12話 ちゅるーLove.sweetえんじぇる
花束を抱え立っている詩穂埜の前で、七瀬が呆然と立ち尽くしていると、
「あれ?昨日の……。その花束、もしかして、愛葉さんのお見舞いに?」
と、孔雅が言って、ピンクと白二色のユリの花束に指を指した。
「ええ、ちょうど私今日、仕事お休みだったものですから。あの……というか、昨日、愛葉さんに……」
「……あ、はい。謝罪に来てまして。昨夜は……お騒がせしてしまって……せっかくの場を台無しにしてしまって、本当に悪かったと思ってます、すみませんでした。……それで、今愛葉さんを家まで送り届ける所で」
「家に? じゃあ、和解されたんですね」
「ええ」と言って、孔雅ははにかんでいる。
「よかった。でも頬、やっぱり腫れてますね。大丈夫ですか?」
視線を七瀬に戻した詩穂埜は痛々しいその顔を見て、少し眉をひそめた。
「うん、このくらい大丈夫だよ。もう自分より家の方が心配だっていうか。帰らなかったことないから」
「家ですか……あの、もし良かったら、私もついて行っていいですか?家」
!!!
七瀬は連続で頭の上にタライが落ちてきた気がした。
ちょっと待て、この絶世の美女が、家に来るだと?
僕の、家に?
六畳一間の、引っ越して5年間女人禁制で男臭が漂い男の気で満たされた汚らわしい、青葉が待っている、僕の家に、
今から……!!???
コンピューターのように素早く、YESかNOかを計算した七瀬の脳がはじき出した答えは、
「いや、無理」
もちろん、NOだった。
「お部屋、散かってても構いませんよ?なんなら私外で待ってますから」
「だっ! それでもだめだよ。昨日会ったばっかりで、男の家に入り込むもんじゃないだろう、尻軽女じゃあるまいし!」
や、やっちまった。
やっちまったよ。
今世紀最大のミス。
大ミス。
はいたった今産まれました。黒歴史。
「「尻軽女じゃあるまいし」」
はダメだろ~~~っっっ!!!
しかし、心中パニック状態の七瀬はもう止まらない。
「そうですか……じゃあ、あの、これだけでも」
うろたえながらも花束を渡そうとする詩穂埜の手を払いのけ、
「行こう、孔雅さん」
「いや、でも愛葉さん、彼女…」
「いいんだよ! もう!」
そう言って、大またで歩き出した。
詩穂埜の視線から、二人の姿が徐々に遠くに消えていく。
その姿を最後まで見つめながら、詩穂埜は呟いた。
「やっぱり、おもしろい、あの人」
そして、持っているユリの花束に鼻を近づけ、小さくその香りを吸い込んだ。
***
「僕は何故、あんなにパニくった、のか」
家に帰った七瀬は、顎に手をあて、部屋の中を何度も行ったり来たりうろうろしながらぶつぶつ独り言を言っていた。
「パニくった?なにかあったのですか?大丈夫?なっちゃん」
その姿を見ている青葉が、ガラスケースの中から心配そうに話しかける。
七瀬の顔が腫れている事に気づける程の機微な性能は持ち合わせていない。
「青葉、パニックの定義は?」
「パニックの定義、ですね。え~とぉ。・・・はい、パニックの定義としてはスメルサーによる「ヒステリー的信念に基づく集合的な逃走」、ラングによる「極端な利己的状態への集合的な退行」、サトウタツヤによる「突然発生した予期しない恐怖で, 抵抗不可能なものであり,多くの人々が同時にそれに影響される状態で多くの場合逃走や混乱が見られる状態」と、うぃきぺでぃあに書いてあります更に詳しくお話ししますか?」
「……恐怖……逃走……いや、いいよ、ありがとう」
七瀬はピタリと止まると、
「そうだ、僕はあの、東雲詩穂埜に恐怖を覚えたんだ。何故ならば……」
そう言って、テレビ台の棚の中をガタゴトと探し始めた。
「あった、これだ」
そう言って取り出したのは、一本のゲーム、
【ちゅるーLove.sweetえんじぇる】
だ。8年前に販売されてから爆発的にヒットした恋愛ゲームで、7人の美少女を攻略するいたってシンプルな恋愛ゲームなのだが、なんといってもその人気の秘密はキャラクターにあるだろう。
七瀬はこのゲームをやりにやりこんでいた。
ヒロインの日下部美琴を落とすのが非常に困難で、結婚まで辿り着くには膨大な時間を費やし、完全クリアする頃には彼女はもう俺の嫁、だった。まさに七瀬の第一の嫁と言えよう。
「美琴ちゃん……」
ゲームソフトのパッケージの中で日下部美琴はこちらを見て微笑んでいる。
その女神のような笑顔と、東雲詩穂埜の笑顔が重なる。
僕の恐怖はこれなんだ。
美琴ちゃんに、詩穂埜さんはそっくりなんだ。
つまり、彼女があまりに眩しすぎて恐ろしい。
これ以上関わってはいけない。
七瀬の本能がそう言った。
危険だ、危ない、逃走しろ、と。




