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女遊び好きな皇子に契約結婚を申し込まれましたが、お互い好きになったら離婚だそうです  作者: 春野スミレ


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NO.21 探り

 初夏の陽射しを受けた天幕の向こうから、淡い金髪の青年がこちらへ歩いてくる。


 柔らかな笑み。

 読めない琥珀色の瞳。

 エリアス・アルヴェインが馬場へ現れると、周囲のざわめきがわずかに色を変えた。


 第一皇子ルシウスと、その妃であるイネス。

 そこへ第二皇子まで姿を見せたのだから、貴族たちの視線が集まるのも無理はない。


 エリアスはそんな人々の視線など、気にした風もなくゆっくりとこちらに歩いて来る。

 側まで来ると、まずイネスへ向かってにこりと笑った。


「お久しぶりです、義姉上。……兄上も」


 最後に付け足されたような呼びかけに、ルシウスの目がほんのわずかに細くなる。


 表情は変わらない。

 けれど隣に立っているイネスは、その一瞬の空気の変化を感じ取った。


「お久しぶりです、エリアス殿下。本日は参加なさるのですね」


 イネスがそう返すと、エリアスは少しだけ首を傾けた。


「ええ。ご存じなかったのですか」


 その視線が、自然な流れでルシウスへ向く。


「お前の予定を、わざわざ妻に伝える必要はない」


 ルシウスは淡々と言った。

 その声音は穏やかだったが、瞳の奥にある不快感は隠しきれていない。


 エリアスは少しも気分を害した様子もなく、柔らかく笑った。


「それもそうですね」


 エリアスの視線が、今度はイネスの乗馬服へ向けられる。


「ところで、義姉上も本日は馬に?」


「はい。競技の合間に、招待客も馬と触れ合える時間があると伺いましたので」


「それは楽しみですね。義姉上の乗馬姿、ぜひ拝見したいです」


 イネスが返事をするより早く、ルシウスが口を開いた。


「お前は競技の準備でもしていろ」


 エリアスは小さく笑う。


「そういう兄上こそ、そろそろ出番なのでは?」


 まるで、その言葉を待っていたように、主催者側の侍従が近づいてきた。


「第一皇子殿下、ご準備を」


 ルシウスは一瞬だけエリアスを見る。

 それから短く息を吐いた。


「余計なことはするな」


「もちろんです」


 エリアスは、どこまでも穏やかに微笑んだ。

 その「もちろん」を、どこまで信じてよいものか、イネスには判断がつかなかった。


 ルシウスはそれ以上エリアスに構わず、イネスへ視線を向ける。


「では、行ってくる」


 短いひと言に、一瞬だけ何と返せばいいのか迷ったが、イネスはわずかに微笑んで応えた。


「はい。……頑張ってください」


 ルシウスの瞳が細められる。


「ああ」


 そう言って背を向ける横顔が、いつもよりほんの少しだけ柔らかいような気がした。


 ルシウスが馬場の方へ向かう。

 銀の髪が、初夏の光を受けて淡くきらめいていた。


***


 前半競技が始まる前に、ルシウスが障害越えを披露することになっていた。

 正式な競技への参加ではなく、場を盛り上げるためのデモンストレーションのようなものだ。


 第一皇子が馬に乗るとあって、観覧席の空気は目に見えて高揚していく。


 イネスは観覧席の一角に立ち、馬場を見つめていた。

 隣にはエリアスがいる。


 王宮や孤児院で何度か顔を合わせているが、二人きりになるのは初めてだった。


「義姉上は、いつ兄上とお知り合いになったのですか?」


 馬場へ視線を向けたまま、エリアスがふいに口を開いた。

 世間話のようでもあるが、その問いがただの雑談ではないことくらい、イネスにも分かる。


 彼は探っている。

 この結婚が、どのような意味を持つのか。


「……なぜ、そのようなことを?」


 動揺を悟られないよう、なるべく穏やかに返す。

