11話 黒田寧々の場合2
さらに二年が経った。
近くで見る一博は、設定通りのとても良い子だった。
寧々は、前世で小学生だった頃の自分を思い出し、ますます一博への尊敬の念が強くなった。
「黒田さん、手伝うよ」
先生に頼まれて荷物を運んでいたら、一博が手伝いを申し出てくれた。ありがたい。寧々の腕はすでにキャパオーバーでぷるぷる震えているところだった。
「一博くん、ありがとう」
心の中で狂喜乱舞しつつ、穏やかにお礼を言う。一博が荷物を半分以上持ってくれて、腕の震えが収まった。
二人で学年準備室に向かう。一博の背は寧々と同じくらいなのに、半分以上持ってくれた荷物を運ぶ腕は震えていない。
こんな時期から男女差は現れるのか……と寧々は感慨にふけった。
一博がよく声をかけてくれるようになってしばらくした頃、どうして仲良くしてくれるのか聞いたことがある。
自分のことを遠くから見ている女の子が気になったそうだ。
なぜ声もかけずに見ているだけだったのか、いつか聞こうと思っていたそうだ。
なんと、バレていた。
ちゃんとストーカー予備軍として認識されてた。
それなのに、気持ち悪がらず仲良くしてくれる一博は神だと思った。
※
ある日、公園で遊んだ帰りに遠回りをして、河川敷を歩いた。
遠くにベンチに座る一博を見つけ、心の中で喜びの舞を踊りながら、声をかける。
弾かれたように顔を上げた一博の目には涙が溜まっていた。
「……なにかあったの?」
一博は何も言わず、うつむいた。
寧々はその様子を見て、隣に座る。ハンカチを差し出したら、素直に受け取ってくれた。
「言いたくなかったら、言わなくていいからね。帰る時間まではここにいるから」
誰でも言いたくないことの一つや二つ、あるものだ。ただ、一博の涙が止まるまで側にいたかった。
川の水音、木のざわめき。時折通る自転車の走行音。
さまざまな音が聞こえてくる。
リアルだなぁ、と寧々は思った。記憶が戻ってから、寧々は今の生活を長い夢を見ている最中のような心地がしていた。
頬を引っ張ると痛くて、夢ではないのだとわかってはいる。
それでも、前世の感覚が強くなっている今は、どうしても現実が薄く感じられる。
空に茜色が混じり始める頃、ぽつりと一博がこぼした。
「黒田さん、ありがとう」
寧々は自然に笑顔になった。そばにいるだけだったが、少し気が紛れたのならよかった。
「私、そろそろ帰るね。また明日」
軽く手を挙げて、別れを告げる。
「また、明日」
一博のはにかんだ笑顔が、寧々にとって最高のご褒美だった。
※
河川敷での出来事から、少しずつ一博と過ごす時間が多くなった。
「僕、お父さんの会社を継ぎなさいって言われるけど、本当はお母さんの会社を手伝いたい……」
そう話してくれたのは、河川敷のベンチに座っている時だった。
遊んだ帰りにまた偶然一博の姿を見かけて、声をかけたのだ。
「お母さんの会社?」
「うん。雑貨を作っている会社なんだけど……」
ゲームで一博の父親が大企業の社長だと知っていた。寧々の通っている小学校の保護者で桜庭商事に勤めている人は多い。けれど、母親が会社を経営している情報は知らなかった。
「弟はお父さんの会社の方が好きみたい。でも、僕だけお父さんの会社もらうのはずるいって言われる……」
弟は小学校三年生だそうだ。まだ跡取りとかそういうことはわからないのかもしれない。
そう慰めたら、一博よりも頭が良くて、すでに中学校の範囲の勉強をしていると聞いた。
学力と精神年齢は比例するものではないけど「すごいね」と驚いたら、なぜか一博が得意げな顔をした。弟が自慢なのだそうだ。
だからこそ、父親の会社の件でギスギスするのが悲しい、と一博はもらした。
寧々が知っているゲームの中の一博は跡取り息子としてさまざまな努力を重ねていた。
