迷子防止
「魔草の本はこの棚あたりかな?」
「ここですか……なんて書いてあるのでしょう?」
フェルが棚の一冊をとろうとして困惑気味に声をあげた。背表紙の題名が読めないのだ。
「ああそうか……ここにはいろんな言語が集約しているからね」
「そうなのですか? 他国の本も置いてあるなんて膨大な数になるのでしょうね」
「そうだね。人語だけじゃなく魔族の本もあるし、妖精や精霊の本もあるしね」
「それは私には残念ながら読めないですね」
「どれ、君にも読めるようにしてあげよう」
「え? どうするんですか?」
サナトスがくすりと笑うとフェルと向き合う姿勢になる。
「目を閉じてごらん」
「はい? こうですか?」
チュッチュッと音をたててサナトスがフェルの瞳の上にキスを落とす。
「ひゃあ。お、女の子にいきなりキスをしてはダメなのです」
フェルが両手で顔を覆い隠す。くくくといたずらっぽいサナトスの笑い声が聞こえる。
「開眼させただけだよ。これでどんな文字でも読めるようになる。それとも唇の上の方が良かったかな?」
「揶揄わないでください!」
フェルがポカポカとサナトスの胸板を叩く。サナトスは均整のとれた筋肉質な体だった。フェルの攻撃をくすぐったそうに、ダメージなく受けとめていた。
「ははは。吾輩の助手はいつも元気でいいなぁ」
「……仕方ありませんね。読解力をつけてもらったので、目の上のキスくらいは許しましょう」
叩き疲れたフェルが手を引いた。
「それはそれは。寛容なお言葉ありがとうございます。くくく」
仰々しく胸に手を当ててサナトスがお辞儀をする。
ところどころに本が読めるテーブルとソファーが置いてある。特にソファーは座ると体全体を包み込むようで何時間でも集中して座ってられそうだった。フェルが最初の一冊を手に取って座る。
「お茶をどうぞ」
「ありがとうございます……?」
サナトスが執事のようにティーカップを丸テーブルに置いた。フェルはじっとカップを見る。サナトスが作るお茶は体に良いが苦いのだ。
「そんなに警戒しなくてもこれは普通のオレンジティーだよ」
「くんくん。……良い香りです。本当にオレンジですか? 健康茶ではないですよね?」
フェルが疑いながらカップに口をつけると口の中が、爽やかな柑橘の香りと紅茶のすっきりした渋みが調和した、甘酸っぱい後味がすっきりとしたお茶だった。
(苦くもないし、本物のオレンジだわ)
「……美味しいです」
「柑橘の香りに含まれる成分により、ゆったりとした気分で本が読めるようになるのさ」
「いつもの苦いお茶かと疑ってごめんなさい」
「フェルはいいね。ちゃんと謝ることができる。良い子だ」
サナトスがフェルの頭をよしよしと撫でる。撫でられると子供扱いされてるようだが、悪い気はしなかった。
「そうだフェル。これを渡しておくよ」
サナトスが丸テーブルの上に長方形の箱を置く。フェルがあけると中には綺麗な石のついたペンダントが入っていた。深い藍色の六角柱の石は海の底のように美しい。石の上部にはルーン文字が刻まれた銀の金具が取付られておりその先には細い銀のチェーンがつながっている。
「これは追跡機能つきの魔道具さ。迷子防止のためにつけておいてくれないかい?」
「魔道具ですか? 始めて見ました。……売ればお高そうです」
「いや、売らないでくれ。吾輩が生み出した結晶から作成した……フェルのために作ったものだ」
「私のために一から作ったというのですか?」
(そんな。私は手に職がついたら、ここから離れて一人で生きて行こうと思っているのに)
「嬉しいです。嬉しいけどそんな手をかけてもらった物をもらうなんて……気が重い……」
「遠慮はしなくていいよ。吾輩が好きでやったことだから。せめて手に取ってみてくれないか」
サナトスの誘惑に負けたようにペンダントを手に取るとキラリと光る。深い海の底を覗き込んだような感覚に陥り、何故だかこれは私のものだとフェルは思えた。
「うむ。石が君を主と認めたね」
「へ? ……それはいったい……。師匠また何かしたのですね!」
「言っただろう、迷子防止用だと。ペンダントが君を守るべき者だと理解しただけだよ。必ず帰るべき場所に返してくれるよ」
「ぐぬぬぅ……なんだか騙された気分ですぅ」
「つけてあげよう。もっと側においで」
「いえ、自分でつけれまふ」
サナトスがフェルの隣に座る。さっきの不意打ちの目の上のキスのこともありフェルは身構えた。
「これはね。吾輩がつける事によって、吾輩の元に帰るという魔法契約が結ばれるのだよ。だから大人しくつけさせておくれ」
「……そういうことでしたら、仕方ありません」
「うん。髪の毛を持ち上げてうなじを見せてくれないか」
耳元でサナトスの低音が響く。やけに心臓の音がドキドキと聞こえる。言われるままに髪を持ち上げると、サナトスの腕がフェルの首元に回る。息がかかるほどの距離にサナトスの顔がある。
(ち、近い近い、顔が近くにありすぎる。首に吐息がかかってる!)
カチリッと音がすると同時に背中側で何かが光った。
「このチェーンもね、細く見えるけれどミスリル素材で作ってあるんだよ。多少の事では切れたりしないからね」
「ミスリルって? なんだかすごく貴重な素材のような気がするのですが……」
「ふふふ。そうかもね」
「いやいやいや。師匠。なんでそんな頑丈な魔道具を私なんかに……」
「フェルだからだよ。君は吾輩の大切な助手だからね」
「か、過保護にしないでくだひゃい……」
ものすごく貴重なものをもらってしまったのだとフェルは青ざめた。
「だって人間はか弱いからね」