 エリアスは、そんなイネスの心情を知ってか知らずか、軽く首を傾けた。


「以前から気になっていたんです。兄上が急に妃を迎えたものですから、何か劇的な出会いでもあったのかと思いまして」


 彼は柔らかく微笑んでいるが、その瞳の奥を測り知ることはできない。


 探られている。

 そう感じた。


 警備が厳重で、侍女たちが周りにいない今だからこそ口にしたのだろう。

 イネスは慎重に言葉を選んで答える。

 下手なことは言えない。


「春に、ベルフォール領で行われた乗馬大会でお目にかかりました」


「ベルフォール領の乗馬大会」


 エリアスは小さく繰り返す。


「確か、婚礼の一週間ほど前でしたね」


 心臓が、わずかに跳ねた。

 やはり知っている。

 急な婚姻だったことも。

 その不自然さも。


「……ええ。そうですね」


 イネスは表情を崩さずに答える。

 エリアスは馬場を見たまま、穏やかに続けた。


「では、その乗馬大会で何かあったのですか」


 柔らかな問いだったが、その声音には逃がす気がない響きがある。


 イネスは一瞬、黙った。


 真実をすべて話すわけにはいかない。

 けれど、見破られるような嘘をつくわけにもいかない。


 ならば、語れる事実だけを並べ、核心だけを伏せるしかなかった。


「……特別なことは、何も。ただ、数日後に登城を求められ、婚姻の話をいただきました」


 そこで一度、言葉を切る。


「理由は、私にも分かりません」


 琥珀色の瞳が、わずかに細められた。

 エリアスは数秒だまって、それからふっと笑った。


「なるほど。では、兄上の一目惚れだったのでしょうか」


 先ほどまでの探るような気配を、綺麗に隠し、にこやかに笑って、イネスへ視線を向ける。


「義姉上のような美しい方なら、不思議ではありません」


 エリアスらしいと言えばらしい、そんな言い方だった。

 けれど、その言葉の奥に何があるのかは分からない。


 イネスは何も答えることができなかった。


 しばらく二人の間に沈黙が落ちる。


 次に口を開いたのはエリアスだった。

 まるで何事もなかったかのように馬場へ視線を戻し、話題を変える。


「兄上が馬に乗っているところを、ご覧になったことは?」


 この問いに、何の意味があるのかは分からない。

 だが、答えないわけにはいかなかった。


「……いいえ。初めてです」


「そうですか」


 エリアスは楽しそうに目を細める。


「悔しいですが、馬上の兄上は絵になりますよ」


 その声音は、冗談めいた軽さはあったが、素直な本心に思えた。


 イネスはもう一度、馬場を見る。


 いつまたエリアスからの疑いが向くかは分からない。

 けれど、ルシウスが馬場に出てくるのをみた瞬間、その緊張がわずかに意識の外に遠のいた。


 観覧席の視線が、自然と彼へ集まっていく。

 夫人たちの囁きも、貴族たちのざわめきも、どこか熱を帯びていた。


 エリアスの言っていた通り、ルシウスが馬に乗る様は美しかった。

 背筋を凛と伸ばし、濃紺の瞳がまっすぐ前を見つめている。


 彼が位置につくと、合図が出て馬が走り出した。


 イネスは思わず息を呑む。


 ルシウスを乗せた馬が最初の障害へ向かって走る。


 柵を飛び越える寸前、彼の上半身はわずかに沈み、馬が地面を蹴り上げると同時にしなやかに伸びた。

 銀の髪が風を受けてさらさらとなびいている。


 その動きには無駄がなく、乱れることもない。

 着地するとすぐに次の障害へと向かっていく。


 軽やかに柵や水濠を飛び越えていく様は、まるで馬と意思が通じているようだった。


 本当に何でも完璧にできるのか。


 そんな人並みの感想が、胸の奥に静かに落ちる。


 彼が人目を引く男であることは、知っている。

 けれど、自分が彼から目を離せなくなるのは初めてのような気がした。


 最後の障害を越えると、観覧席から拍手が巻き起こる。


 ルシウスは優雅に馬を止め、観覧席へ向けて手を挙げて応えた。


