5.
「え……何、これ」
アルゼを取り囲む集団はすでに戦闘態勢に入り、剣を向ける人までいる。見たこともないような、黒い筒のようなものをこちらへ向けている者もいた。
よくよく服装を観察すれば、先ほど丘でエリエファと見た集団であることが見て取れた。
「手を挙げろ」
その中の一人が、静かに忠告するように言う。それらの人間は、周りの静かな空気に溶け込むように黙ったままアルゼを見据えていた。
それと同時に、アルゼの中になんとも言えない感覚が渦巻いた。が、言われるままに持っていた釣竿と壺を自分の足元に置き、両手を軽く掲げる。
「俺はそこの家の住人だ。別に怪しくねーよ? どっちかって言うとあんたらの方が怪しいんじゃないかな……なんて」
半分おどけたように、アルゼは呟いてみる。剣を向けられた辺りから激しく鳴り始めた心臓の音を、少しでも落ち着けられることを願ってのことだった。
しかし周囲の人間はそんな呟きでさえもうるさいと言うようにじりじりと輪を狭めつつ、逆に自分達でアルゼに向けた言葉を投げかける。
「貴様、持っているものを全て地面に置け」
声からして、最初に呼びかけてきた人とは違う人だろうか。たぶん男だろう、とアルゼが見当をつけたその人物は、少しずつアルゼににじり寄って来た。
「持ってる物って言われても……これとこれ、だけなんだけど」
アルゼは挙げた右手を軽く下ろし、地面に置かれた竿と壺を指差す。
第一俺は釣りに行ってただけなのに、これ以外に何を持ってるってんだ、と胸中で毒づきながら右手を元の上げた位置に戻した。
アルゼの手が頭上に戻ったこと――それを合図としたかのように、周囲を取り囲む男たちは「一人とはいい度胸だ」、「何故ここがわかった!?」などと一斉にアルゼに問いかけ始めた。
「え……」
アルゼが呆然と発したその声は、決して周囲の呼びかけの意味がわからなかったからではない。むしろその声には、気付いていなかった。
――その瞬間、アルゼは何の前触れもなく夢を見ていた。今まで感じたこともないようなリアルさで、臭いも感触も、全てにおいて生々しく、吐き気を催すような幻。
思わずその場に座り込み、掲げていた両手を口元にあてる。
じわり、と。包帯に包まれた左腕が、熱を増した。そんな気がした。
集団はアルゼが座り込んでしまったことを都合よく解釈し、一斉に蹲った影に飛びかかろうとした。
幻覚が過ぎた刹那の後、幻覚から覚醒したアルゼがハッと周囲を見回す。無意識に顔を覆っていた手の隙間から、剣を振りかぶる黒い装束が見えた。
焦って再び立ち上がろうと膝を立てるが、なす術もない。
恐怖とも言えるその幻を見た直後のアルゼは、とっさの判断すらままならなかった。
その瞬間の衝撃をほんの少しでも和らげるべく、きつく目を閉じた瞬間。
「――待て」
決して大きくはない。だが遠くまで届きそうな、澄んだ声が辺りに響いた。
アルゼを取り囲んでいた集団は、それだけでぴたりと動きを止める。まだ半分はアルゼを警戒しながらも、彼らは声の方角へ体ごと向き直る。
響きの良いその声に釣られるように、アルゼは恐る恐る目を開く。周囲を取り囲む集団のせいで、何が起こったか把握できない。
とにかく、彼らの注意は今、アルゼから逸れかけている。それを意識すると、それまで感じていた威圧感が軽くなったように思えた。思わず溜息が漏れる。
いつまでも地面に蹲っているのは、何だか腹が立つ。アルゼは立ち上がった。やけにうるさい心臓の音だけは、いまだ治まらない。
声の主がこちらに向かって踏み出したのだろう、家から零れた明かりが集団の向こうにちらつく。家の方角からアルゼに繋がる道が出来たかのようだった。
