助手
こぽこぽと液体を瓶に注ぐ音が聞こえる。鼻歌交じりに作業をしているのは端正な横顔に似合わぬピンクのエプロンを付けた壮年の男だ。この男こそ、正体を隠して人間界の裏通りで怪しい薬師として調剤薬局を営んでいる元魔王のサナトスである。
石壁の部屋には薬棚が並んでいて、数々の薬草や薬瓶が並んでいた。その横でまるで調理でもするように楽しそうに薬作りをしている。
「今日の分の薬はこの程度で良いかな…」
作業の途中で何かに気付き、黒ぶちの眼鏡を少しずらして戸口を見る。
「お邪魔しますよ」
「やあ、セシルさん。ご機嫌よう」
やってきたのは近所に住むセシルだ。白髪の老婦人で、彼女は勝手知ったるようにそのまま中にはいると机の上に籠を置く。籠の中にはパンが入っているのが見える。
「小麦が手に入ったのでね、少し多めに焼いたんでお裾分けに持ってきたよ」
「そりゃ悪いね。気を使わせたんじゃないかな」
「先生にはいつも世話になっているからね。いつものお礼さね」
セシルは普段から腰の痛みに効く湿布を処方してもらっていた。そのお礼がわりにときどきこうして食べ物を運んでくる。
「ははは。そりゃありがたい。後でいただくよ」
「そのエプロンまだ使ってるんだねぇ。あたしのお古だし、そろそろ新しいのを買いなよ」
ピンクのエプロンは普段からハイセンスな衣装で薬作りをするサナトスのためにセシルが見かねて渡した物だった。高級そうな衣装が汚れてしまいそうで、見ている方がはらはらしてしまうからである。
「せっかく素敵なマドマアゼルに頂いたプレゼントなのに、買い替えるなんてもったいない。これは吾輩のお気に入りなのだよ」
「またそんな事言って、年寄りを揶揄うんじゃないよ」
「何を言うか、まだまだ若いではないか」
「もぉ、いやだよ、先生ったら……」
サナトスにしたら、たかだか数十年しか生きていない人間は若いとしか言いようがない。間違った事は言っていないのだ。
「ねえ、先生。またどこぞで行き倒れを拾ってきたのかい?」
部屋の隅に置かれている診察台のベットには少女が寝かされていた。
「まあね。可愛い子だったからさ。ちょっと面倒見ようかと思ってさ」
「あら、やだよ。まだ子供じゃないか。あたしの孫くらいかねえ」
「孫がいたのかい?」
「……生きていればの話だけどさ」
「そうかい」
サナトスはそれ以上尋ねなかった。相手が話さないのなら必要以上に聞くことはない。もちろんセシルもいうつもりはないのだろう。裏通りで生きているものにとって死は隣合わせだ。
「……ん……っ……」
診察台の上掛けがもぞもぞと動くと寝かされていた少女の目がゆっくりと開く。
「おや、気が付いたみたいだね」
「……ここは……?」
「無理に起き上がらない方がいい。君は路地裏で倒れたんだよ」
「な……? けほっ……けほ」
「まあ、その子の咳は嫌な音だねぇ」
セシルが眉を寄せるとサナトスがそうだねと事もなげに言う。少女の背にクッションを当て、状態を少し起こすと手にした瓶を彼女に渡す。
「さあ、この薬を飲んでご覧」
少女は警戒し、渡された瓶をじっと見つめる。訳もなく自分に優しくする者など信用できない。何か魂胆があるに違いない。もう騙されるのも、利用されるのも嫌だった。
「……私に毒を飲ますつもり?」
「まあ、なんてことを言うんだい! ここで薬を煎じてもらえる事がどれだけ贅沢なのかわかっているのかい? あんたお金は持っているの?」
「……だって……どうして私を助けるのか意味が分からない!」
サナトスは口元に手を当て、片眉をあげた。笑いたいのを我慢してるようにも見える。二人に聞こえないくらいの小声でぼそっと呟く。
「これだから人間は面白い……」
セシルが憤慨して、あれこれお説教をし始めた。
「いいかい。あんたはどっかのお嬢ちゃんだったのかもしれないけれど、ここに居るって事は今までの生活とは天と地ほど違いがあるんだよ!」
「それは……」
「ここに居るってことは帰る場所もないってことでしょ? あんたそんなんで生きていけるの?」
「けほ……っ……でも」
