6.
「くっそ、何なんだよ一体……」
昨晩のことを思い出す程に、苛々がつのっていく。
あの少女が最後にアルゼに向けて放った視線は、間違いなく完全に、アルゼを見下したものだった。
いつまでも引きずっていても仕方がない。そう理解してはいても、中々頭の中から消え去ってくれるものではなかった。
ミラやゾルド、果ては近所の人達までもが集まり、なんとか追い出そうとはしてくれていたらしい。だが結果は、昨晩の少女を見てわかる通り。骨折り損というものだった。
人々が諦めかけた矢先、少女は一言だけ口をきいたらしい。
『父様から、大切な預かりものをしている。私はそれを、ある場所へ持って行かなくてはならない……絶対に』
その言葉を呟いた時、少女は顔を伏せ、厳かな雰囲気を醸し出したのだという。
だが次の瞬間には両手を思い切り机に叩き付け、もういいだろうと叫ぶように怒鳴るとすぐに、アルゼの部屋に篭ってしまったらしい。というのが、昨晩聞いたゾルドの言葉。
「厳かぁ? ……ホントかよ」
アルゼには、たとえ一瞬でもあの少女が厳かに話すとは到底思えないことだったが。
結局、少女は本当にアルゼの部屋を占領していた。アルゼの私物をほとんど全て窓から投げ捨て、扉の前には護衛などを立てて少女は悠々と眠ったらしい。いや、今も眠っているのだろう。
ならば他の部屋で寝よう、とアルゼが訪れたミラの寝室やゾルドの寝室には、部屋主こそいたものの、あの少女と共にいた集団で、足の踏み場もない程の人口密度になっていた。
仕方なく眠った玄関先に差し込んだ朝日と同時に目が覚めてから、アルゼは川原に来ていた。昨日エリエファと共に釣りをした川のほとりに座り、一人悪態をついている。
あのどこからか来た少女によって放り出されたものの中には、アルゼの大切なものも含まれていた。
例えば、誰かからのプレゼント。
――例えば、包帯。
左腕は、隠そうとすれば長袖のシャツでも事足りるだろう。だが袖を一生懸命引っ張って木陰で佇んでいるなどというのは、全くもって彼の性分に合わない。
「最悪だぁ……」
アルゼはぶつぶつと呟きながら、腕の熱に長時間あてられ、変形してしまった包帯を解いていく。
腕から解く包帯までもが、ほんのりと熱を帯びていた。昨晩取り替えるはずだった包帯は少女に窓から投げ出され、裏庭に土まみれで落ちていた。
昨日はあの女のせいで包帯取り替えられなかったじゃないか。ついでに、そんな憎まれ口も心の中で言いながら、慣れた手つきで新しい包帯を手にする。
決して喜ばしいことではないが、長年同じことの繰り返しをしているために、その腕はすぐ真っ白に変化していった。
「よし、完了」
アルゼは左腕に新しい包帯を巻きつけ終えると、感覚を確かめるように腕を曲げ伸ばしした。包帯は歪みもなく、綺麗にぴたりと腕に巻きついていた。
それを確認すると、アルゼは先ほどまで巻いていた包帯をぐしゃぐしゃと適当にまとめ、無造作にポケットへ突っ込む。
それから、腕をじっと見つめた。
真っ白い、綺麗な包帯の下。熱を持ち、じわりと痛む腕。これは一体、何なのか。意味はあるのか、あるとしたらなぜ、俺の左腕に。
この腕がおかしいと知った時から、ずっと頭について離れない疑問。答えが欲しい。だがそもそもこの問いに答えはあるのか。
考えれば考えるほど、アルゼの頭の中には疑問ばかりが溢れてくる。未だ答えは、ない。
「あぁ、もう嫌だ!! やめだ、やめ!」
彼は深く滅入る気持ちを吹き飛ばすように大声を出すと、包帯を入れたのとは反対側のポケットに手を入れる。しかしその手は、一瞬にして止まった。
「やっぱり、お前も嫌だろ? うんうん、そーだよなぁ」
突然背後から聞こえた声に、アルゼは凍りつく。
見られた? 俺の左腕。白い包帯の下の、黒い腕。
アルゼは背後の人物がそれを目にしていないことを祈りながら、ぎこちなく後ろを振り返る。最初に目に入ったのは、薄汚れたマントだった。
「ん、どうかしたか?」
アルゼより、十センチは背丈があるだろうか。彼には見慣れない男が、こちらを向いて立っていた。髪はボサボサだったが、眼光だけは嫌に光っている。年は、二十代前半、といったところか。
男の反応を見て、アルゼは胸を撫で下ろした。よかった。見られていない。だって、見れば逃げてしまうに違いないから。
「アンタ、誰?」
この町の人たちは、全て把握している。生まれた時から変わらない、優しい人達だ。しかしこの男には、全く見覚えがない。
もしかして、あの女の連れの一人だろうか。そんな考えがアルゼの頭を過ぎる。
