相互関係
翌朝からフェルは起き上がれるようになり、自分が出来る事をやっていこうと気持ちを切り替える。サナトスが用意した服は不思議と自分にぴったりと肌に馴染む。どうやってサイズを測ったのだろうかとフェルは首を傾げた。清潔そうな白いブラウスと 落ち着いたダークグリーンのロングフレアスカート。足元はブラウンのレースアップレザーブーツだ。履き心地も良い上質な素材を使っている気がする。
「……サナトスさん……先生はお金持ちなのだろうか?」
昨夜セシルが帰った後に診察台の奥に私室へ繋がる扉があることをフェルはサナトスから教わり、そこから客間をフェル用の部屋として貸してもらえることになった。他にも扉はあるが、実験室も兼ねてあるので不用意に開けてはいけないと強くサナトスから言い聞かされている。間違ってあけて命を損なっても助けてあげられるかはわからないよと脅し付きだ。
「昨日のように私を薬の実験台にするぐらいだから……本当にそうなのだろうな」
(本当に薬師なのだろうか)
疑問は多々あれど、確かにサナトスが調合した薬は良く効く。実体験で試したのだから文句の言いようがない。それによく天才肌の者は変人が多いと聞く。サナトスもその分類なのだろうとフェルは自分を納得させた。
「それに……どんな毒薬でもいい、追い詰めた奴らを殺す薬を手に入れることが出来たら」
助手として働いて得た知識を元に自分を守る武器として薬を扱うことが出来れば、一人でも生きていけるだろう。いつまでも誰かに世話になっていてはいけない。その人がまたいつ自分を裏切らなないとも限らないのだから。
「おはようございます」
昨日の場所は診察兼調剤場所で、つまりは客と対峙する場所だったと理解し、今日からは自分もそこで働くのだとフェルは意気込んで扉をあけた。
「おはよう。よく眠れたかい?」
笑顔で迎えたサナトスはすでに何かを調合し終わったようでいくつかの瓶を棚に戻していた。今日の装いは、インナーは深く開いた黒のVネック。襟元から覗く鎖骨が艶っぽくてフェルが視線を泳がすほどだ。下はアンクル丈のテーパードパンツに足元は素足に黒のローファーだ。ピンクのエプロンが何ともミスマッチだった。
「テーブルの上に昨日のパンの残りとミルクがあるよ。食べておしまい」
「ありがとう……ございます」
「そんなにかしこまらなくていいよ」
「……よろしくお願いします」
「はは。緊張しなくても、ここでの仕事の事はおいおい教えて行こう」
「はい。少しでも早く覚えてお手伝いできるようになります」
「ところでフェルが居た場所は表通りの北側なのだな」
「……はい、そうです」
位置的に貴族街がある場所だ。幼い頃からある程度の貴族の基礎教養は叩きこまれているのだろう。だが口調からして完全なる貴族らしさは身についていない。仕草も庶民的だし偉ぶったところはない。貧民者に対しての常識が足りないところも感じられる。であれば下級貴族であったのだろうとサナトスは思い至った。
「でも……父様が亡くなってからは転々としました。最初住んでいた場所は追い出されてしまって、小さな家に移り住みました。母様は働くことに慣れてなくて体を壊してしまって……私がもう少し力があればなんとかなったかもしれないのに……」
項垂れるように話すフェルは悔しそうに歯を食いしばる。母親が亡くなってからは残された小さな家に住みながら細々と暮らしていたのだという。
「それでも生き残ったんだ。フェルにはフェルの人生がある。君がしっかりとこれからの生きるすべを見つけることが喪った者達に対しての礼儀でもある」
「…………はい。わかってます」
「だが……どうやら厄介な事に巻き込まれてそうだな」
「え? どうしてわかるのです?」
「死の影が付き纏っているからな…」
「え! そうなんですか? どこに?」
フェルが青い顔して自分の身の周りをきょろきょろと見まわす。
「吾輩に言ってないことがあるだろう? 聞かせてもらおうかな」
「……っ……実はここに来たのは……」
昨日と違い、フェルはこれまでの事をいろいろとサナトスに話した。気を許したというよりは話すことによって今の自分が抱えているモノを減らして楽になりたかったからかもしれない。
「……なるほどな。それで自分は追われていると思うのだな」
「違うのですか?」
「違わないだろう。多分、フェル、君がしようとしていたことは相手にバレていたのだろう。それを逆手に取られたということだろうな」
「逆手にとは……どういう意味でしょう? ……まさか」
フェルが自分が考えている最悪なシナリオに思い当たった。
「フェルが忍び込んだ時にはすでに対象者は亡骸になっていたと考えたほうがいい。そのうえでそれを実行に移させたのは、君に罪を擦り付けてしまいたい者がいるからだろうな」
