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アンはポカンと口を開け、私を見つめた。私の瞳に宿る、揺るぎない絶対的な自信と、かすかな狂気の光を感じ取ったのだろう。彼女はゴクリと唾を飲み込むと、着ていた大きなマントの陰から、ズッシリと重い革のバッグを取り出した。
「……お嬢様の仰ることなら、私は信じます。これ……頼まれていた例のものをお持ちしました」
「まあ!届けてくれたのね、ありがとうアン!」
バッグの中から現れたのは、眩いばかりの光沢を放つ、真っ赤なシルクのドレスだった。
血のように濃く、バラのように気品ある赤。胸元には黒いレースが施され、スカートの裾には大胆なスリットが入っている。さらに、それに合わせた漆黒のヒールと、一筋の狂気を引き立てる深い赤のリップスティック。
「『断頭台に昇るなら、最高の衣装でなければ』……とおっしゃっていたので、お部屋から一番派手なドレスを選んできました」
「完璧よ、アン!素晴らしいセンスだわ!明日、私の首が跳ねられる(予定の)瞬間に、この赤がどれほど舞台映えすることか!」
「お嬢様……その例えはちょっと怖いです……」
アンが引きつった顔で笑う。ちょうどその時、廊下の奥からハンスの焦った声が聞こえてきた。
「アンさん!もう時間だ!誰か来るぞ!」
「それじゃあアン、明日、会場でね。一番前で応援していて頂戴」
「はい……!お命だけは、どうかお大事に……!」
アンは何度も振り返りながら、闇の中へと消えていった。
ドレスを大切に抱きしめ、私は牢の壁に背をもたれた。
窓もない地下牢のわずかな隙間から、東の空が白み始めているのがわかる。
朝が来る。
愚か者たちの、終焉の朝が。
◇◇◇
翌朝。
王都の中央広場は、未だかつてないほどの異様な熱気に包まれていた。
「おい、聞いたか?今日、あのヴァルハイト公爵家のレティシア様が処刑されるらしいぞ!」
「嘘だろ!?レティシア様といえば、貧民街に孤児院を建ててくれたり、減税の嘆願書を書いてくれたりした、天女のようなお方じゃないか!」
「なんでも、第一王子が新しい愛人にたぶらかされて、濡れ衣を着せたらしい」
「ふざけるな!そんなバカ王子の思い通りにさせてたまるか!」
広場に集まった数千人の市民たちは、悲しみと激しい怒りに震えていた。
彼らが目にしたのは、広場の中央に突如として建設された、異様に不格好な木製の台座。その上に鎮座するのは、五十年間使われていなかったはずの、禍々しい刃を備えた断頭台であった。
突貫工事で作られたためか、木材の角は削られておらず、刃は少し斜めに傾いている。誰が見ても急ごしらえの、粗末な処刑台だ。
処刑台の脇には、豪華な天幕が張られた観覧席が設けられていた。
そこには、睡眠不足で目に深刻なクマをつくったエドアルド殿下と、怯えたように彼にしがみつくマリアンヌ様、そして甲冑を身に纏ったガルドと、書類を抱えて震えているルークが座っていた。
「で、殿下……本当にやるのですか?」
ルークが蒼白な顔でエドアルドの耳元に囁く。
「今朝、父(宰相)から手紙が届きました……『お前が今すぐこの愚行を止めないなら、我が家はルークを勘当し、王家と袂を分かつ』と……!さらに、ヴァルハイト公爵の私兵部隊が、王都の目と鼻の先に集結しつつあるという情報も……!」
「黙れ!うるさい!」
エドアルドは杯の手を激しく震わせながら、怒鳴り散らした。
「今さら引けるか!ここで退けば、俺の威厳は地に落ちる!あの女の首を跳ね、公爵家に見せしめにしてやれば、やつらも恐怖して屈服するはずだ!そうだろう、マリアンヌ!?」
「え、ええ……!殿下の仰る通りですわ……!」
マリアンヌはひきつった笑みを浮かべながら、必死に頷いた。
だが、彼女の瞳には隠しきれない恐怖が泳いでいた。
広場を埋め尽くす市民たちの視線が、自分たちに向けられた激しい「敵意」であることを、彼女も感じ取っていたからだ。市民たちの手には、殿下を称える花などではなく、腐った野菜や石ころが握られている。
「罪人を連れてまいれ!!」
エドアルドが叫ぶように命じた。
重い鉄の扉が開き、木造の囚人馬車が広場へと進入してくる。
広場全体に、重苦しい静寂と、市民たちのすすり泣く声が広がった。