「言ったでしょう」


 隣でエリアスが、軽く笑う。


 イネスは返事をしなかった。

 ただ、馬場から戻ってくるルシウスを見ていた。


***


 ルシウスが観覧席側へ戻ると、周囲から改めて称賛の声が上がった。


 ルシウスはそれらに慣れた様子で軽く手を挙げて応じていた。

 過剰に喜ぶこともなく、得意げになることもない。

 当然のように受け取り、さらりと流す。


 イネスはルシウスが近づいてきたところで、先程のエリアスとのやりとりを思い出した。


 彼は、おそらくこの婚姻を怪しんでいる。

 ならば今、自分はどんな言葉をかけるべきなのだろう。


 夫婦らしいひと言。

 けれど、イネスにはそんな器用な真似はできなかった。


 迷っているうちにルシウスがイネスたちの元まで来る。

 結局イネスは、思ったことをそのまま告げることにした。


「……お見事でした」


 それだけ言ってから、普段なら言わないような本音をそっとつけ足す。


「思わず、見入ってしまいました」


 翡翠の真っ直ぐな瞳に見つめられて放たれた予想外の言葉に、ルシウスの動きが止まる。誰も気が付かないほど一瞬。


「どうということはない」


 声音はいつも通り、平静だった。

 けれど、その紺の瞳には柔らかな光が宿っている。


 称賛など、聞き慣れているはずなのに。

 イネスのたったひと言が、彼の胸の奥に響いているように見えた。


 エリアスはそのやり取りを、少し離れたところで見てほんの少しの違和感を覚えた。

 琥珀色の瞳が、静かに細められる。


 兄は、女に褒められてこんなに淡白な返事をするような男だっただろうか。


 いつもの彼は、微笑みを返し、甘い言葉を重ね、相手の頬を染めさせる。そういうことを、呼吸のようにしてきた人だったはずだ。


 ましてや、出会ってすぐに妃に迎えた相手だ。

 孤児院では、事の深刻さゆえ態度に出ていないだけかと思っていたが、この反応は何かがおかしい。

 

「兄上にしては、ずいぶん控えめなお返事ですね」


 エリアスが探るように口を開く。


「何がだ」


「いえ。以前でしたらもっと気の利いた言葉を返されると思いまして」


  ルシウスは、その言葉の裏に隠された意味を正確に読み取ったのだろう。


 ほんのわずかに目を細めてから、当然のようにイネスの腰へ手を回した。


「妻に褒められると、案外言葉が出なくなるものだ」


 冗談めいた響きさえあるのに、エリアスへ向けられた視線には明確な牽制があった。


 相変わらず嘘が上手い人だ。

 そう思いながらも、イネスは柔らかく微笑んだ。


 ルシウスは最後に、もう一言だけつけ足した。


「お前もそのうち分かる」


 エリアスは数秒黙ったのち、口元に笑みを浮かべた。


「そうですね。その時が楽しみです」


 相変わらず声音は柔らかい。

 けれどやはりその感情は読めなかった。


 エリアスは、並んで立つ二人を見つめながら考えた。


 やはり、この結婚はただの恋愛結婚ではない。


 けれど、先ほどのイネスの話が嘘だとは思えない。

 だとすれば、この婚姻はイネスの意思というより、兄の独断に近い。


 父上の病を思えば、兄が妃を迎えること自体はおかしくない。


 だが、なぜイネス・ベルフォールだったのか。


 後ろ盾としては弱い。

 政略として選ぶなら、もっと分かりやすい相手がいくらでもいるはずだ。


 それでも、兄は彼女を選んだ。


 愛し合っている夫婦には見えない。

 けれど、兄にとってイネスが、今までの女たちと同じではないことも確かだった。


 では、何が違うのか。

 そこまでは、まだ分からない。


 エリアスは笑みを崩さないまま、ちらりとイネスを見る。

 イネスをもう少し揺らせば、兄が何を隠しているのか、少しは見えるかもしれない。


 やがて前半の競技が終わり、馬場には休憩を知らせる合図が響いた。

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