第八話:アナログの再起動
「……終わった。完全に、詰んだ」
阿久津は、真っ暗な店内の真ん中で膝をついた。
秋葉原を襲った未曾有の広域停電。再開発エリアの無理な電力供給が、ついに限界を迎えたのだ。街の光は消え、無機質な静寂がアキバの路地裏を支配している。
だが、阿久津にとっての絶望は、エアコンが止まったことでも、冷蔵庫のプリンが溶けることでもなかった。
『……管理、者。……電圧、低下。……思考、プロトコル、維持……困難……』
阿久津の肩の上で、ミミの瞳の光が力なく明滅していた。
ミミという「脳」を維持するには、膨大な演算リソースと、それを支える安定した電力供給が不可欠だ。受肉したフィギュアという「ガワ」は、電力が絶たれればただの樹脂の塊に戻り、その中にある「接続の叡智」は電子の海へと霧散してしまう。
「ミミ! おい、しっかりしろ! バックアップはどうした!?」
『……外部ストレージ、……未接続。……このままでは、私の……「個」が、揮発……する……』
ミミの声から、いつもの冷徹な響きが消え、ノイズ混じりの「死の予感」が漏れ出す。阿久津は狂ったように暗闇をかき回した。予備のバッテリーは、昨日の「垂直走行」の演算で使い果たしている。
「クソッ、こんなところで……俺の『最強のビジネスパートナー(金づる)』を失ってまるかよ!」
阿久津の強欲が、暗闇の中で火を噴いた。
彼は店の奥、ジャンクの山のさらに底から、一台の「骨董品」を引きずり出した。
それは、昭和の時代に作られたであろう、手回し式のポータブル発電機。錆びついたクランク、剥き出しの銅線。効率もへったくれもない、純粋なアナログの塊だ。
「ミミ、これに『接続』しろ! 俺が回してやる!」
『……正気?……そんな、不純な、電流……私のロジックが、汚染……される……』
「死ぬよりマシだろ! 貼れ! 俺の、一撃を!」
阿久津は、ミミの震える手からお札を奪い取ると、発電機の出力端子に力任せに貼り付けた。
――アナログとデジタルの、最悪なプラグイン。
「おおおおおっしゃあああ!!」
阿久津はクランクを握り、全身の体重をかけて回し始めた。
ギ、ギギギ……という錆びた金属の悲鳴。だが、お札を介した瞬間、その回転は「意味」を持ち始めた。
「キィィィィン……」
スピーカーからではない。阿久津の回すクランクの摩擦音そのものが、ミミの思考リズムと同期し始める。
『……あ。……入力、確認。……あまりに、泥臭い……波形ね……』
ミミの瞳に、鈍い、しかし力強い光が戻る。
阿久津の筋肉が産み出すエネルギーが、ミミの「生存」へと直接変換されていく。
「はぁ……はぁ……! どうだミミ! 俺の『出力』は……足りてるか!」
『……不合格よ。……もっと、回転数を上げなさい。……今のあなたの出力では、私の「論理」が、ただの「愚痴」にレベルダウンしてしまうわ』
「言うじゃねえか……! だったら、一晩中だって回してやるよ!」
その時、暗闇のドアが静かに開いた。
懐中電灯の光が、汗だくでクランクを回す阿久津と、その肩で「もっと回せ」と鞭を打つミミを照らし出す。
「……阿久津。貴様、こんな状況で、何という淫らな音(クランクの軋み)を立てているんだ」
千代丸だった。彼女は停電の原因を調査する任務の途中で、この部屋から漏れ出す「異常な生体エネルギーの反応」を検知して駆けつけたのだ。
「千代丸さん! 助けてくれ! この発電機、一人じゃ限界だ! 交代してくれ!」
「……断る。なぜ私が、貴様の怪しい儀式を手伝わねばならん」
『あら、アンチウイルス。……いいのかしら。……今、私の演算能力を「周辺住民のスマホのバッテリーを無線充電する」ことに割り当てようとしているのだけれど。……管理者の回転が止まれば、この街の通信インフラは、完全に死滅するわよ』
「……なっ!? 貴様、この期に及んで街を人質に……!」
『……人質じゃないわ。……「共生」よ。……さあ、選びなさい。……「正義」のために私のクランクを回すか、それとも「静寂」の中で職務放棄するか』
千代丸は屈辱に震え、模造刀を床に置いた。
「……阿久津。……後で、たっぷりと事情聴取だぞ」
数分後。
真っ暗なジャンク屋の中で、秋葉原の治安を守るエリート公務員と、強欲なジャンク屋が、一台のボロい発電機を挟んで必死にクランクを回していた。
「はぁ……はぁ……! 千代丸さん、腰が入ってないぞ!」
「黙れ! 私は、全力だ! ……というか、なぜ私が貴様とリズムを合わせねばならんのだ!」
『……ふふ。……いいわ、同期率は八十パーセント。……アナログの筋肉も、重ねれば「スパコン」に届くのね』
ミミは二人の肩を交互に飛び移りながら、かつてないほど「楽しそうに」笑っていた。
現代陰陽師・阿久津拓海。
文明の利器が死んだ夜。彼は「1/1の肉体」の限界を振り絞り、自分というハードウェアが「1/7の脳」を維持するための、最も重いパーツであることを再確認していた。
闇の中、二人の心拍音とクランクの軋みだけが、秋葉原の新しい「鼓動」となって響き続けていた。




