NO.23 目を引く動き
休憩の時間が終わり、馬場には再び人々の視線が集まり始めていた。
後半競技に入る前に、第二皇子エリアスによる騎乗披露が行われることになっている。
すでに準備は整っているらしく、司会役の声が馬場に響いた。
「続いて、第二皇子殿下による騎乗披露でございます」
観覧席がまた小さくざわめく。
エリアスはすでに馬上にいた。
淡い金髪が初夏の光を受け、琥珀色の瞳はいつものように柔らかく細められている。
油断ならない相手だと分かっていても、その姿が目を引くことは否定できなかった。
エリアスの披露は、ルシウスの障害越えとは趣きが違い、勢いよく駆け障害を越えていくものではない。
歩調を変え、馬場に円を描き、決められた位置で静かに止まる。
馬をいかに乱さず、美しく見せるか。そういう演目だった。
だからこそ、動きのひとつひとつがよく見える。
エリアスは馬場の上を、流れるように進んでいった。
観客席の前で美しく旋回し、速度を変え、最後にはぴたりと馬を止める。
馬はまるで自分からそう動いているように乱れも迷いもしない。
柔らかく、優雅で、見ている者を安心させるような騎乗だった。
隣で、ルシウスが低く言う。
「昔から、あいつはああいう見せ方が上手い」
イネスは馬場から目を離さずに答えた。
「確かに、お上手ですね」
「人も馬も操るのは得意らしい」
その声には、薄く棘があった。
イネスはそれに気づいたが、返事をする事はなかった。
ルシウスがエリアスを警戒している理由は、彼女にも少しずつ分かり始めていた。
柔らかく笑っているのに、底が見えない。
隙を見せれば必ず突いてくる。そういう相手だ。
馬場の中央で、エリアスが観客へ向けて穏やかに礼をする。
その笑みはどこまでも柔らかい。
エリアスが称賛の声に応じながら、ルシウスとイネスのもとへ戻ってくる。
そしてイネスに真っ直ぐ視線を合わせて言う。
「いかがでしたか?義姉上」
無邪気にも、純粋にも見える表情だった。
けれど、先ほどまでの彼の態度を思えば、そのまま受け取るには少々不自然であった。
ルシウスの目が、ほんのわずかに冷える。
イネスはそんなルシウスを一瞥してから、エリアスに向かって何事もないような顔で微笑んだ。
「美しい騎乗でした」
そう短く伝えると、エリアスは満足そうににこりと笑った。
「義姉上にそう言っていただけるなら、出た甲斐がありました」
そしてルシウスに軽く視線を向ける。
まるで彼の反応を見ることが目的だったとでもいうように。
ルシウスは何も言わなかった。
ただにこやかに笑うエリアスに、冷たい視線を投げるだけだった。
***
後半競技が始まると、馬場の空気は再び熱を帯びた。
騎手たちは旗門の間を抜け、決められた位置で馬を返し、観客席の前を駆け抜けていく。
蹄が土を蹴る音。手綱の金具が鳴る音。観客たちの歓声。
華やかな競技の熱が、初夏の馬場いっぱいに広がっていた。
けれど、森の上にはいつの間にか灰色の雲がかかっていた。
陽射しはまだ明るい。
それでも時折吹く風が、天幕の端を大きく揺らす。
競技は滞りなく進んでいった。
やがて後半競技も終盤に差しかかる。
騎手たちが最後の走行を終え、観客席から拍手が起こった。
その合間を縫うように、主催者がルシウスとイネスのもとへ近づいてくる。
「殿下、妃殿下」
丁寧に頭を下げたあと、彼は少しだけ緊張した面持ちで言った。
「本日の締めに、もしお差し支えなければ、殿下と妃殿下に馬場を一周していただけませんでしょうか」
イネスはわずかに目を見開く。
思わぬ提案だったが、悪い話ではない。
先ほど感じた風が、まだ身体のどこかに残っている。
もう一度あの空気を感じられるのなら。
ルシウスは主催者へすぐには返事をせず、イネスを見た。
「どうする」
問いかけるような声。
イネスは一度、馬場へ視線を向ける。
考えるまでもなく、心はもう動いていた。
「私でよろしければ」
そう短く答えると、ルシウスは少しだけ目を細める。
「では、受けよう」
主催者の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます。すぐにご準備を」
周囲にいた者たちへ指示が飛び、馬場裏が慌ただしくなった。
ルシウスとイネスは並んで、用意される馬の方へ向かう。
「意外とすぐに機会が来たな」
ルシウスが少しだけ柔らかな声で言った。
先ほどの、定期的に二人で乗るのも悪くない、という言葉を思い出し、イネスも少しだけ口元を緩める。
「ええ。そのようですね」
ほんの短いやり取り。
けれど、二人の間に流れる空気は穏やかだった。
その時だった。
「第一皇子殿下」
急いだ足音とともに、王宮の使者が馬場裏へ入ってくる。
息を切らしているその顔には、明らかな緊張があった。
ルシウスの表情がすぐに変わる。
「何だ」
使者は深く頭を下げ、封じられた書状を差し出した。
「至急、ご確認いただきたい書状が」
ルシウスは書状を受け取る。
封蝋に刻まれた印を見た瞬間、その紺の瞳が冷えた。
イネスは何も言わず、隣に立つ夫の横顔を見上げる。
先ほどまで、確かに近づいていたはずの空気が、すっと遠のいた。
初夏の風が、天幕を大きく揺らす。
森の上にかかった雲は、いつの間にか色を濃くしていた。




