18話 『女』の温もり
並木道からアパートまでの十分間、東雲詩穂埜と七瀬は、色々な話をしながら歩いた。
例えば、
「詩穂埜さんは、早く結婚したいんだ?」
「したいです。結婚って、本当はゴールじゃなくスタートだと思うので。一人で過ごすよりきっと、本当はずっと大変で、苦しいこととか悲しい事とかいろんな事が起きるだろうなって想像すると、楽しくなってしまって」
なんてドライな考え方なんだろうと、七瀬は思った。
結婚に対する考え方が、一般の女性とはかけ離れているのではないだろうか。
「詩穂埜さんは、平凡が嫌いなんだね」
「ええ……悩むのが、好きなんですよ、きっと」
とか、
「ちゅるLoveは、詩穂埜さんもやった事あるんだ?」
「はい。私、恋愛ゲームと推理ゲームが好きで。例えば『狐と恋人』とか、『コイノロンパ』とか」
「あ!僕もそれ好きなんだ。ずっとやってたよー。コイノロンパは最後よりも途中のアクションロンパが難しくて、なかなか時間がかかったね。でもあの製作者は素晴らしいよ。僕の中の神ゲトップ3、全部同じ人、夏川純也っていう…」
とか、
「愛葉さんは、好きな食べ物、あります?」
「好きな食べ物?やっぱり牛丼とラーメンかな。でも……暫くは禁止」
「? どうしてですか?」
「ちょっと健康のために痩せようか、と思ってね」
「そうなんですか、そもままでも可愛いのに……」
――とか。
そしてアパート前に到着して彼女は、
「私も一緒に……」
と部屋に入りたがっていたが、七瀬は、それだけは困ると思った。
青葉がいるからだ。
「だめだよ」
「どうして?」
そしてつい口をついて出た言葉は、
「奥さんがいるんだ」
「……奥さん? 愛葉さん、結婚してたんですか?」
「……いや……その、戸籍上ではないけど、うん。と、とにかく、今日のところは、ごめん!」
七瀬がそう言うと、詩穂埜は少し考え込むようにしてから、
「じゃあ」
と言って、
「え………え………?」
七瀬に、抱きついてきた。
赤い傘が、地面に転がる。
「ちょ、ちょっと、詩穂埜さん、濡れる……」
「いいんです。ちょっとだけこのままで、いさせて下さい……」
七瀬の心臓は今にも張り裂けそうだった。
そして、今までにないほど混乱した。
それは、産まれて初めての、「「生身の女性の感触」」だ。
しかもそれは、「「リアル美琴」」で。
雨に濡れないように七瀬の持つ傘で彼女を庇いながら、そのやわらかくて暖かい感触と甘い匂いに卒倒してしまいそうだったけれど、七瀬は詩穂埜の肩をつかみ、ぐいっと引き離して、赤い傘を拾い彼女に渡す。
「き……気をつけて、帰って。まだ暗いから」
そしてそう言って、アパートの階段を駆け上った。
***
雨上がりの晴れた日ざしが部屋に差し込む。
けれど七瀬はまだ、眠れずにいた。
「ゆうちゃん、早く寝ましょう。今夜はコンビニのバイトがありますよ」
「……うん、……わかってる、……アオ……バ……」
「ゆうちゃん、へーんなのっ」
放心状態とはまさにこの事だろう。
七瀬は詩穂埜の思考回路がどうなっているのか、さっぱり、これっぽっちも、一ミリも、理解不能であった。
まるで未知の動物と遭遇した原始人だ。
さっきからテレビをつけたまま毛布にくるまり、寝返りばかり打っている。
ピンポーン
その時、チャイムが鳴った。
誰だ? 珍しいな、客なんて。
七瀬はそう思いながら這いずって玄関へ行き、ドアの小さな穴を覗く。
するとそこに見えたのは、意外な人物、斎条孔雅だった。
「どうしたんだ?」
「すみません、愛葉さん、ちょっとお話しが」
目の前の、元刑事で高身長で格好良くてプー太郎の七瀬より五つ年上の男が、あらたまって七瀬にそう言った。
「用件はここで済ませてくれ。中は散かってるからな」
「うん。あの……この間の、女子達、のことなんだけど。連絡取ってるか?」
「いや、今の所は、東雲詩穂埜としか……」
今朝の詩穂埜の姿を思い出して、胸がどきりと鳴る。
「今の所は?」
「ラインを送るタイミングを見計らっているところだ」
「そうですか……。実はあの時、俺が酒を呑んでしまったのには訳があって」
「わけ?」
「いたんだ。中に。俺の、その、ズバリ理想の女性が。もう本当に、ぴったりはまった、パズルのピースのような」
「ほう。誰だ?」
「……雪平伊吹……」
「ああ。彼女か。可愛いもんな」
「ああ。……で」
「嫌だね」
「ちょっと待て、俺まだ何も言って…」
「なんか連絡とってくれとかそーゆーのだろ」
「ちが……いや、ちがくもないけど」
「ほら。嫌だよ。なんでお前なんかのために」
「じゃ、じゃあ、これでなんとか!」
そう言って、孔雅は目の前に一万円札をちらつかせた。
前から思っていたが、何故こいつはプー太郎の癖に金があるのか。貯金か?それともやばい仕事でもこっそりしてんのか?どっちにしろ、給料日前の一万円札は非常に助かる。
「卑怯な手を使いやがって」
「頼みます、一緒に、猫カフェに行って下さい!」
「は?そっちかよ!」
「直接、顔を見て話したいんだ。愛葉くん経由も嫌だし、いきなりライン送っても変だろ。アドレス、聞いてないから」
残念だが、ごもっともな意見だ。
七瀬は頭を掻き毟って大きな溜息をついて言った。
「わーーーかったよ!行けばいいんだろ、行けば!!」
そして不眠の愛葉は、猫カフェへ行く事になったのである。




