7
あの劇的な「断頭台の喜劇」から、早いもので二週間が経過した。
秋の澄み渡る空からは心地よい冷気が舞い降り、ヴァルハイト公爵邸の広大な庭園には、見事に咲き誇る深紅の薔薇が優雅な香りを漂わせている。
私は庭園を見渡せるバルコニーの特等席で、アンが淹れてくれた最高級のアッサムティーを嗜みながら、毎朝の日課である『ある報告書』に目を通していた。
「お嬢様、本日分の『北方鉱山だより』と『王都環境美化日誌』が届いておりますわ」
アンがクスクスと嬉しそうな笑いを噛み殺しながら、上質な銀のトレイに乗せた二通の皮皮紙を差し出してきた。
「ごくろうさま、アン。今日の朝食の最高のスパイスになりそうですわね」
私は優雅にバタートーストを一口かじり、まずは『北方鉱山だより』を開いた。
これは、ヴァルハイト家が所有する北方の極寒の採掘場から、現地の監督官が毎週送ってくる定期報告書である。
そこには、極めて興味深い記録がびっしりと書かれていた。
『――元第一王子エドアルド氏、および元側近ルーク氏、ガルド氏の近況報告。
本日も気温はマイナス五度。極寒の中、三人には規定通り粗末なツルハシを与え、一日あたり五トンの鉄鉱石の採掘ノルマを課しました。
元殿下は開始三分で『手が冷たい!指の感覚がない!俺は王子だぞ!』と大泣きし、ツルハシを放り出しましたため、規定通り昼食抜きの上、冷水のバケツ一杯を頭から頂戴いたしました。
元側近のルーク氏は眼鏡が氷結して足元が見えず、自分で掘った穴に落ちて足首を捻挫。ガルド氏は『筋肉が落ちる!プロテインをくれ!』と叫びながら鉱石を素手で割ろうとし、拳を痛めて転がっております。
本日の三人の合計採掘量:四十五キログラム(目標の百割分の一)。よって本日の夕食は固いパン一切れと泥水のようなスープのみといたしました』
「あらあら、まあまあ。三人揃って目標達成率一パーセント未満とは、相変わらず計算能力と体力が壊滅的ですこと。ヴァルハイト家の事業所でそのような生産性の低い労働者を養うのは、甚だ遺憾でございますわね」
私は満足げに目を細め、紅茶を一口啜った。
追加命令として『明日からはノルマが未達成の場合、夜の暖炉の薪を一本ずつ減らすように』と朱書きで指示を書き加える。寒さは人を成長させる最高の調味料だ。彼らも少しは忍耐というものを学ぶといい。
続いて、二通目の『王都環境美化日誌』を開く。
こちらは、王都の下水道および路地裏の清掃を担当する衛生局からの報告書だ。
『――元男爵令嬢マリアンヌ氏の近況報告。
本日も早朝四時より、王都一番の激臭を誇る魚市場裏のドブ浚い作業に従事させました。
マリアンヌ氏は『爪が割れる!ドレスが臭くなる!私を誰だと思っているの、悲劇のヒロインよ!?』と叫びながらドブに足をとられ、頭からドブ川へ落水。
周囲の市場の商人たちから『おいおい、ドブにドブネズミが落ちたぞ!』と大爆笑を買っておりました。
なお、本人が持ち込んでいた目薬は『作業の邪魔』として没収いたしましたので、現在は本物の悔し涙と鼻水で顔面をぐしゃぐしゃにしながら、竹ほうきを振るっております』
「ふふっ……あはははは!」
私は思わず、上品に口元をハンカチで覆いながら高らかに笑ってしまった。
「素晴らしいわ、アン!目薬なしで流す本物の涙……!彼女もようやく、大根役者から脱却してリアリティのある演技ができるようになったみたいですわね!」
「ええ、お嬢様!市場の皆様も『毎朝の最高の見せ物だ』と大変喜んでおられるそうでございます!」
アンも誇らしげに胸を張る。
ちなみに、あの舞踏会での「真紅のドレスで断頭台に上り、鮮やかに自爆を誘発させた悪役令嬢」としての私の評判は、王都で留まることを知らなかった。
今や市民の間では『レティシア様=絶対的カリスマ=勝利の女神』として神格化され、王都の婦人たちの間では「レティシア様モデルの真っ赤なドレス」が大流行。さらには、おもちゃ屋で「組み立て式・ギロチン崩壊セット」なる玩具まで爆発的に売れているらしい。
(あら、私の商魂たくましい父上が、その玩具の特許と製造権をちゃっかり押さえているあたり、さすがヴァルハイト公爵家と言ったところかしらね)
