第三話 摩刷
Day −1 / 14
フリーランチャー研究所、三階。
ガラス張りのオフィスの中央に、村上は一人で座っていた。
夜の研究所は静かだ。
スタッフは帰っている。
モニターに映っているのは、西崎千尋のカルテ。
十八週。
ホルモン推移、母体脳波ログ、胎児神経予測モデル。
村上はスクロールを止めた。
その瞬間、チャットツールのスプラッシュ画面が立ち上がる。
テキストボックスに、迷いなく打ち込む。
eMkcuF
画面が一瞬暗転し、
九条の姿が現れた。
蛍光灯の暖色光の下、廃屋のような部屋。
背景の温度が、こちらとは違う。
「こんばんは、九条さん」
挨拶は形式だ。
九条は返さない。
「二週間以内にアルファになる可能性がある」
唐突だ。
村上は瞬きひとつせず、答える。
「Article9の本命のラムダですね」
「そうだ。これまでにない。これからも、お目にかかれないだろう」
九条の声は低い。
「Article9を次のステージにランプアップさせる案件です」
村上は淡々と言う。
「今までのルーティンは使えない」
「はい。その件ですが」
九条の目が、わずかに細くなる。
「胎児への脳転写に、現行のヘッド・スキャナーは使えません。
未髄鞘です。
信号減衰が大きすぎる。
新たなスキャニング・デバイスの開発が必要です」
九条は沈黙する。
その沈黙は、拒絶ではない。
評価だ。
「開発自体は可能です。 ですが、二週間では無理です」
九条の口角が、ゆっくりと歪んだ。
「村上⋯お前⋯」
その声には、懐かしさと嘲りが混ざる。
「業績好調なスタートアップの代表になったせいか、随分と日和ったな」
村上は何も言わない。
言い返せば、議論は終わる。
九条のスピーチの途中で口を挟むことは、命取りだと、昔から知っている。
「昔のお前ならな」
九条は続ける。
「"ここ一発の妙案"を捻り出したもんだ」
Friendsを設計していた頃。
徹夜明けのホワイトボード。
仕様をひっくり返す瞬間。
村上は視線をわずかに落とす。
「いいか」
九条の声が、少し低くなる。
「これはもう二度とお目にかかれないラムダだ。
新たなデバイスなどという“プロダクト・マター”の発想は捨てろ」
一拍。
「この案件に完成形は不要だ。 針の穴に糸を通すようなやり方でもいい。
不格好でもいい。
一発屋でもいい。
ビジネスなど忘れろ」
その言葉は、代表取締役・村上ではなく、
かつてのプログラマー・村上に向けられている。
「胎児の脳をスキャニングするプロダクトではなく、 方法を考えろ」
静寂。
村上は間合いを測る。
九条は鼻から息を吸い、上唇を舐める。
「母体の⋯」
村上は一瞬天井を仰いだ。
「母体の脳を媒介して、胎児の脳をスキャンする」
今度は九条が黙る。
村上は、ゆっくりと組み立てる。
「胎児を読むのではなく、 胎児に反応する母体を読む。
胎児の神経ネットワークは未完成。
だが母体との同期は強い。
母体脳には写像が生じている」
九条は、すべてを言わせるように沈黙を続ける。
「逆問題として解く。 既存ヘッドスキャナーを母体モードに改修。
ソフトウェアの変更だけで済みます。
これで、間に合います」
九条の目が、わずかに光る。
「誰がソフトの変更を行うのだ」
間。
ほんの一瞬の躊躇。
「……私が、やります」
たった今、九条の眼に映っているのは、一人のエンジニアだ。
九条は、ゆっくりと笑う。
「やっと降りてきたか。いいだろう」
その笑いは、承認であり、挑発であり、共犯の再確認だった。
九条は上唇を舐める。
「転写後六年間、母親の脳波や生体信号を二十四時間リアルタイムで同期し続ける必要がある」
「はい」
「その間、様々な想定外の事象が起こりえる。デュプリカントにも母親にもだ」
「はい」
「我々は、それを記録する義務がある」
村上の眉間が僅かに歪んだ。
「転写から六年間、デュプリカントと母親を二十四時間モニタリングする」
村上は何も言わない。
「事実であるモニタリング・データの解析と分析、そこから導き出される推論を元に、《生命》を再定義する」
そう言い終えると、九条は村上との間に合いを測るように、口をつぐんだ。
村上が口を開く。
「つまり、それを公表する」
九条は何も言わない。
それが答えだった。
「あと二週間だ。西崎千尋は必ず yes と言うだろう。
村上⋯⋯タムラとかいう女はどうなった」
「行方不明です」
モニターから九条の姿が消えた。
村上は目を閉じた。
(義務⋯だと?⋯)
村上は目を見開くと、大声で叫んだ。
「向こう二週間の私のタスク全てを、PMOの誰かに振り替えろ!
この期間、新規タスクに私をアサインするな!
コンファメーションは不要だ。
すぐにやれ!」
モニターの映像が目まぐるしく変わっていく。
数分後。
モニターにメッセージが浮かんだ。
Reassignment complete.
村上はデスクを拳で一度叩いた。
それから、靴音を響かせてオフィスを出ていった。