「まぁまぁ、細かいことは気にすんなって。それより、あのお姫サン。お前も嫌なんだろ?」
男はやけに甘ったるい笑みを浮かべてアルゼに近づいてきた。彼の足の動きに合わせて、水に濡れた草が微かな音をたてる。
アルゼはその男に見下ろされるのが何故か許せなくて、立ち上がった。どちらにしても、男の目線より上をいくことは出来なかったが。
「確かに嫌だけど……そのこと考えてた訳じゃねーよ」
男はアルゼの"嫌"を、町に逗留する少女のことだと思ったらしい。
昨日からこの辺には正体不明のヤツが絶えねぇな、とアルゼは呑気に考える。
男はアルゼの正面まで進んでくると、足を止めた。一度、アルゼを足先から頭のてっぺんまで物色するように眺める。
アルゼは居心地の悪さを感じ、身震いをして男を見返した。
何なんだよ、気持ち悪ぃ。用がないなら早く離れてくれねーのかな。
アルゼは男の視線が自分の体の上を移動しているのを感じながら、気を紛らわせるため、視線をあらぬ方向へ向けた。
やがて満足したのか、男は顔を上げた。あらぬ方向へ向けられているアルゼの首を捉え、無理やり自分の視線と合わせる。
「でもさ、どっちにしてもあの姫さんは嫌だろ? 手っ取り早く追い出す方法、教えてやるよ」
「あにすんだよ、この……ッ」
アルゼは自分の顎を掴んでいた男の手を力ずくで払った。
払った、と言うよりは直前で男が離した、という感触。
自由になった視線で改めて至近距離で男を観察すると、旅の途中であろうことがわかった。
護身用には少し大きいかもしれないが、剣を持っていたり、首にゴーグルがかかっていたりもする。
「追い出す方法ってのは、ありがたいとは思うけど……」
アルゼはさっきまでの”見下ろされたくない”などという自分の考えが急に馬鹿馬鹿しくなり、再び腰を下ろす。と、男も彼と目線を合わせるように隣にしゃがみ込んできた。
アルゼは再びポケットに手を突っ込み、中で握った木屑ごと取り出す。
「とりあえず、あんた誰なんだってば」
アルゼはさきほどの質問を繰り返したが、男は再びはぐらかそうとする。
「何だよ。一々細けぇな、お前。あ、もしあのお姫サン追い出してくれたら教えてやってもいいけどよ」
男は笑みを顔に貼り付けたまま、アルゼの顔を覗き込む。
「……はぁ?何それ」
アルゼはそれを無視して、ポケットから取り出した木屑を手近で平らな石の上に置いた。他のものより一回り大きい木屑の上に、一つの小さな木屑をそっと重ねた。
作業をしつつ、じゃぁ悪いけど、とアルゼは続ける。
「俺、誰だかわかんねー奴に教わるくらいなら、このままでもいいや」
よく見れば、大きめの木屑はどことなく船の形をしていた。
この船は、以前子供たちがアルゼにプレゼントしてくれたものだった。平面にも立てない不恰好なものだったが、アルゼにしてみれば自分の弟たちが自分のために作ってくれた、大切なものだ。
昨日の晩、アルゼの部屋を占領した少女によって窓から放り出されたこれは、小さい分、他のものより大きく飛んで家の敷地を飛び出し、ほとんど粉々になってしまっていた。
アルゼはそれを、壊れたことが子供たちに伝わる前に直してしまおうとしていた。
真剣に作業に没頭しようとするアルゼの傍ら、男が大声で気を引こうとしている。
「ま、待てって! ほら、あいつの荷物の中からこんくらいの棒を探すんだよ。両端に赤い宝石がついてるやつ」
男は両手を使って"棒"の長さを示しながら説明を始める。
「あれさえ盗んじまえば、あいつら大慌てでここに逗留どころじゃなくなる。なぁ、試してみないか?」
けれどもアルゼは、ちらりと男に一瞥をくれただけだった。
「えぇ……盗みぃ? そんなこと人間がやることじゃねーって母さん言ってたし。それに俺、今忙しいの」
"盗み"と聞けば、アルゼのその一瞥でさえもかなり嫌そうなものだったに違いない。男に対する軽蔑も入っていただろう。
気を取り直すようにふぅ、と一つ溜息をつき、アルゼは船を直す作業に戻る。
男の気配がふいに薄くなり、やっと諦めたか。アルゼがそう思った時。
「ねぇ……そんなこと、言わずにさぁ」
「……ッ!?」
アルゼの耳元に、甘ったるい声が響いた。小さな女の子が、親に人形をせがんでいる。そんな声。
驚いてそちらを見れば、男の顔がすぐ近くにあった。
「ハハハハ……ッ!! いいね、君。実に面白い。フフ」
なんだ、こいつ……。
急に幼児に返ったように笑う男を、アルゼはただ見ていることしか出来なかった。