完璧な朝のひとときを満喫していると、バルコニーの扉が開き、重厚な足音が響いた。
我が父、アルベルト・フォン・ヴァルハイト公爵である。
「レティシア、朝の寛ぎの時間を邪魔してすまないな」
「いいえ、父上。ちょうど素晴らしい報告書を読み終えたところでございますわ」
父上は私の向かいの席に腰を下ろすと、アンが淹れたコーヒーを一口飲み、少しだけ難しい顔をした。
「……王宮から、正式な参内要請が届いた」
「まあ。病床から復帰された国王陛下からでございますか?」
「ああ。エドアルドの廃嫡と処罰により、王家の権威は失墜し、財政は我がヴァルハイト家の融資凍結によって完全に停止している。陛下は平身低頭で我が家への謝罪と、融資の再開を乞うておられる。そして……」
父上は一瞬、言葉を区切ると、私をじっと見つめた。
「お前との『新たな婚約』を打診してきた」
「まあ?」
私は片方の眉を軽く上げた。
「新たな婚約?殿下……いいえ、あの愚か者エドアルドには、もう弟もいなかったはずですが?ルークス王家の第一王子は廃嫡され、王位継承権を持つ男子は絶えたのではなくて?」
そう、第一王子エドアルドは一人っ子のはずだった。
だからこそ、彼は「自分以外に王位を継ぐ者はいない」と高を括り、あのような傲慢な暴挙に出たのだ。
「表向きはな」
父上は冷ややかな笑みを浮かべた。
「十五年前、王妃様が亡くなられた直後、病弱を理由に離宮へ隠棲させられ、公式の場に一切姿を現さなくなった『第二王子』が存在するのをご覚悟か?」
「……第二王子?噂に聞いたことはございますわ。幼少期から体が弱く、一月のうち二十日は床に伏せっているという、影の薄いあのお方……シルヴァン・フォン・ルークス殿下ですわね?」
「そうだ。陛下は、そのシルヴァン殿下を正式に立太子させ、新たな第一王子として王位を継がせると仰っている。そして、崩壊寸前の王家を立て直すため、お前にシルヴァン殿下との婚約を求めておられるのだ」
私は顎に手を当て、深く思考を巡らせた。
病弱な第二王子、シルヴァン。
社交界には一度も顔を出さず、存在感すら希薄だった男。
だが……待ってほしい。
あの愚か者エドアルドが卒業舞踏会で暴走し、自爆し、廃嫡されるまでの完璧すぎる流れ。
国王陛下が絶妙なタイミングで病から回復し、暗部を使ってマリアンヌの調査結果を完璧に揃えて登場したタイミング。
それらがあまりにも手際が良すぎはしなかっただろうか?
まるで、裏で誰かが糸を引いて、エドアルドを踊らせ、最悪のタイミングでハシゴを外したかのような……。
「……父上。そのシルヴァン殿下、本当に『病弱で大人しい王子様』なのかしら?」
私の問いに、父上はニヤリと悪魔のような笑みを浮かべた。
「ククク……さすがは私の娘だ。見抜きおったか。……王宮へ行けば分からあ。レティシア、最高のドレスを着て参れ。今度の相手は、あのバカ王子とは比べ物にならん『怪物』かもしれんぞ」
「まあ、最高ですわ!」
「アン!すぐに準備を!本日は……そうですね、黒とゴールドをあしらった、最高に尊大で高貴なドレスにいたしましょう!」
「かしこまりました、お嬢様!」
──
数時間後。
私は父上とともに、絢爛豪華な王宮の謁見の間へと足を踏み入れていた。
かつて卒業舞踏会で私を糾弾しようとしたあの忌々しい大広間を通り抜け、最奥にある国王の部屋へ。
両脇に並ぶ王宮伯爵や大臣たちは、私と父上が通り過ぎるたびに、まるで猛獣の檻の前を通るかのように身を縮こまらせ、冷や汗を流している。
「ヴァルハイト公爵閣下、ならびにレティシア令嬢、お入りください!」
重厚な扉が開かれる。
謁見の間の中央には、玉座に座る国王陛下。
そしてその傍らに、一人の青年が立っていた。
青年の姿を見た瞬間、私は心の中で「ほう」と感嘆の声を上げた。
真っ白なシルクの礼服に身を包んだ青年。
透き通るような白銀の髪に、繊細なガラス細工を思わせる儚げで美しい顔立ち。細身の体躯は、今にも秋風に吹き飛ばされてしまいそうなほど華奢で、長くて長い睫毛が影を落とす瞳は、深海のような蒼色をしていた。
彼こそが、第二王子シルヴァン・フォン・ルークス。