「お前たち、もういい。このじじいが言うには、そいつは孫らしいからな。それに、そんな軟弱そうで手負いの奴が本当に刺客だったとしても、私一人で勝てるさ。たとえ寝込みを襲われたとしてもな」
アルゼはその言葉に少なからず苛立ちを覚えた。
「はは、ひでー言い草……」
苛立ちは理性で押しとどめ、強い眩暈を堪えながら近づいてくる影に目を向ける。近づいてくる影は、家からの光で逆光となっている。アルゼは思わず目を細めたが、顔を識別するためにはあまりにも周囲が暗すぎた。
人影を見ているうちに、いよいよ激しくなろうとしていた心臓の音が急速に落ち着いていくのを感じた。そんなおかしな気分を味わいながら、アルゼは立ち上がり、影を待ち受ける。
ぼんやりとした影はそのままこちらへ近づき、次第にはっきりしていく。がさがさと乱暴な足音を鳴らし、立ち尽くすアルゼの目の前で止まった。
アルゼはムッとした表情は隠そうともせずに、相手を睨む。
「私は事実を言ったまで。言い草も何もあったものか」
足を止め、そう堂々と言い放った人影は、気づくとアルゼより身長もなくほっそりしていた。聞けば声も、凛とした中に涼しげな雰囲気と高さがある。
それに気づき、アルゼは思わず目を丸くした。台詞に気をとられ、声質を聞きそびれていた。
あの嫌味を言った声の主は、アルゼの年齢と変わらないような少女。肩口で切り揃えられた黒髪にごてごてした金の髪飾りをつけ、女にしては鋭い目にしっかりと化粧を施している。
一目で、あぁ、こいつは金持ちなんだ。とアルゼは理解した。
あんな嫌味を言った相手に、今更失礼も何もねーよな、と、アルゼはその少女に率直に疑問をぶつけた。
「でさ、あんたら誰?」
気づけば、その少女の後ろにはアルゼの祖父、町長ゾルドもいた。
アルゼを睨み付けるばかりで質問に答えようともしない少女の代わりに、彼が口を開く。
「お客様だ、アルゼ。今晩から数日、休養を兼ねて我が家に逗留なさるそうだ」
彼の生きた年月をそのまま渋さに変えたようなその声は、呆れているようにも聞こえる。
ゾルドが言い終わると同時に、少女がニィと口の端を吊り上げ、笑う。
「そうだ。こんな寂れた田舎町にこの私が逗留してやろうと言うのだ。ありがたく思え」
実際には少女はアルゼを見上げている。だがその口調は、まるで見下したような話し方だった。少女は右手を自らの胸に押し当て、背を反らす。
「お、お客? じーちゃん、なにもこんっな偉そうなの泊めなくたってさ……」
言いたいことを我慢できず、アルゼは”こんなの”と少女を指差しながら、祖父に嫌そうな顔を向ける。
「無礼者!」
少女は自分に向けられた指を叩き落とすと、逆にアルゼの眼前に人差し指を突きつけた。
「この私に向かって指を突きつけるとはいい度胸だ」
名前も知らない少女に、この私、などと言われても、アルゼには理解しがたい部分が多すぎた。アルゼは困ったように、何気なく右手で自分の髪をかき回す。
「貴様の部屋を借りた。貴様の私物は全て窓から投げておいたから、拾うなりそのまま雨ざらしにするなり好きにするんだな」
少女はフンと鼻先で笑うと、家への道を引き返して行く。もちろん、少女の家など、この町にはない。アルゼの、町長の家へと。
ふと気づけば、周囲を取り囲んでいた集団の姿はいつの間にか消えていた。
「……な、何……ッ!?」
アルゼが少女の言葉を完全に理解し得たのは、少女がすでに家の前まで辿り着いた頃だった。
キィ、と音をたてて玄関の扉を開け、アルゼをバカにしたようにちらりと一瞥すると、少女はまるで自分の家に帰ったかのように、それが当然であるように、極自然に家に入って行った。
「なんだってんだよ、こンのチビ助がぁ――ッ!!」
アルゼは思い切り、叫んだ。