弟との確執はゲーム内でも出てくる。弟の策略にはまらないよう主人公が関わるイベントもあった。
あのイベントは確か、弟は敗退したあと、家からも去っていったはずだ。
寧々は当時、高校生なのに要素詰め込みすぎでしょ、と呆れただけだった。しかし、一博が弟のことが好きだったという事実を考えると、これから起こる事件は相当辛いものに違いない。
推しには笑顔でいてほしい。
辛いことが起こるとわかっていて、傍観する気にはなれない。
一博の未来は決められていて、彼は実直にそれを目指して努力を重ねていた。
寧々はその姿を一博自身が望んでいたことだと思い込んでいた。
——ゲームの中の彼がそうだったから。
でも違うのだ。あの姿は諦めた後の姿。だって今目の前にいる一博は悲しんでいる。
「桜庭くん、プレゼンしよ!」
「プレゼン?」
「そう! なんでお母さんの会社を手伝いたいのか、お父さんの会社を弟くんが継ぐメリット。そのために桜庭くんが何を努力して、それによってどんな未来があるのか。
お父さんたちに話して、理解してもらうの」
一博の目が、まんまるに開いていた。
「もちろん、夢の話ばかりじゃなくて、現実的な話も考えなきゃね。例えば、高校卒業までに、桜庭くんが必要な勉強や知識を身に付けられなかったら諦める、とか。これはちゃんと調べて具体的にしないと。
大人を説得するには、大人の土俵に踏み込まなきゃね」
「そんなこと、考えたこともなかった。周りは、僕が会社を継ぐのが当然だって話してたから……」
それはそうだ。大人たちが口々に一博を跡取りだといえば、子供はそう思うだろう。変えられるものではないと。
でも、寧々には姉の例がある。父の会社に興味がない兄と、継ぐ気満々の姉。
簡単ではない。
それでも、一石を投じる価値はある。
「私も桜庭くんを手伝う。
桜庭くんが、全力を出せるように。後悔しないように」
寧々は前世の知識を最大限、一博のために役立てようと思った。
仕事で覚えたプレゼン資料の作り方、人を惹きつける方法。
前世が営業職でよかったと、初めて思った。お客様と製造部門との板挟みで、唯一のストレス発散が乙女ゲームだった寧々にとって、しばらく使わない知識だと思っていたから。
「ありがとう、僕と一緒に頑張ってくれる?」
「もちろん!」
二人はそれから弟も巻き込んで、大人を説得する資料を準備した。寧々は前世で作った資料の組み立て方を思い出しながら、どうしたら大人が納得するような資料が作れるのか、門限ギリギリまで一博たちと悩んだ。
資料が完成してからも、発声や間のとり方など練習を重ねた。
そして、ようやく準備が整ったのだ。
一博の計画実行の翌日、寧々は一日中ソワソワしながら報告を待っていた。
「落ち着いて話したいから、放課後に河川敷で待ち合わせしよう」
前日にそう一博と約束をしていた。それでも落ち着かないものは落ち着かない。
その日のテストは解答欄を一つずつずらして書いたのをあと五分というところで気づき、ヒイヒイ言いながら直す羽目になった。
河川敷のベンチにはすでに一博が座っていた。
寧々は一博の表情が明るいのに気づき、近づく足取りが軽くなった。
「とりあえず、僕の大学進学までは待ってくれるって」
弟も巻き込んだプレゼンは、大学を決める時期までの猶予を勝ち取った。
それまでに一博と弟は大人が求める基準をクリアしなければならないが、きっとこの兄弟なら大丈夫だろう。
共通の目標を見つけた二人は、不仲だったのが嘘のように仲良くなっていた。
「黒田さん、これからも僕と一緒にいてくれる?」
「もちろん。桜庭くんの隣で一緒に頑張る!
一緒に頑張る人が多ければ、もっともっと頑張れるもんね!」
寧々は力強く頷いた。推しの隣で応援できるなんて、最高の特等席だ。
一博の笑顔が眩しかった。