「レティシア様……っ!なんて可哀想な……!」
「神よ、どうかレティシア様にお救いを……!」
誰もが、ボロボロの罪人服を着せられ、絶望に打ちひしがれて打ち首を待つ、憐れな令嬢の姿を想像していた。
しかし――。
馬車の扉が叩き開かれ、そこから姿を現した人物を見た瞬間、広場にいた全員が息を呑んだ。
「――皆様、ごきげんよう。素晴らしい秋晴れでございますわね」
馬車から降り立ったのは、絶望した罪人などではなかった。
身に纏うのは、鮮血のように鮮やかな真紅の最高級シルクドレス。
胸元には眩いばかりのダイヤモンドのネックレスが輝き、丁寧にセットされた漆黒の髪は、朝日に照らされて神秘的な光を放っている。
唇には、まるで血を吸ったかのような艶やかな赤いリップ。
彼女はまるで、これから夜会の主役として入場するかのような、圧倒的な美しさと品格を漂わせていた。
「な……なに……!?」
観覧席でエドアルドが立ち上がり、目を剥いた。
「な、なんだその格好は!?罪人服はどうした!?囚人としての羞恥心はないのか!?」
レティシアは優雅にスカートの裾を持ち上げ、完璧な一歩を歩み出した。
カツン、カツン、と漆黒のヒールが処刑台の木道を鳴らす。
「まあ、殿下。処刑とは、一人の人間がこの世で迎える最大の『フィナーレ』でございますのよ?そのような神聖な舞台に、汚い布切れ一枚で上がるなど、ヴァルハイト家の美学が許しませんわ」
彼女はゆっくりとギロチンの階段を上り、処刑台の真ん中に立った。
風が彼女の真紅のドレスをなびかせ、まるで舞台上の女優のように彼女を際立たせる。
市民たちから、どよめきが上がった。
「すごい……なんて美しさだ……!」
「まるで死神の女王様みたいだ……!」
「格好いい……!レティシア様、負けないでー!」
いつの間にか、歓声と応援の声が広場に広がり始めていた。
処刑場が、一瞬にして彼女の「ファンミーティング会場」へと変貌を遂げたのだ。
「だ、黙れ!静かにしろ愚民ども!」
エドアルドが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「処刑人!何をモタモタしている!直ちにその女を台に固定し、刃を落とせ!」
指名された処刑人は、地元の精肉店から無理やり引き抜かれた大きな男だったが、彼はガタガタと全身を震わせ、斧を持つ手も定まっていなかった。
「あ、あの……殿下……本当にやるんで?このお方、公爵家のお嬢様で……もし切ったら、俺、後で公爵様に殺されちまいます……!」
「ええい、使えない奴め!ガルド、お前が刃のロープを切れ!」
「えっ!?俺ですか!?」
脳筋のガルドも、流石にここまでの異様な雰囲気に気圧され、青ざめた顔で後ずさりした。
「ふふふ……」
処刑台の上で、レティシアが鈴を転がすような声で笑った。
「皆様、何を躊躇っていらっしゃいますの?せっかく皆様のために、私が最高のドレスを着て、首を差し出しに来て差し上げましたのに。ほら、早く私をその台に固定して、上にある大きな刃を落としてご覧なさいな」
レティシアは自らギロチンの固定台へと歩み寄り、優雅に身を屈めた。
そして、木製の首枷に自分の細く白い首を乗せ、観覧席のエドアルドに向かって、極上の微笑みを投げかけた。
「さあ、殿下。どうぞご自由に私の首をお跳ねくださいませ。……ただし」
彼女の瞳が一瞬、氷のように冷たく、鋭く光った。
「私の首が落ちたその一秒後。この国がどうなるか……楽しみにしておりますわね?」
「ヒッ……!!!」
エドアルドの背筋に、恐ろしい悪寒が走った。
(なんなんだこの女は……!?なぜ恐れない!?なぜ命乞いをしない!?まるで……まるで俺たちが、自分で首を絞めるのを待っているみたいじゃないか!!)
殿下の額から、滝のような汗が吹き出す。
ルークが青ざめた顔で「殿下、もう限界です!公爵家の私兵部隊が、王都の門を突破しました!」と叫ぶ。
市民たちの「レティシア様を殺すな!」「バカ王子を引きずり降ろせ!」という怒号が、地鳴りのように広場を揺らし始める。
マリアンヌはあまりの恐怖に「いやぁぁぁっ!」と悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。




