第二十章 『学びの塔』の地下にあるもの 其の四
「……です。安心してお召し上がりになりますよう」
「しかし、マルリオス。どうも飲めば飲むほど悪くなっておるような気がする」
「まことに遺憾ながら陛下のご病気は現在の医学、魔法学においても相当治療が困難なものでございます。しかし、ご安心ください。我ら魔法騎士団も医師薬学博士たちも、総力をあげてご病気の研究に取り組んでおります。たびたび薬が変わるのは、常に最新の研究で判明したことをとりいれているために、いたしかたないことでございます」
しばらく沈黙が流れる。マルリオス師のすすめに従って薬を服用しているのは、話の口ぶりや内容からして国王陛下か。
――陛下ってご病気だったんですか。
――それは聞いたことがあるな。長いこと病床に伏せっておれらると。俺みたいな下っ端には関係ない話だったから噂にしか聞いたことがないが。
マルリオス師と国王はなおもいくつか話をし、国王が咳き込んだのでおつきのものが介抱し、それからまた静かになった。
これで場所はわかった。ここは国王の自室につながる脱出通路なのだ。道はまちがっていた。だが噂は本当だったことはわかった。
――とにかく、ここじゃないですよね。戻りますか。
師匠に声をかけ階段を降りかけたとき、ぴりりとしたマルリオス師の声がした。
「陛下。ネズミが入り込んでおるかもしれませぬ。少々失礼いたします」
――逃げろ!
ダッジオ師が聞こえない声で叫んだ。同時に下へ向かって全力で走る。
走り降りる背後の、上方が明るくなったのがわかる。その頃には踊り場を越え、曲がり角を曲がっていたので向こうからはこちらの姿は見えないはずだ。
「誰じゃ! そこにおるのは。止まれ! 止まらぬと後悔することになるぞ!」
――止まるな。俺がなんとかする。
一瞬、師匠のことを心配したが、すぐエスケレス師の声が耳元で聞こえた。
――大丈夫じゃ。逃げなさい。『全きもの』はそう簡単に生きた魔法使いに害されぬ。
そうだった。今の師匠は少なくとももう死ぬことはないんだった。
落雷のような轟音が聞こえた。同時に階段の上方が破壊される。石がガラガラと崩れる音がひびき、全体が震えるが、ラジュエルの走り降りている部分は崩れなかった。そのまま飛び降りるように階下へと走る。
ダッジオ師はどうやって対処してくれたのだろうか。だが、それ以上マルリオス師の攻撃が来ないところを見ると、おとりになってくれたにちがいない。生身の人間だったら死んでいただろう。
――師匠、大丈夫ですか。
――もうちょっと逃げろ。
姿を現さずダッジオ師の声だけが聞こえる。姿はマルリオス師のところに踏みとどまっていてくれるのか。
また上方で落雷のような音がする。ダッジオ師はまだマルリオス師に、何か敵の幻覚を見せているのか、それとも自分の姿をわざと師に見せているのか。
あとで教えてもらおうと考えながら、とうとう階段の一番下に出た。
さっきは何も考えずダッジオ師についてきたので、帰り道はさっぱりわからない。
日がかげってきたせいか通路は来たときよりも暗い。魔法で小さな光を出して、ようやく足下だけを照らして狭い通路を闇雲にすすむ。
一人で歩く地下道は暗く怖かった。
ときおり大型獣の吠え声のような音がどこかから聞こえてくる。この地下道はただの通路ではなく人や獣を閉じ込める牢屋のような場所もあるのだろうか。いったいどれほどのものたちがここに閉じ込められているのだろう。
もしかしてミリュウも、こんなかび臭くて怖ろしいところにと考えると身震いしそうだ。
「ミリュウ、どこかにいるの?」
マルリオス師のいた部屋から相当離れたと思われる場所でそっとつぶやいてみる。正直、返事は期待していなかった。
――ラジュエル。聞こえるわ。
「ミリュウ!」
嬉しくて胸がとくんと鳴る。
「大丈夫? 一人なの? 怖くない? 君のいるところにはどんな音が聞こえる?」
――怖くは……ないけど。音。そうね。風の音が聞こえる。ときどき誰かが話しているけど、何を話してるかはわからないの。声が遠くて。
風の音か。それではこの地下道ではないのかもしれない。ここはずっと暗くて塞がっていて風の音は聞こえない。
「そこは明るい? どんな場所?」
しばらく返事がない。
――そうね。たぶん、明るい。よくわからないの。眠くて目が開けられないような感じ。
「眠ってるの?」
――そうかも。それとも私の夢なのかしら。
「夢、か。夢は深いところの意識とつながってるって習ったよね。夢なのかもしれないけど、僕と会話してるのはきっと本当なんだよ。どの場所かわかったらなあ。必ず君を助けるよ。心配しないで」
ふふっとミリュウが笑ったのがわかる。
それを感じてぽっと心が温かくなる。必ず助ける。助けなくては。
ダッジオ師はどうなったのだろう。大丈夫だとは思うが、相手はマルリオス師だ。『全きもの』は大丈夫とエスケレス師は言ったが完全に安心はできない。
獣のような声がだんだんと近くなる。いやな感じがする。
とつぜん、ドオンという轟音とともにすぐ目の前の壁が壊れた。またマルリオス師か。立ち止まり、逃げようと後ろを確認するためにふりむいた。
