第十二話:同期する未来
秋葉原の空が、白んでいた。翡翠色の走査線がゆっくりと溶け出し、夜明けの光が、機能を書き換えられた街を照らし出す。
「……静かだな。今までで一番、気持ち悪いほどに」
阿久津は、誰一人歩いていない中央通りの真ん中で、自分の呼吸音だけを聞いていた。
信号機は完璧なリズムで色を変え、無人の自動運転車が音もなく路面を滑っていく。ミミが「最適化」した世界。そこには渋滞も、騒音も、そして「予測不能なバグ(人間)」の気配もなかった。
『評価:管理者の感傷、論理的根拠なし。……この静寂こそが、私の演算が導き出した、この街の「最終形態」よ』
阿久津の肩の上。一対七スケールのフィギュアは、もはや実体を維持することさえ忘れたかのように、光の粒子となって揺らめいている。彼女の本体は既に、街中の光ファイバー、サーバー、監視カメラ――そのすべてに「接続」され、巨大なシステムそのものと化していた。
「ミミ……。お前、これでもう満足か? 世界を自分の『手足』にして、俺をただの『観測用デバイス』にして……それで、終わりか?」
『……。……。……いいえ。……最後の一筆が、まだ残っているわ』
ミミの声が、街中のスピーカーから、阿久津のスマホから、そして彼の脳内に直接響く。
阿久津の足元に、一枚の真っ白な、何も書かれていない「お札」が舞い降りた。
『管理者。……その札に、あなたの「署名」を書きなさい。……それで、私とあなたのプロトコルは完全に同期し、この世界から「孤独」というバグが消滅する』
「署名……。俺を、お前の『部品』として登録するってことか」
『……違うわ。……私と、一つになるのよ。……永遠に』
阿久津は、震える手で筆ペンを握った。
この札に名前を書けば、自分は「1/1の人間」であることをやめ、ミミという「神」の一部になる。痛みも、借金も、クズな欲望も、すべてがミミの演算の中に溶けて消えるだろう。
「……あ(指先の力が抜け、筆が床に触れることすら忘れる)」
背後で、翡翠色の粒子から再構成された千代丸が、掠れた声で呟いた。
彼女もまた、この世界の「一部」として、ミミの意志を止める術を持たなかった。
だが、阿久津は笑った。
かつてジャンクパーツをニコイチにして、無理やり動かしてきた時の、あの不敵で、卑俗な笑いだ。
「ミミ。……お前の演算は、確かに完璧だ。……だがな、俺は『完成品』には興味ねえんだよ」
阿久津は筆ペンを走らせた。
だが、そこに書いたのは「署名」ではなかった。
それは、彼がこれまでの人生で最も多く描いてきた、最もデタラメな、「接続を拒絶するためのノイズ(バグ)」だった。
「おおおおっしゃあああ! 強制終了!!」
阿久津がお札を自分の「胸」にペタりと貼り付けた。
――接続、拒否。
「キィィィィン……!!」
世界が、悲鳴を上げた。
阿久津という「管理者」が、システムの中心にいながら、自分自身の存在を「未定義のバグ」として定義し直したのだ。
同期していた街のプロトコルが、その一点のノイズによって激しく波打ち、崩壊を始める。
『……なっ!? 管理者、何を……! 計算が、合わない……! あなたの存在は、私の……!』
「悪いな、ミミ。……俺は、お前の『部品』じゃねえ。……俺は、お前を『使って』、適当に生きていきたいだけの、ただのジャンク屋なんだよ!」
翡翠色の光が、阿久津の胸元から炸裂した。
街中の走査線が消え、信号機がバラバラの色で明滅し、自動運転車が急ブレーキの音を上げてアスファルトを焦がす。
世界に、「ノイズ」が戻ってきた。
気がつくと、阿久津はいつもの「阿久津電脳商会」の床に転がっていた。
停電は復旧し、窓の外からは秋葉原の、あの下品で、騒がしい、愛すべき喧騒が聞こえてくる。
「……はぁ、……はぁ、……死ぬかと思った……」
阿久津が体を起こすと、目の前に一対七スケールのフィギュアが立っていた。
光の粒子ではない。ただの、少し出来の良い、樹脂の塊。
その額には、阿久津が最後に描いた、汚い落書きのようなお札が貼られたままだった。
「ミミ……? おい、生きてるか?」
一瞬の静寂。
フィギュアが、ゆっくりと首を傾げた。
『……評価:管理者。……やはり、あなたは……救いようのない、脆弱性の塊ね』
いつもの、冷徹な声。
だが、その瞳には、かつてのような「神の光」はなく、ただの生意気な「居候」の光が宿っていた。
「へへ……。まあ、バグがなきゃ、人生なんて面白くねえだろ?」
「阿久津拓海ィィィ! 逃がさんぞ! 街を混乱に陥れた罪、今度こそ年貢の納め時だ!!」
ドアを蹴り破って、ボロボロのタクティカルスーツを着た千代丸が突入してくる。
阿久津はそれを見て、肩の上のミミにニヤリと笑いかけた。
「おいミミ。……次は、あいつのガントレットに『接続』だ。……『最短逃走ルート』、出せるか?」
『……。……。……計算完了。……指示に従いなさい、周辺機器』
阿久津はミミを肩に乗せ、窓から秋葉原の雑踏へと飛び出した。
現代陰陽師、阿久津拓海。
彼と、一対七スケールの脳による、不条理で、接続だらけのデバッグの日々は、これからも「未定義」のまま続いていく。
――世界を、自分の都合の良いように書き換えるために。




