間、壁がわずかにきしんだ。
隠し扉か。
複雑な構造のものか、ただ開けてみればいいのか。わからないが、とにかく扉のあちこちを押してみた。
右の端に体重をかけて押すと、石の壁全体がゆっくりと大きく回転し、その向こうには小さな部屋があった。
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