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教会の怪物

「教会の敷地を旅芸人に貸し出す……ですか」


 下町にある庶民向けの教会。

 その主である総白髪の七十代司祭、グレイ司祭は唐突な来客と要請に面食らっていた。


「うむ。もう二十年近く前になるか……私がいた教会に西方一座が訪れた時、中々に気が利く少年が教会の雑用も引き受けてくれてな」

「はあ……」


 相対しているのは五十歳ほどの男性。

 小太りで頭髪はなく、鼻は息苦しそうに呼吸を繰り返しているし、濁った灰色の瞳は妙に落ち着きがない。

 名をヨハン大司祭。本来なら大神殿から離れて、下町の教会にやってくるような人間ではなかった。


「いや、あまりにも予算が無い教会だったから、随分と助けられた。その少年……今はいい大人だが、どうも座を出て一人になったらしく気の毒でな。少しの期間でいいから場を提供してやってくれんか?」

「それは構いませんが……その、高尚なものをされると……」

「ああ、その点での心配はいらん。どうも庶民向けの劇をしようとして、座長と意見が対立したらしい。多分、単純な英雄譚や冒険譚とか、その類だろう」

「そういうことでしたら問題ありません」


 続けられたヨハンの言葉にグレイは難色を示した。

 あまり中央政治に関わりが無いヨハンだったが、それでも昨今の芸人たちが上流階級に接触しようとしていることを知っている。

 そんな高尚な劇を下町でされても反応がいまいちどころか、下手をすれば白けてしまう可能性があるし、子供達では全く理解できないだろう。

 しかし続けられたヨハンの言葉で、それなら受け入れられると判断し承諾した。


「それとだが」


 ほんの僅かにヨハンの声が上擦ったものの、政治や腹芸から遠ざかっているグレイは気が付かなかった。


「こちらからその男と知人の、手伝いの助祭を派遣する。歳若い女だがしっかりしているので、必要とあらば適当に使ってくれ」

「分かりました」

(随分と珍しい。よっぽどその時、助かったのだろう)


 グレイはヨハンが随分と面倒を見ていると思い、余程にその当時苦労して、手伝いがありがたいものだったのだろうと簡単に考えた。

 というか、この程度のことで何か裏があったり、大いなる陰謀が潜んでいると考えるなら、グレイ司祭は下町の教会にはいないだろう。


「それではよろしく頼む」

「はい大司祭」


 だから日常の延長上に起きた、少し風変りな出来事。それ以上でも以下でもなかった。

 実際、もっと単純で、簡単な思考で発生しただけの話だ。


 どこかの薄暗い場所でヨハンは、椅子に座る女と相対していた。


「こ、こ、これでよかったのか?」

「はい司祭様。ありがとうございます」


 ヨハンが震える体を隠せずに声を発すると、緑の布で顔を隠している女がおっとりとした口調で応えた。

 司祭服や顔の布から僅かな覗く白い肌には、一瞬だけ連なった若葉のような文様が浮かび、不可思議なことに緑の布にも、その若葉を象ったようなものが現れる。

 それは一見すると聖なる力を宿しているが、少し陰から見ると酷く蠱惑的な明かりにもなる、光と闇が合わさったような力だ。


「つ、次はどうするつもりなのだ?」

「旅芸人として世の皆さんに娯楽を提供しようと思ってます。幸い魔法を使えるので奇術師……占い師も捨てがたい……」

「……へ?」


 おどおどと問うヨハンに、緑は正直に答えた。

 一点を除いて主体性に欠ける緑たちは普段、かなり行き当たりばったりで行動している。しかしその一点においてのみ、明確な方針が定まっており、それを当然のことと思っていた。


「た、た、た、旅芸人⁉ 立場を分かっているのか⁉」

「勿論、教会を抜けるという訳ではないのでご安心ください。だって、その方が色々と都合がいいですから」

「っ⁉」


 思いとどまらせようとしたヨハンは、あまりにも普段通りの緑の声音が逆に恐ろしくなり口を閉じる。


「それと申し訳ありません。次の西方一座の劇に招待されていますが、忙しいという理由でお断りをします。一座の皆さんも、非常に素晴らしい劇にしているのだろうと思うのですが、私の好みとは真逆でして……喜劇が好きなのに悲劇を見ても、心が痛むだけなのですよ。前の座長様がご存命でしたらご挨拶に出席したのですが……非常に残念です」

「わ、分かった」

(どうしてこうなってしまったのだ!)


 現在の七色を見出したことで、ヨハンの地位は盤石になると思っていた。

 彼女たちが成長すればするほど、ヨハンは出世を重ね、大司祭の中でも飛び抜けた立場を手に入れることにも成功した。


 しかし……成長が止まらなかったのだ。


 十年に一人の天才が七人も揃っていると喜ばれた。

 五十年に一人の才だと分かり狂喜乱舞した。

 百年に一人の才だと発覚し、世界が彼女たちを祝福していると思われた。


 ならば……それを飛び越えてしまったら?

 しかも一見するとまともに見えて、その実はかなり尖った感性をしていたら?


「よろしくお願いしますね」


 気が付けば世界最大の宗派ですら手が付けられなくり、半ば野放しにされている怪物の一人。緑のクラリスが、布越しでは判別できないものの、柔らかな笑みを浮かべてヨハンを見ていた。

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