「助手が……欲しいのだよ。……見ての通り吾輩ひとりでここを切り盛りしているのでね、今から育てて優秀になりそうな人材を探していたのさ」
「……助手? ……私が?」
「助ける理由が聞きたかったのだろう?」
サナトスが首を傾けるとセシルがあらまあと表情を変える。
「まあまあ、なんだいそうだったのかい。先生がこの子を躾けるつもりだったんだねぇ。それなら仕方ないね」
「まずは薬を飲んで体調を整えてくれまいかね?」
サナトスは床に転がった薬瓶を再び少女の手に戻した。
「あの、でも……私……どこも悪いところなんて」
「自分で気づいていないところが危ないのだ。生まれつき特定の魔術や魔法に対して過剰に免疫反応が働く者がいる。また、許容量以上に流し込まれた相反する属性に対しても同じように反応するらしい。君はおそらく光属性の魔法を浴びすぎたのではないかな?」
「光属性の魔法? ……それは神殿の癒しの魔法のこと?」
「神殿で癒しの魔法とやらを扱っているのか?」
「はい……神の奇跡を施すと言ってました。貢物と交換に施術を受けることができたのです。私には体の弱い妹がいて、そのために毎週神殿に通っていました」
「そんなに頻繁に浴びるほうが体に負担をかけていただろうに」
「え? ……そんな……」
「だいたい神殿というものは見返りなく温情を与える場所じゃないのか? 吾輩の認識が古いのか?」
「先生、そんな都合の良い神殿なんてこの国にはありゃしないよ。何かを得るためには何かを犠牲にするか対価を渡さないといけないのさ」
「ほぉ。それではまるで魔物のようだね」
黒ぶち眼鏡の奥でサナトスの瞳がきらりと金色に光る。
「あはは。先生、あたしらにとったら魔物の方が親近感沸くわよ。正義を全面にだして綺麗ごとで片づけようって偉い人たちよりはよっぽど理解できる」
「……そうだね」
「だからあんたも早く薬を飲んで元気におなり」
「……これを飲むと元気になるのですか?」
少女はまだ躊躇していた。出会ってそんなにたっていない者の言う事を信じる気にはなれなくて、出来ればすぐにでもこの場から逃げ出したい。
「どれ、吾輩が一口飲んでやろう」
そんな少女の心を見透かすようにサナトスは少女の手から瓶を取り上げ、きゅぽんと蓋をあけると一口飲んでみせた。
「んむ。少し苦いが、効能は良く効くはずだ。ほら、飲んでみろ」
「……わかりました」
そこまでサナトスがして見せたのに飲まないわけにはいかないと少女は鼻をつまんで一気に飲み干した。
「にっがーい!」
「くくく。だから苦いと言っただろうが」
「少しって言ってました。少しじゃないじゃないですか!」
「ふぁははは。大きな声が出せるようになったな」
「はぁ? ……でも、息苦しくなくなったのかも?」
「そうか。よし調合は良い組み合わせだったようだな」
「……え? まさかおじさん私で薬を試したの?」
「まあ、あんた、これから面倒を見てもらう人に対してその言い方はよしなさいよ。この人はこの薬局の薬師さんなんだから先生ってお呼びなさいよ……」
「先生って……どっちにしても私で薬の分量を試したのでしょ?」
「なかなか感が良い子供じゃのぉ。これは楽しみだ」
「おやまあ本当だねえ。良い人材を見つけたかも」
「良くないです!」
少女が叫ぶと、ぐぅーとお腹の音が鳴った。今朝から何も食べていないのを思い出すと、恥ずかしさのあまり少女の頬は真っ赤になる。ニマニマとにやけながらサナトスは少女に籠の中のパンを差し出す。
「ほれ、実験台にした詫びの対価じゃ。食うといい」
「…………はい」
おずおずと籠からパンを一つ掴むともぐもぐと無言で食べ終わる。
「食べてくれたのね。それあたしが焼いたのよ」
「……美味しかったです。ありがとう」
「あら。意外に素直なところもあるじゃないの」
「礼が言えるなら大したもんだ。君名前は何という?」
「……私の名前はフェル……」
「そうかフェル。吾輩はサナトスだ。よろしくな」
*セシル婆さんはサナトスの事を人間じゃないと薄々気付いてます。




