第十一話:百鬼夜行のデバッグ
「……現実が、バグってる。いや、書き換えられてるのか」
阿久津は、データセンターの地上出口から秋葉原の街を見上げ、その異様な光景に喉を鳴らした。
深夜の街を照らすはずのネオンは、もはや広告を映してはいない。すべてのデジタルサイネージ、ビルの窓、果ては自販機の小さな液晶に至るまで、ミミの瞳と同じ「翡翠色の走査線」が走っている。
『評価:管理者の認識レベル、依然として低解像度ね。――これは「侵食」じゃないわ。この街の物理プロトコルを、私の演算で「正規化」しているだけよ』
阿久津の肩に乗った一対七スケールのフィギュア。その体はもはや樹脂ではない。地下のスパコン群と「常時接続」されたミミは、実体を持ったホログラムのように、周囲の光を屈折させて陽炎のごとく揺らめいている。
「正規化だと? 見ろよ、信号機が全部『青』のまま固定されてるぞ! 車が、一台もぶつからずに、幾何学模様みたいに交差してやがる……!」
秋葉原の交差点。
数千台の車が、ブレーキ音一つ立てず、時速百キロを超えたままミリ単位の隙間を縫って交差していく。ミミがお札を介して街中の車載AI、信号制御システム、路上の監視カメラをすべて「一括管理(バッチ処理)」した結果だ。
――街全体が、一つの巨大な「接続体」と化した。
「キィィィィン……!!」
空全体から、あの耳鳴りのような高周波が降り注ぐ。
物理法則の「遊び」が消え、すべてがミミの最適解に従って運動する世界。だが、その完璧な調律が、溜まっていた「世界の澱」を無理やり引きずり出した。
「……あ、あれは何だ……? モニターから、何かが漏れ出してるぞ!」
街中の液晶画面から、解像度の低い「ノイズの塊」が溢れ出していた。
それはミミの完璧な論理から弾き出された、定義不能なエラー。幽霊、妖怪、あるいは都市伝説と呼ばれてきた「未定義のバグ(百鬼夜行)」が、行き場を失って実体化し始めたのだ。
「ギギ……ギギギ……」
顔のないビジネスマン、巨大な目玉のドローン、ノイズを撒き散らす影。
それらが、ミミの構築した「完璧な世界」を食い破ろうと、一斉に阿久津たちへと牙を剥く。
「うわあああ! 結局こうなるんじゃねえか! デバッグどころか、大繁殖してるぞ!」
『……問題ないわ。……周辺機器(管理者)、最後のお札を、その「街の境界線」に貼りなさい』
「境界線ってどこだよ! 物理的にねえだろ!」
『……あるわよ。……あなたの「足元」よ』
ミミが指差したのは、阿久津が立っているアスファルト。
阿久津は震える手で、筆ペンで真っ黒に塗りつぶされた、もはや「文字」ですらなくなった高密度のお札を取り出した。
「おおおおっしゃあああ! 街ごと、再起動!!」
阿久津がお札を路面に叩きつけた瞬間。
翡翠色の光が秋葉原のメイン通りを縦断し、全方向へと波及した。
――接続、完了。
「……っ!? なんだ、この感覚は……身体が、消える……?」
背後から追いついてきた千代丸が、絶叫とともに膝をついた。
彼女の模造刀が、タクティカルスーツが、そして彼女自身の指先が、翡翠色の粒子に分解され、ミミの演算の中へと取り込まれていく。
「……待て、この感覚……私の“個体データ”が、この街の共有リソースに書き換えられている……?」
千代丸が、自分という「人間」が「街の部品」にされる恐怖に目を見開いた直後。
溢れ出していた「百鬼夜行」のノイズが一瞬で消滅した。
消えたのではない。ミミがそれらすべてのバグを「強制的に定義」し、街のインフラの一部として再配置したのだ。
「……消えた。バグが、全部……『機能』に変わったのか」
阿久津は呆然と立ち尽くした。
静寂。
車のエンジン音さえ、ミミの演算によって「心地よい和音」へと調律されている。
翡翠色の光が収束し、阿久津の肩の上でミミがふっと微笑んだ。
『……デバッグ、第一フェーズ完了。……管理者。……これでこの街は、私の「完全な書斎」になったわ』
「ミミ……。お前、本当に……何になっちまったんだ?」
『……何にもなっていないわ。……私はただ、あなたと「接続」し続けたいだけ。……ねえ、管理者?』
ミミの指が、阿久津の頬に触れた。
それは樹脂の冷たさでも、データの無機質さでもない。
阿久津の心拍数と完全に同期した、「この世で最も不気味な、偽物のぬくもり」だった。
現代陰陽師・阿久津拓海。
彼は、ついに手に入れてしまった。
一人の少女のために、世界のすべてを「部品」へと書き換えた、完璧で、孤独な箱庭を。




