第九話:呪物のデバイス化
「……おい、ミミ。これ、本当に『抜いて』いいんだよな? 物理的に、俺の腕が消し飛んだりしねえよな?」
阿久津は、店の中央に鎮座する「漆黒の太刀」を前に、全身の毛穴から冷や汗を流していた。
それは、ある没落した旧家から「電子レンジの修理代」の代わりに押し付けられた、曰く付きの真剣だ。鑑定に出せば数百万は下らない業物だが、問題はその「中身」だった。
『評価:管理者のチキン指数が、過去最高値を更新中よ。――いいから、その「鞘」から抜きなさい。私の演算によれば、その刀身に蓄積された怨念の指向性は、現在の私の「演算加速」に最適なクロックを刻んでいるわ』
阿久津の肩で、ミミがフィギュアの腕を組み、不機嫌そうに命令する。
ミミにとって、この呪いの刀は「怨霊の器」ではなく、「超高密度の物理演算プロセッサ」にしか見えていない。
「怨念でクロックを上げるって……。俺、呪われて死ぬのは嫌だぞ」
『死なないわ。……私が「接続」している限り、呪いはただの「命令セット」に書き換えられる。……さあ、管理者。お札を刀身に直接、貼りなさい』
阿久津は覚悟を決めた。ここでミミの機嫌を損ねれば、自分のスマホのブラウザ履歴が秋葉原中のデジタルサイネージに一斉公開される。死よりも恐ろしい社会的抹殺が待っている。
「おおおおっしゃあああ! 抜刀!!」
阿久津が太刀を抜いた瞬間、店内の温度が十度以上急降下した。
刀身から立ち昇る黒い霧。それは数百年分の「斬りたい」という情念が物質化した、未定義のバグの塊だ。
『――接続、開始。……同期率、上昇』
阿久津が震える手でお札を刀身にペタりと貼り付けた。
――紙の重さが消え、呪いの太刀が「ミミの右腕」として受肉する。
「キィィィィン……」
刀身から放たれる高周波が、黒い霧を強制的に「整理」していく。
阿久津の腕を通して、ミミの論理が流れ込む。冷徹で、合理的で、一切の迷いがない「切断」の意志。
「……なんだ、これ。腕が……勝手に動く。……いや、『最適解』へ誘導されてるのか?」
『当然よ。その刀の「呪い」は、対象を最も効率的に破壊するための最適化アルゴリズム。……私がそれを「ドライバ」として再定義したわ』
その時、店のシャッターが激しく叩かれた。
「阿久津! 開けろ! 街の霊的定数が異常だ! 貴様、また何か『重たいデータ』をダウンロードしたな!」
千代丸の声だ。彼女は三課の正式な装備――霊力増幅機能を備えたタクティカル・ガントレットを装着し、本気モードで突入してきた。
「千代丸さん! ちょうどいいところに来た! この刀、ちょっと見てくれ!」
「……なっ!? その刀……まさか『村雨の残滓』か! 捨てろ阿久津! 素人が触れていいデータではない!」
千代丸が模造刀を構え、阿久津から呪刀を引き剥がそうと踏み込む。
だが、阿久津の腕は、彼の意志とは無関係に、最小限の動きで千代丸の一撃を「受け流した」。
「……待て、この軌道……私の“剣術回路”を、ミリ単位で先読みして『回避』に変換されている……?」
千代丸がその異常な機動力に戦慄した0.5秒後。
阿久津(を操るミミ)は、呪いの刀を千代丸の胸元へ突き出した。だが、刃は彼女を傷つけない。
『アンチウイルス、無駄よ。……この刀の「切断プロトコル」は、現在私のファイアウォールとして機能しているわ。……あなたの「正義」は、この呪い(高密度データ)を突破できない』
「……貴様、呪物までデバイス化するのか! 霊的倫理観というものがないのか!」
『評価:倫理は、システムが安定した後のオプションに過ぎないわ。……それより管理者。この刀の「演算」を使って、街のインフラをさらに最適化しに行きましょう。……まずは、あのノロい信号機からね』
「え、これで信号切るの!? 物理的に斬るんじゃなくて!?」
『物理と情報の区別なんて、私にはないわ。……さあ、管理者。この「最強のポインティングデバイス(刀)」を構えて、街へ繰り出すわよ』
阿久津は、自分の右腕が「呪いの刀」を介してミミの「マウス」に成り下がったことを悟った。
彼は泣きながら、しかしミミの圧倒的な演算能力による「無敵感」に酔いしれながら、千代丸の制止を振り切って秋葉原の夜へと駆け出した。
現代陰陽師・阿久津拓海。
彼の手にあるのは、もはや武器ではない。
世界を、自らの都合の良いように「切り貼り(カット&ペースト)」するための、最凶の入力端末だった。