壊れた壁の方からグオオと吠え声がした。
獣か、とまた前方に目を向ける。
そこには三つの首を持つ、狼ほどの大きさの魔物がいた。
「なんだ、こいつ」
とにかく逃げよう。魔物は目をぎらぎら光らせ、グルルと声をあげて一度身を伏せたと思うとラジュエル向かって飛びかかってきた。
しまった、杖がない。
「杖を! ここに!」
いつかフリーナに教えてもらっておいてよかった。離れたものを取り寄せる呪文だ。呼びかけに答えて、部屋に置いてきたトネリコの杖が、唱えた途端、手の中にある。
とっさに目の前に出した杖に魔物の歯ががちりと食い込む。
「今だ!」
『谷間の風のはじまるところ』に行く森で魔物たちと戦っておいてよかった。その経験を生かして、持っている魔力をいっぱいに杖に注ぎこむ。
グワッと苦しげな声を出して、魔物がひっくりかえった。完全に息の根を止めたようには見えないが、とりあえず時間は稼げそうだ。
とにかく逃げよう。道はわからないが、今、魔物の現れたのと反対の方向へひたすら走る。
なぜ『学びの塔』の地下にこんな魔物が。こういう古代の魔物は都や『学びの塔』からは真っ先に排除されているのではないのか。
走るのは苦手ではないが、入り組んだ通路が細い上にどこに向かえばいいのか見当もつかない。
「師匠、まだ復活しないですか」
苦しまぎれにどこかでダッジオ師が聞いていないか、呼びかけてみる。
返事が聞こえるのではないかと耳をすました。
「キョエエエ!」
聞こえてきたのは、さっきの魔物よりもっと高く鋭い咆吼だった。
「前か?」
狭い通路に音が反響してどの方向から声がするのかわからない。
どすん、どすんと前方から重みのある足音が聞こえてくる。後ろにはさっきの魔物がいる。もう起き上がっているだろうか。どうしよう。どちらに逃げるべきか。ここに来るまでの間に、逃げ込める通路はあっただろうか。
通路の前方がぱっと明るく熱くなる。
「炎か」
ごう、と前に姿を現した火トカゲに似た魔物が火を吹く。
「水を!」
どこでも水を出せる呪文を習っておいてよかった。水の量を調節できるところまで習熟していないが、ともかく目の前の業火に水をぶつける。
火と水が打ち消し合うジュウジュウという音が通路中に響き、同時に発生した大量の水蒸気が視界をはばむ。
この水蒸気で、敵もこちらが見えなくなるといいがと期待したのもつかの間、後ろから再びグルルと低いうなり声がする。さっきの魔物が息を吹き返したのか。
狼に似た魔物ならば視界が悪くても鼻がきくのかもしれない。匂いを誤魔化すのはどうしたらいいのか。大量の水を出せば匂いも流れてしまうのかもしれないが、そんなことをすれば自分が溺れ死にしかねない。
このままでは挟みうちにされてしまう。どこかに逃げ込める通路はないのか。 グワッと吠え声をあげてもやの中から黒い影が襲いかかる。とっさに杖を構える。また杖で歯をふせいだ。だが魔物の頭は三つある。ひとつの頭が杖をがっしりとくわえていても、横の二つの頭がラジュエルをかみ砕こうと涎を垂らしながらガウガウと吠える。
「くそっ」
魔物がぐいぐいとくわえた杖を押してくるのを、こちらも足を踏ん張って押されないようにする。力を抜けば残ったふたつの頭に食いつかれる。
もう一度杖に魔力を流す。いくら『風』の力を使っても魔物を倒すところまでは力を出せないことはさっきわかったが、とりあえず時間ぐらいは稼げる。
がくりと目の前の魔物の力が抜ける。
ほっとして今のうちに逃げようと後ろを向くと、今は水蒸気が晴れてさっきの火トカゲのような魔物がまた迫ってきているのが見えた。
「師匠、まだですか」
ダッジオ師の気配はまだ全く感じられない。
「ちくしょう、逃げ道は」
ない。前方の火トカゲと後ろの三つ頭の魔物の間はただの細い通路で、横に抜けられる脇道もない。
「しょうがない」
魔物の歯がはずれた杖を通路横の石壁に向け、あらん限りの魔力を流す。
ガラガラと音を立てて石が崩れて壁に穴が開く。
思った通りだ。石の向こうは厚い壁を隔ててまた空洞になっている。
「どうなってんだ、この地下迷路は」
壁の向こうに逃げ込んだが敵が追ってくるのは時間の問題だ。案の定、開いた穴をくぐって入ってこようとする火トカゲに、転がっている石つぶてを投げつけてとりあえず時間を稼ぐ。稼ぎながらまた走って逃げる。
ダッジオ師はどうしただろう。エスケレス師は大丈夫だと言ったが、『全きもの』になる前の魔力の強さではとうていマルリオス師にかなうものではない。
また壁に当たる。杖を当て、『風』の力を流して破壊する。
このままどこまで逃げ続けられるのだろうと思ったとき、とつぜん人声が聞こえた。
「誰だ! 破壊活動をしているのは!」
こんなところに人が? 声には力があり、地下でずっと暮らしていた人間のようには感じられない。ということは、上から誰かが入ってきているのか。こんなところに入れるとすればある程度、上層部の魔法使いだろう。騎士団員か。
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