第五話 旅人の夕食
焼肉レストラン丸太小屋は、ようやく戦場のような喧騒からひと息ついた。
「ふぅ……」
萩原が大きく息を吐く。
まゆも、最後の皿を片付けて厨房から戻ってきた。
その瞬間だった。
ぐうううう……。
「…………」
店内が静かになった。
まゆは固まった。
萩原がまゆを見る。
そして、その場にいた女性スタッフもまゆを見る。
「……お腹、空いた?」
「……はい」
まゆが小さく答える。
次の瞬間。
「ははははは!」
店内に大きな笑い声が広がった。
「そりゃ空くよ!」
「朝から自転車で走ってきて、ここまで忙しく動き回ってたんだから!」
まゆは顔を真っ赤にした。
「すみません……」
「謝らなくていいって」
萩原が笑う。
「よし、飯にしよう。今日はよく働いてくれたからな」
「ありがとうございます!」
まゆの顔がぱっと明るくなった。
*
食事の席には、もう一人の若い女性がいた。
「そうだ。高田さん、まだ紹介してなかったね」
萩原が彼女を指した。
「桐生ひとみちゃん。前橋大学の一年生。夏休みの間、ここでアルバイトしてるんだ」
「桐生ひとみです。よろしくお願いします」
「高田まゆです。よろしくお願いします」
二人は向かい合って頭を下げた。
「大学一年生なんですね」
「そうです」
「じゃあ、夏休みで?」
「うん。今はワーケーションみたいな感じ」
「ワーケーション?」
まゆが首をかしげる。
「働きながら、普段とは違う場所で過ごすの。大学が休みだから、こっちで働かせてもらってるんだ」
「へえ……」
まゆは興味深そうにひとみを見る。
「じゃあ、ずっとここにいるんですか?」
「夏休みの間だけね。でも、こういう場所で働くの、結構面白いよ」
「そうなんだ」
「最初はちょっと緊張したけどね」
ひとみは笑った。
「焼肉屋って、思ってたより忙しいんだなって」
「今日、すごかったですよね」
「ね」
二人で顔を見合わせる。
「団体のお客さんが一気に来たとき、私も何が何だか分からなくなっちゃって」
「私もです」
「高田さん、途中から普通に働いてたじゃん」
「いやいや、全然ですよ」
「でも、初めてなのに結構動けてたよ」
「ひとみさんが教えてくれたからです」
「私、そんなに教えてないよ」
二人が笑った。
*
しばらくすると、自然と話題は大学のことになった。
「前橋大学って、何を勉強してるんですか?」
「英語です」
「英語……」
「将来は、英語を生かせる仕事に就きたいなって思ってて」
「どんな仕事ですか?」
「まだ決めてないんだ」
ひとみは少し考えた。
「海外の人と関われる仕事がいいかなって」
「じゃあ、外国に行ったりも?」
「できればね。いろんな国の人と話してみたい」
そう言ってから、ひとみは笑った。
「でも、まだ大学一年生だから。これから探す感じ」
「いいなあ」
まゆがぽつりと言った。
「高田さんは?」
「私?」
「将来やりたいこと」
まゆは少し考えた。
「……まだ、よく分からないです」
「そっか」
「だから、今は旅してみようかなって」
「それで一人で直江津から?」
「はい」
ひとみが少し驚いた顔をする。
「すごいね」
「最初は親にも反対されました」
「そりゃ心配するよ」
「でも、どうしても自分でやってみたくて」
まゆは箸を置いた。
「自分で決めたことだから、自分で最後までやってみたいんです」
ひとみは黙ってまゆを見る。
「……なんか、分かるかも」
「え?」
「私も、ここで働いてみたいって言ったとき、ちょっと反対されたんだ」
「そうなんですか?」
「うん。『わざわざ夏休みに遠いところで働かなくてもいいじゃない』って」
ひとみは笑った。
「でも、家にいるだけじゃ分からないこともあるかなって思って」
「それで来たんですね」
「そう」
二人の間に、少しだけ親しみが生まれた。
旅をしているまゆ。
旅先で働いているひとみ。
やっていることは違っても、自分の知らない場所へ踏み出したという点では、少し似ていた。
*
「そういえば、高田さん」
「はい?」
「明日はどっちに行くの?」
「群馬のほうです」
「群馬かあ」
ひとみが少し考える。
「だったら……」
「?」
「藤岡市に、おばあちゃんが住んでるんです」
「藤岡市?」
「うん。太田みつっていう名前のおばあちゃん」
ひとみは少し笑った。
「もしよかったら、泊めてもらえるか聞いてみようか?」
「え?」
まゆは驚いた。
「でも、突然そんな……」
「大丈夫。私から話すから」
「本当にいいんですか?」
「うん」
ひとみはスマートフォンを取り出した。
「今日ここで会ったこととか、旅をしてることとか、ちゃんと説明してみる」
「ありがとうございます……」
まゆは頭を下げた。
「助かります」
「まだ、おばあちゃんがOKしてくれるかは分からないけどね」
「それでも嬉しいです」
まゆが笑う。
ひとみも笑った。
「じゃあ、聞いてみるね」
*
食事を終えるころには、二人はすっかり打ち解けていた。
「明日、もし藤岡に行くなら、道も少し調べておくよ」
「ありがとうございます」
「自転車でしょ?」
「はい」
「だったら、車の道と自転車の道は違うからね」
「そうなんですよ」
まゆは笑った。
「地図を見るの、結構大変です」
「分かる。私も大学に入ってから地図アプリばっかり見てる」
「ひとみさんも?」
「うん。知らない場所に行くの、好きだから」
その言葉に、まゆが顔を上げる。
「じゃあ、旅、好きなんですね」
「好きだよ」
ひとみは少し考えてから言った。
「いつか、英語を使って外国を旅してみたいな」
「いいですね」
「高田さんも、いつか外国を自転車で走ってたりして」
「それは……」
まゆは少し考える。
「やってみたいかも」
二人で笑った。
その笑い声を聞きながら、萩原が厨房から顔を出した。
「お、もう友達になったのか?」
「友達……」
まゆとひとみは顔を見合わせる。
「……そうかもしれません」
ひとみが笑った。
まゆも笑った。
旅の途中で出会った、ほんの一晩の縁。
それでも、その出会いは思っていたよりずっと深く、まゆの旅に残るものになりそうだった。
*
少し離れた場所では、まやが車の中から丸太小屋の明かりを眺めていた。
「……なんか、ずいぶん楽しそうね」
まゆが知らない人と笑っている。
まやは少しだけ安心した。
「一人旅って、こういうことなんだろうな」
助けてもらうだけではない。
知らない人と話して、笑って、そして次の場所へつながっていく。
まやはスマートフォンを手に取った。
『今日はちゃんと宿泊先を確保。丸太小屋で食事中。元気そう』
両親へ送信する。
そして、もう一度店を見る。
「明日は群馬か……」
まやはエンジンをかけた。
「私も先回りしすぎないようにしないとな」
車は丸太小屋から少し離れた場所へ移動した。
妹の旅は、また次の出会いへ向かって進んでいく。




