14話 青井加奈の場合1
青井加奈は、その日、兄と喧嘩して家を飛び出した。
本当にささいなことが原因で、今となってはまったく思い出せない。
とにかく家に帰りたくなくて、だんだんと茜色に染まる道を歩いて河川敷にたどり着いた。
加奈の家の近くの河川敷は遊歩道が整備されていて、今は緑の葉っぱが生い茂る木々が桜の花を咲かせる頃は花見客で賑わう。
とぼとぼ遊歩道を歩きながら、加奈は悲しくなってきた。
川のすぐ近くまで降りられる階段に腰を下ろし、顔を伏せようとした。
「あれ……?」
草が生い茂る中に、うずくまっている人の姿が見えた。
自分よりも小さな子供だった。
加奈は慌ててその子供に近寄る。
「どうしたの? おなか痛い?」
声をかけると、ゆるゆると子供が顔をあげる。ずいぶんと細い。
生気のない顔で、子供はぼーっとしていた。
「私は青井加奈だよ。お名前、言える?」
「うめだ、りゅうま……」
その瞬間、加奈は頭の中に記憶が溢れた。
乙女ゲーム、攻略対象、不良、うめだりゅうま……梅田琉馬。
ゲームで彼は家庭環境が悪くてグレた不良、と人物紹介に書かれていた。
加奈は琉馬がふとした瞬間に見せる寂しげな顔や、動物に優しいところなどのギャップにハートの矢が刺さったタイプだった。
その琉馬の白に近い銀髪にピンクの混じった赤い瞳。それらは、ゲーム画面で見た色彩と同じだった。
年齢を聞くと、一つ下だった。ゲームの主人公は同い年だ。加奈は自分が主人公ではないのだと悟った。
恐る恐る小学校の名前を聞いてみる。加奈の様子に首を傾げながら、加奈が通っている小学校の名前を告げられた。
「おなかすいた……」
ぐうぅー、とお腹が鳴るのが聞こえた。
加奈は公園に持っていったおやつの残りを差し出した。
奪うように琉馬が食べるのを見ながら、アレルギーの確認をしなかったことを思い出した。慌てて確認すると、アレルギーはないと答えられた。
「もう、ない」
そんなに量がなかったので、すぐに食べ終えてしまったようだ。
加奈のカバンを物欲しそうに見ている。
「ご飯食べてないの?」
「お母さん、帰ってないから……」
まだ夕方なので、長時間働く親ならまだ帰ってこないこともあるだろう。それでも、こんなにお腹を空かせているのは気になった。
「今日、給食食べなかったの?」
「……とられた」
聞けば、意地悪なクラスメイトにおかずやパンを奪われたらしい。教師は何をやっているのか。
「せんせ、忙しいから……」
意地悪をしてくるのは、クラスの中でも一番大きい男子だそうだ。そして、たびたび問題を起こすうちの一人……つまり琉馬のクラスには何人もの問題児がいるのだ。
先生一人では対応しきれないのかもしれない。
三年生とは思えないほど小柄な琉馬では、抵抗するのも難しいだろう。
加奈は目の前の琉馬を見た。彼は、加奈の最推しだった。
やさぐれてしまった彼は、高校生になった時に主人公と出会い救われる。
……五年以上もある。
今、加奈が手出しすることは、果たして正しいのか?
「かな?」
小学生にしては幼い様子で、琉馬が呼ぶ。
このまま放っておいたら、彼はずっと苦しいまま。
——無理。無理無理の、無理。
加奈は琉馬の手を取った。
「うちのお母さん、保護猫活動してるから。きっと大丈夫」
よくわからない根拠で自分を励ます。猫と人間は違う。
それでも、今世の母親は彼を見捨てない気がした。
「加奈! 猫と人間は違うのよ?!」
帰って事情を話したら、当然怒られた。
「ちゃんと最後まで責任持つから!」
「そういうことじゃないの!!」
それでも、加奈が琉馬から聞いた、母親が夜八時まで帰ってこないという話を聞いてため息をついた。
「もう、今日はとりあえずご飯食べていきなさい。その後、おうちまで送るわ」
その後、どうせ遅くまで帰ってこないのなら、と琉馬は仕事から帰ってきた加奈の父親と一緒にお風呂に入れられていた。
お風呂から出た父親がこそこそと母親に話しかけている。
もしかしたら、ケガの有無などを確認していたのかもしれない。
この日は結局晩御飯を食べて、少ししてから母親が車で送っていった。
子供の身では、親に頼るしかできない。加奈は、役に立たない自分が悲しかった。
翌朝、珍しく母親に電話がかかってきた。
母親はすぐに別の部屋に行ってしまったので、どんな電話かはわからない。
電話が終わった母親に、「今日は寄り道せず帰ってくること!」と厳命され、よくわからないが素直に返事をした。
家に帰ったら母親と共に河川敷に行く道を歩く。スーパーに行くのかと思ったけど、いつもと道が違う。
少しして、古ぼけたアパートの前に到着した。家からは徒歩五分の場所だ。
母親はその一室のインターホンを押した。
「かな!」
勢いよく、扉が開く。出てきたのは琉馬だった。そのまま加奈に抱きつく。
加奈が驚きで言葉を発せないでいるうちに、奥から女性も出てきた。
げっそりとやせ細っていた。
「青井さん……、本当にいいんですか?」
女性は琉馬の母親だった。
挨拶もそこそこに、加奈の母親になにかを問いかけている。
「いえいえ、こちらこそ娘がわがまま言っちゃってごめんなさいねー。うちも助かるから、気にしないで!」
訳がわからず二人を見ていると、抱きついたままの琉馬が「手紙、もらった」と言った。
手紙には、琉馬の母親の仕事がある日に、うちで預かりたい、と書いてあったそうだ。娘が琉馬のことが大好きで一緒にいたいとわがままを言っていると。
「かな、オレのこと好き?」
お母さんめ……! 加奈は内心憤った。手紙に加奈を言い訳に使うまでは、いい。加奈が持ち込んだ面倒事だ。
しかし、理由に大好きだからなどと書かなくてもいいではないか。
面と向かって聞かれて、とても恥ずかしい。
「うん、好き」
それでも、なぜかキラキラした目で見ている琉馬に対して、「そうじゃない」ということはできなかった。
「琉馬、うちで遊ぶの?」
「明日からね。今日は琉馬くんママお休みだって。だから今日は挨拶だけ」
明日は加奈が琉馬を家に連れ帰ることになった。加奈の家で宿題もやり、遊んでご飯と入浴を済ましてから帰るのだという。
「いっぱい遊べる」
にこ、と初めて琉馬が笑った。かわいらしい笑顔に、加奈は思わず頭を撫でた。




