第9話 次なる道へ
吸血鬼という存在は――強い。
その力は、他の生物とは一線を画す。
下位の吸血鬼であれば、セレナにとって脅威にはならない。
だが、例えばライアンほどの実力者ともなれば、一人で挑めば苦戦は免れないだろう。
上位の吸血鬼ともなれば、その脅威は桁違いだ。
セレナほどの実力をもってしても、一対一で渡り合うのが精一杯。
“聖なる力の使徒”と呼ばれ、次代の英雄と称えられている彼女ですら、上位の吸血鬼との戦いは決して容易ではない。
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吸血鬼の能力は多彩だ。
血を操る者――己の血液を刃、鞭、矢と自在に変え、死角から襲いかかる。
姿形を変える者――霧に溶け込み、影と化し、気づけば背後にいる。
超再生――致命傷を負おうとも、瞬時に再生し、戦場に舞い戻る。
血の契約――他種族を自らの配下として縛り、絶対服従を誓わせる禁忌の術。
――そして、まだ“未知の力”を秘めた吸血鬼も、数多く存在している。
かつて、魔王が人類を蹂躙した時代。
吸血鬼たちは、その多彩な力を使い、堂々と戦場に立つことはせず、
人間社会の“影”へと潜り込んだ。
だが――彼らは、決して“進化”によって強くなったわけではない。
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「アンデッドや魔物は、進化してもほとんどは上位の存在になれずに死ぬ。
ましてや、今生き残っている吸血鬼たちは、最初から“完成された種”なのよ」
セレナが静かに言った。
「眷属として吸血鬼になった者たちは別だけど……
最初から“上位”として生まれた者たちは、どこかが違う。生まれた時点で――最初から“完成”されてるの」
その瞳には、長年戦いを繰り返してきた者にしか持てない、深い警戒と確信が宿っていた。
「それに……」
彼女は少し言い淀み、言葉を選びながら続ける。
「人間のような心を持った吸血鬼なんて、ほとんどいない。
大半は、自分以外の存在を“餌”としか思っていない。
人間と“対等”の存在だなんて、思っている吸血鬼はほとんどいないわ」
その言葉には、彼女自身のこれまでの戦いの記憶が滲んでいた。
セレナは少しだけ夜空を見上げた。
何か古い記録を思い出しているようだった。
「二百三十年前、東欧に小さな王国があったのを知ってる?」
「いや」
僕が首を振ると、セレナは静かに続けた。
「今はもう存在しない国よ」
夜風が銀髪を揺らす。
「記録では内乱によって滅んだことになってる」
「実際は違うのか?」
「違うわ」
その返答には迷いがなかった。
「原因は一体の吸血鬼だった」
僕は思わず眉をひそめる。
「一体で国を滅ぼしたのか?」
「ええ」
セレナは頷いた。
「でも、その吸血鬼は軍隊を襲わなかった」
「王も殺していない」
「城も焼かなかった」
僕はますます意味が分からなくなる。
「じゃあ何をしたんだよ」
セレナは少しだけ目を細めた。
「王都へ入り込んだだけ」
その言葉に、僕は言葉を失った。
「最初は貴族の娘として現れた」
「次は有力貴族へ嫁いだ」
「やがて王族と婚姻を結び」
「最後には王妃になった」
淡々と語られる内容が、戦争よりも恐ろしく感じた。
「百年以上かけて王国を内側から腐らせたの」
「貴族を眷属に変え」
「軍の上層部を支配し」
「国庫を操り」
「反対する者を少しずつ消していった」
セレナは静かに言う。
「王国が滅んだ時、人々は最後まで気付かなかった」
「自分達の国が、ずっと前から一体の吸血鬼の掌の上にあったことに」
夜風が吹く。
草原が揺れる。
だが僕の背筋には冷たいものが走っていた。
「吸血鬼が恐れられているのは強いからじゃない」
セレナは空を見上げたまま言った。
「人間より遥かに長く生きるから」
「十年先を見る人間と」
「百年先を見る怪物」
そこで彼女は僕を見る。
その瞳には、長年吸血鬼と戦ってきた者だけが知る恐怖が宿っていた。
「どちらが恐ろしいと思う?」
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吸血鬼の外見は、基本的には人間と大差ない。
だが、吸収衝動に駆られたとき――彼らの真の姿が露わになる。
牙が伸び、瞳は深紅に染まり、
理性の覆いを剥いだ“飢えの獣”が、そこに現れる。
その姿に、人間の言葉は届かない。
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吸血鬼による被害は、今もなお続いている。
だが、それが国家的な災厄とならずに済んでいるのは――
ヴァチカン以外に、吸血鬼や魔物に対抗する“もう一つの組織”があるからだった。
その名は――
【G.O.D.】(Grave Order Division)
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【G.O.D.】は、Grave=「墓」に眠るべき魂に、Order=「秩序」を与え、
Division=「聖なる任務」として“死の安息”をもたらすために設立された、国際的な対魔組織だ。
その名には皮肉が込められている。
“神(God)”――だが彼らは決して、救いの神ではない。
【G.O.D.】にとっての“救済”とは、“完全なる死”を与えること。
彼らはその使命を胸に、魔物や吸血鬼、アンデッドを容赦なく狩る。
まさに、“死の神”として恐れられる存在だった。
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「これからは、警戒すべき敵が増えるわね」
セレナの声が少しだけ低くなる。
「……髪の色も、身体の変化も大きい。
ヴァチカンの騎士団は、私が止められるかもしれない。
でも、【G.O.D.】は違う。彼らは……誰の命令も聞かない」
「……殺しに来るってわけか」
「ええ。迷いなく、最短で、確実に。
感情を挟まない。生き延びたアンデッドに対しては、“例外なく殺す”」
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僕は、ポケットから一枚の紙を取り出した。
そこには、“遠藤 修也”と記された身分証があった。
セレナが用意したもの。表の世界で生きるための、仮初の名前。
「しばらくは“エンド”として生きるしかねぇか……」
口にした名前は、自分の本名よりもしっくりくるような気もした。
「……街の中じゃ、遠藤って名乗るか」
「エンドの方が……私は発音しやすい」
セレナは、ほんの少しだけ笑った。
その表情は柔らかくて、けれど、どこか切なげだった。
彼女が微笑むと、光が夜に差すような錯覚がある。
だがその光は、もう決して眩しすぎるものではなかった。
闇を受け入れた者の前でだけ、見せることを許された――穏やかな光だった。
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夜はまだ深い。
だけどその中で、僕たちは確かに歩き始めていた。
世界は敵だ。
ヴァチカンも、G.O.D.も、吸血鬼すらも――
僕という“存在”を、どこにも受け入れてはくれないだろう。
それでも――
隣に立つ彼女の気配がある限り、
僕はまた、生きる意味を探してみようと思えた。
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夜の中に潜むものたちの気配が、少しずつ濃くなってきている。
次に出会うのは、友か、敵か。
それすら分からない闇の旅の途中――
この足で歩いていくしかない。たとえ、世界すべてが夜に沈もうとも。