「…………やっぱり。私は罠に嵌められたのですね」
がっくりと肩を落としてフェルは椅子に座り込むと、自分の軽率な行動に対する反省と元凶なる相手を懲らしめてやりたいという気持ちがひしめき合う。
「小癪な真似をする相手だね」
サナトスの目が不穏な色に光る。様々な色が混ぜ合わさったような色だ。フェルの事で怒ってくれているのかもしれない。
「吾輩はね。非力にも必死に生きようと足搔く人間が好きなのだ。……君はもう以前の生活に未練はないかい?」
「……未練はないです。二度と過去にもどれるわけではないですから」
「その言葉を聞いて安心したよ。実はちょっと昨日のうちに君の体を少し弄っておいたんだ」
「え? 弄るってどういう……」
サナトスがにっこり笑って鏡を手渡して来た。渡された鏡を見て不思議に思う。
「あれ……? 私ってこんな顔立ちだった?」
栗色の髪に碧い瞳。すっとした鼻筋に二重の目の形。以前とは違う顔だとはわかるが、それまで自分がどんな顔立ちだったのかという事も、もう想い出せないでいた。
「……どうして? いつ。私に何かをしたのですか?」
「寝る前に吾輩が作った飲み物を飲んだであろう?」
確かに、寝つきが良くなると言われ、寝る直前に何かを飲まされたのを覚えている。あれは体の造りそのものを変えてしまうような危ない薬だったのか。副作用など身体に害はないのだろうか。……そこまで考えて、慌てて口をおさえる。今もパンを食べてミルクを飲んでしまったのだ。
「いやいや。今食べたのは普通の食べ物だよ。ただ、昨日の君の様子を見る限り、姿を変えておいた方が良いと思ったのさ」
「……っ……なっ……」
「このまま捕まれば敵の思うつぼだからね」
フェルは勝手に体を作り変えられた事に怒鳴りたくなるのをぐっと堪えた。自分はまだ一人で生きていけるほど強くはない。これから世話になるのならここは妥協しないといけない。なにより、サナトスはフェルのためにそうしてくれたのだ。つまりは少なからずもフェルを守ろうとしてくれている。だけど今後このような事を起こす前に自分に被害が及ばないようにしなくてはいけない。フェルはどう言えばサナトスにそれが伝わるか落ち着いて考えてみた。
サナトスは似合わないピンクのエプロンをはずし、仕立ての良いジャケットを羽織ろうとしている。このままどこかに行くのかもしれない。なし崩しに言われるままにするのはフェルの性には合わない。言いたいことは言わないといけない気がした。
「サナトスさん、私も昨日は気持ちが動転してて態度が悪かったです。でも、助手として私をここに置くと言ってくれたのだから、私は出来ることをしていきたいと思っています。それにはいくつか二人の間で決めておきたいことがあります!」
言われたサナトスは目を丸くしていた。助手のほうから取り決めしたいと言われるとは思わないではないか。通常は主従関係から主となるほうから取り決めをする。こういところがまだ常識しらずのフェルに、興味を引いたのかサナトスは向かいの椅子に座ると彼女を正面から見つめた。好奇心めいた顔をすると色気めいたイケおじらしさが消え、無邪気な少年のような目つきになる。
「面白いね。さあ言ってごらん」
「……はい。その、まず、今回は私の事を考えて、してくれた事なので私も外見が変わった事に関しては、これでいいと思うようにします。でも、今後からはもし、私の容姿を突然変更したり、内側を作り変えるような事をする前に、必ず私の意見を聞いて欲しいのです!」
「なるほど。吾輩が独断で決める前に相談してくれという事なのかい?」
「そうです! 貴方は腕の良い薬師かもしれませんが、私を実験台にしようともする人です。飲まされた薬が人体に対して悪いものなのかも知れないじゃないですか」
「君の身を損ねるような物は飲まさないよ?」
(嘘くさい! 誤った量を飲まされる事もあるかもしれないじゃないか!)
「それでもです! 人は信頼関係を大事にします。何も聞かされずに飲んでしまう事によって不安になって嫌いになってしまうのと納得の上でだとどちらの方が良いと思いますか?」
「ん~。やっぱり納得の上の方が良いのかな?」
「そうです。サナトスさんが望んでくれて僕をここに住まわせてくれるというのなら私もそれに応えるだけの仕事をするつもりです。長く共に居るためには信頼が必要だと思うのです!」
「そうなのか。人間とはそのように考えるのだな」
この人はやはり変人なのだなとフェルは思った。だから人外のような事を言うのだ。
「いやあ。君を助手にしてよかった! 吾輩の知識を君に授けるかわりに君には人としての考えや意見を言って欲しい。良い相互関係でいようではないか」
「はい。よろしくお願いします!」




