第二話 旅の途中で出会った人
三日目の朝。
中林農園を出発したまゆは、ロードバイクのペダルを踏みながら東へ進んでいた。
荷物の中には、昨日までとは違うものが入っている。
朝採れのトウモロコシが二本。
「途中で食べてね」
そう言って中林夫妻が持たせてくれたものだ。
まゆは背中の荷物を少し気にしながら走った。
「……どこで食べようかな」
朝採れというだけあって、まだ瑞々しさが残っている。
とはいえ、二本とも一人で食べるには少し多い気もした。
「まあ、途中で考えればいいか」
そう言って、またペダルを踏む。
*
長野市を抜け、千曲市へ。
千曲川沿いの道を走ると、山あいの景色が続いていく。
まゆは時折、自転車を止めて水分を補給した。
「上田まで行けたらいいんだけど……」
地図を見る。
昨日よりは走れる。
けれど、旅に出てまだ三日目。
無理をするつもりはなかった。
「今日は、行けるところまで」
そう決めて、再び走り出した。
*
そのころ。
まゆから少し離れた道路では、姉のまやも車を走らせていた。
「……順調そうね」
スマートフォンに届いた両親とのメッセージを確認する。
『まゆから連絡あった。元気そう』
「そりゃよかった」
まやは小さく笑った。
もちろん、まゆ本人には自分が後ろからついてきていることを知らせていない。
「さて、どこで休むかな」
まやはまゆのルートを確認しながら、先回りできる道を探した。
*
午後。
まゆは千曲市に入った。
千曲川沿いを走っていると、前方から一人の外国人男性が自転車に乗って走ってくるのが見えた。
「外国の人だ」
すれ違う。
男性もロードバイクだった。
まゆは少し驚きながら、その背中を見送った。
かなり走り慣れているようだった。
しばらく進むと、休憩できそうな場所があった。
まゆは補給する。
すると、先ほどの外国人男性が少し離れたところに自転車を止めていた。
スマートフォンを確認している。
まゆは軽く会釈した。
男性も気づいて、笑顔で会釈を返した。
「こんにちは」
「こんにちは」
流暢な日本語だった。
「日本語、上手ですね」
「ありがとうございます。もう日本に住んで長いですから」
男性は笑った。
「自転車で?」
「はい。旅行です」
「いいですね」
それだけ話すと、男性は先に出発した。
まゆも少し休んでから、再び走り始めた。
*
しばらくして。
「……あれ?」
後輪の感触がおかしい。
まゆは自転車を止めた。
タイヤを触る。
「柔らかい……」
空気が抜けている。
「パンク……?」
確認すると、やはり後輪の空気がかなり減っていた。
「どうしよう」
まゆは自転車を降りた。
工具は持っている。
予備のチューブもある。
けれど、まだ自分で交換した経験はなかった。
「困った……」
そのときだった。
「パンクですか?」
声がした。
振り向く。
そこにいたのは、さっきの外国人男性だった。
「あ……さっきの」
「さっき見かけましたから」
男性は自転車を止めた。
「見せてもらっていいですか?」
「お願いします」
男性は手際よく後輪を確認した。
「これはチューブですね」
「直せますか?」
「はい。予備があるなら交換しましょう」
男性は工具を取り出した。
「ありがとうございます!」
「旅の途中でしょう?」
「はい」
「それなら、ここで直しておいたほうがいいです」
手際よく作業が進んでいく。
まゆはその様子を見ながら、感心していた。
「自転車、詳しいんですね」
「好きなんですよ」
男性は笑った。
「それと、この辺りで旅館をやっています」
「旅館?」
「上山田温泉です」
「へえ……」
まゆは少し驚いた。
自転車だけでなく、旅館の仕事までしているらしい。
「兎清旅館という旅館です」
「そうなんですね」
「もし今日、泊まるところが決まっていないなら……」
男性は少し考えた。
「うち、空いている部屋がありますよ」
「え?」
「自転車旅行の人なら、安くします」
「でも……」
「旅の途中でしょう。遠慮しなくていいですよ」
まゆは少し迷った。
しかし、パンクで予定はかなり狂っている。
「……お願いします」
「分かりました」
男性は笑った。
「じゃあ、一緒に行きましょう」
*
上山田温泉。
男性に案内されて、まゆは一軒の旅館の前に到着した。
「ここです」
看板には、
兎清旅館
と書かれている。
「ここ……ですか?」
「はい」
男性は自転車を降りた。
「改めまして。ミュラーです」
「え?」
「ここの主人です」
まゆは目を丸くした。
「ええっ!」
「驚きました?」
「だって、さっきまで普通に自転車に乗ってたから……」
「私にとっては、いつものことです」
ミュラーは笑った。
そこへ、旅館の中から女性が出てきた。
「あなた、お帰りなさい」
「鞠子さんただいま。こちら今日のお客さん」
「まあ!」
女性はまゆに笑顔を向けた。
「ミュラーの妻の鞠子です。よろしくね」
「高田まゆです。よろしくお願いします」
*
部屋に案内され、荷物を置く。
「こんなに安くしてもらって、本当にいいんですか?」
「大丈夫ですよ」
ミュラーが笑う。
「自転車旅行の人には、できるだけ安く泊まってもらうようにしています」
「ありがとうございます」
まゆは頭を下げた。
格安で泊めてもらえることになった。
ありがたい。
でも、それだけに少し申し訳ない気持ちもあった。
「……あ」
そこで、荷物の中に入れていたものを思い出した。
まゆはトウモロコシを二本取り出した。
「これ、よかったら」
「これは?」
「昨日泊めてもらった農家の方からもらったんです」
まゆは事情を話した。
「中林農園っていうところなんですけど」
「中林農園?」
ミュラーの表情が変わった。
「知ってるんですか?」
「名前は知っています。信濃町の有名なとうもろこし農家ですよね。」
鞠子もトウモロコシを受け取った。
「せっかくだから、いただきましょうか」
「はい!」
*
夕食の時間。
ミュラー夫妻とまゆは、もらったトウモロコシを食べていた。
「……甘い!」
最初に声を上げたのは鞠子だった。
「本当に甘いですね」
ミュラーも驚いている。
「採れたてだからでしょうか」
「たぶん、それだけじゃないですね」
鞠子が笑った。
「中林さん、いいもの作ってるわね」
まゆも頷いた。
「すごくおいしかったです。昨日も夕食で食べました」
「なるほど」
ミュラーは一本を眺めた。
「今度、仕入れられるか聞いてみようかな」
「え?」
「旅館のお客さんにも出せそうです」
まゆは嬉しそうに笑った。
昨日まで、ただ自分がもらっただけのトウモロコシだった。
けれど。
こうして別の場所へ持ってきたことで、新しいつながりが生まれようとしている。
「中林農園と兎清旅館か……」
まゆは、なんとなく面白い気持ちになった。
自転車で走っているだけなのに。
旅先で出会った人と人が、自分を通して少しずつつながっていく。
そんなことを考えながら、まゆはもう一口、甘いトウモロコシを頬張った。




